夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

10月10日(月)のTW:〔契約国家説批判〕

2016年10月11日 | 国家論

※ 追記20161012

ここに取り上げた契約国家観は言うまでもなく社会契約論で主張されたルソ―ならびに啓蒙思想家たちの国家観である。

近現代において、この国家観と並んで大きな影響力を持ったのがマルクスの階級国家説である。国家は無産階級に対して有産階級を護る組織であり、文明の基礎は一階級による他階級の搾取であるとする国家観である。このマルクスのように国家は階級に従属するものと見るか、それともヘーゲルの理性国家のように、国家は階級から独立したものと見るか国家の本質についての議論は分かれる。

ただ、プロレタリア階級の独裁の必然性とその意義を主張したマルクスの思想は、やはり啓蒙思想の特質である「悟性的思考」の限界を示している。労働者階級は資本家階級の存在なくしてはありえず、そのまた逆もそうである。マルクスはこの両者を両立しないものとして、労働者階級によって資本家階級の消滅を図ろうとして国家そのものを殺してしまう。

そうではなく、問題の真の解決は、本質的に階級から独立した国家によって、矛盾敵対するこの両階級をより高い段階に理性的にアウフヘーベンしてゆくことである。それによって生命としての国家は活力を保つことができる。

 

 

 

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