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明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

君のために 山本コウタロー

2022-07-16 06:26:00 | 僕の音楽日記
山本コウタローさんが
亡くなった
73歳
ソルティーシュガーで1970年在学中にデビューして
から「走れコータロー」で
第12回レコード大賞新人賞を受賞した。

その後武蔵野タンポポ団から
ソロになり
74年に山本コウタローとウィークエンドを結成して
名曲「岬めぐり」の大ヒット
大学の卒論は
「誰も知らなかった吉田拓郎」だった。
70年代前半に
拓郎さんとはよく親交があり
2人とも喋りがうまく
コウタロータクローのコンサートなどジョイントコンサートなど行っていたり
ラジオ番組もよくお互いが出演していた。

事務所も
ユイ音楽工房で同じことから
'75つま恋で
ウィークエンドもステージに立っている
その後'85つま恋にも出演している
吉田拓郎さんのそばで
吉田拓郎というアーティストを
影ながら応援し、支えるように
寄り添うように

付かず離れず
山本コウタローさんは
拓郎さんを間近で見ていた
1人だった
それが証拠に
卒論が
「誰も知らなかった吉田拓郎」という後日
書籍にもなった。


1975年初めには拓郎さんは
山本コウタローさんと吉田真由美さんの結婚式の仲人を引き受けてる
また、山本コウタローさんも
吉田拓郎さんの最初の奥さん
との結婚式のことを歌にしている

【1972年6月26日 晴れ】

というタイトルの歌である

1973年 
ソロで活躍していた時期に
拓郎さんが唯一提供した作品

作詞岡本おさみ
作曲吉田拓郎
編曲瀬尾一三
黄金コンビだ
その頃の強力な布陣で
提供された作品
だったけれど…

ちょっと
うーん
なんだかなぁ
って感じ


♪そうだ 僕にはチカラがあったんだ

のあとのコーラスのアレンジが
面白い

ウー ヤー
ウー ヤー
なんて
曲もあまり力が入ってない感じ
だったし、
もとより
詩の段階で決まることが多いので
詩先の作業が、多い拓郎さんにして
岡本おさみさん、の提供詩には
ムラがあったから
致し方なかったかも

でも、どうせなら、この、布陣で
ヒットさせたかったのも事実。
そう!タイトルこそ
「君のために」といっていたのだから…

ヒットさせたかったよね



埋もれた名曲ならず
迷曲か…


山本コウタローさんの冥福を
お祈りいたします。