ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第二十節[自己を対象とする意識]
§ 20
Dieser Begriff, auf das Bewusstsein selbst angewandt(※1), gibt eine andere Stufe desselben. Bisher war es in Beziehung auf seinen Gegenstand als ein Fremdes und Gleichgültiges. Indem nun der Unterschied überhaupt zu einem Unterschied geworden ist, der eben so sehr keiner ist, so fällt die bisherige Art des Unterschiedes des Bewusstseins von seinem Gegenstande hinweg. Es hat einen Gegenstand und bezieht sich auf ein Anderes, das aber unmittelbar eben so sehr kein Anderes ist, oder es hat sich selbst zum Gegenstande.
第二十節[自己を対象とする意識]
意識そのものに用いられたこの概念は、別の次元の段階の意識を与える。これまで、意識はその対象とは、異質な無関係のものだった。ところが今や、(意識と対象との)区別一般が、もはや区別がまったくないような一つの区別になってしまったので、その結果、意識をその対象から区別するこれまでのようなあり方はなくなってしまう。意識は一つの対象をもち、自らを一個の他者に関係させはするが、しかし、その他者はもはや直接的にはまったく他者でないような他者であり、言いかえれば、意識は自己自身を対象としてもつのである。
※1
「精神の現象学」として、意識との関係を「今ここにある」対象からはじめて、その弁証法的な関係を追考してきたが、先の第十九節において、意識は「力と法則」という概念の段階にまで進行してきた。
それまでは、意識の対象は意識の外にあって、意識そのものとは異物であり無関係なものであった。しかし、先の第十九節において「力と法則」という概念にまで進んでくると、「力と法則」の概念には、その外的な対象と意識それ自体との区別が消え失せてしまっている。ここに至って意識は別の次元の意識をもつにいたる。すなわち、意識はその対象として他者でない他者、すなわち自己自身を意識の対象とする。
リンゴの樹から落下するリンゴの果実は、意識にとってはまったく外的なものであり異物であるが、意識がリンゴの樹から落下する果実の力やその力の法則性を意識するにいたると、意識と力や法則との区別はなくなる。力や法則は意識そのものである。