夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

灰谷橋

2007年11月05日 | 日記・紀行

灰谷橋

文化の日。晴天の秋空が広がっている。携帯電話の新しい機種が入荷したという連絡があり、それを受け取りに行った帰途、時間にも余裕があったので少し遠出してみることにする。

テレビ報道によると、福田首相と民主党の小沢代表が密室で党首会談を行ったそうである。福田康夫氏小沢一郎氏などに代表される自由民主党の旧世代に欠けているのは、正しい民主主義の精神と方法についての自覚である。与党と野党の党首がそろって密室会談を開くことに何ら恥じることもない。


密室談義ほど民主主義の精神から遠いものはない。民主主義の考え方では原則的に情報は公開され、国民はその正確な情報の共有に基づいて公論として討議するのである。

与党と野党の党首がそろってこのていたらくだから、民主主義国家日本の看板には偽りがある。食品会社の虚偽表示と同じだ。これからは「民主主義国日本」の前に「自称」を付さなければならない。

こうした民主主義的な政治文化の貧困の背景には、日本の大学、および大学院における教育の貧困というさらなる根本問題が存在する。繰り返し述べているように、政治文化をふくめ国家国民の学術文化の水準は、その国家国民の保有する大学、大学院の哲学的能力の水準に規定され、それ以上には高まらないからである。

それにしても、私たちは短い生涯のうちに世界のごく一部分を見て、これが世界だと納得して死んでゆく。それは日常のこんな小さな散歩にも、新しい発見があることからもわかる。世界は無限であるのに、人間は有限である。この有限と無限との間にある質の違いは言葉にできない。宇宙の大きさに比べれば、吾々をさておいてカゲロウのはかなさを嘆くまでもないことである。世界を知り尽くすことはできない。

久しぶりに向日神社に立ち寄り、北山遺跡の近くから京都の市街地を眺望する。その後、二つの別れ道を左にたどる。少し山道をたどるが苦になるほどでもない。大原野をなお右を行くと長峰寺、左へ行くと小さな私のアルカディアがある。やがて里山に入り、眺望も開ける。

昔、中国の詩人の陶潜が『桃花源記』という奇跡的な散文を残している。そこから「桃源郷」という言葉も由来しているが、西欧にも古代ギリシャにアルカディアがあった。人間はつねに理想郷を求めて止まないのかもしれない。

 


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