1982年
ひとりの男
そのバンドのピークだった。
脂の乗り切った音。
台風のような
エネルギーを蓄積して
瞬間的に爆発させる
ライブパフォーマンスは
吉田拓郎の第二次ピークだったように思う。
ちょうど10年前の73〜74年が吉田拓郎の第一次のピークだ。
吉田拓郎のライブアルバムで
今なお 時代を超えて色褪せない音での
ライブアルバム
LlVE'73
は
フルバンドでの音圧で圧倒されたライブアルバムであったが
この王様達のハイキング in 武道館
のライブアルバムは
バンドスタイルでの音圧と個々のパフォーマンスのピークを感じる。
音源を聴いてもらえるとその
グルーブ感と圧倒的な力強いボーカルと
スィングするバックバンドのスピリット
が感じられる。
リードギターの
青山徹さん
奏でるリードのフレーズの素晴らしさは
この上なく
ボーカル拓郎に負けない
むしろリードギターも一緒に歌ってる
せめぎ合い 掛け合いの
バッキングなのだ。
派手さはないがそのバンドの中心を確実なビートで刻むドラムスの
島村英二さん
キーボードの
中西康晴さん
エルトン永田さん
アコギ の常富喜雄
ベースの武部秀明さん
が脇を固め
コーラスは女性三人
怪しげなダンスを踊りながらのコーラスも
見るものを引きつけた。
ステージ衣装も中東のアラビアンナイトを
彷彿させる
衣装だったり
あの頃
ロックミュージャンで
化粧をすることが流行っていた時代。
拓郎も漏れることなく
この頃
化粧をしての
ステージをこなしている。
そうしたイロモノ的なパフォーマンスも
ありつつ、肝心の音の方は
何度も書くけれど
全てにおいて
完璧なものであった。
アレンジ や曲のチョイス
歌い方しかり…
四年に一度のライブイベントを翌年1983年を見据えて
ピークを持っていっている雰囲気だった。
1975年 つま恋
1979年 篠島
来たる
1983年
四年に一度のお祭りに向けての準備は
整いつつあった。
結果83年には行われなかった。
1985年2度目のつま恋をおこなう事になったものの、
もし83年に行われていたなら…
凄まじいライブイベントになっていたであろうと推測される。
それだけ
第二次ピークだったわけだ。
王様達のハイキング という歌は
拓郎さんのお母様が
この歌をよく思わなく
ライブパフォーマンスからつたわる
傍若無人な雰囲気ととらわれたのかもしれない。
お母様思いの拓郎さんも
そう思われた、王様達のハイキング
という歌も
85年のつま恋で歌ったのを最後に
その後歌わなくなった。
いわば85年の2度目のつま恋は
にわかに
拓郎 引退
の噂が駆け巡ったライブイベントでもあった。
拓郎自身の今後の方向性と身の振り方と
過去との清算的な総括する
ライブでもあったのかもしれない。
何かを逆戻すように
ライブの曲順が
75つま恋の後に発売されたアルバム
「明日に向かって走れ」
の曲順は
このライブで最後に歌われた曲だった。
そこには
「人間なんて」ではなかった。
過去オールナイトコンサートでのラストの曲は
「人間なんて」だったが
それをやめてまで
歌ったのは
「明日に向かって走れ」だった。
そして
このイベントのオープニング曲は
アルバムラストの曲
「悲しいのは」だった。
時計を逆に戻す
という
拓郎得意の謎かけがそこにはあったのか
どうか
定かではないが…
いずれにせよ
82年に脂の乗り切った男の
歌の色気を感じる事のできる
アルバム
「王様達のハイキング」である。
ひとりの男
そのバンドのピークだった。
脂の乗り切った音。
台風のような
エネルギーを蓄積して
瞬間的に爆発させる
ライブパフォーマンスは
吉田拓郎の第二次ピークだったように思う。
ちょうど10年前の73〜74年が吉田拓郎の第一次のピークだ。
吉田拓郎のライブアルバムで
今なお 時代を超えて色褪せない音での
ライブアルバム
LlVE'73
は
フルバンドでの音圧で圧倒されたライブアルバムであったが
この王様達のハイキング in 武道館
のライブアルバムは
バンドスタイルでの音圧と個々のパフォーマンスのピークを感じる。
音源を聴いてもらえるとその
グルーブ感と圧倒的な力強いボーカルと
スィングするバックバンドのスピリット
が感じられる。
リードギターの
青山徹さん
奏でるリードのフレーズの素晴らしさは
この上なく
ボーカル拓郎に負けない
むしろリードギターも一緒に歌ってる
せめぎ合い 掛け合いの
バッキングなのだ。
派手さはないがそのバンドの中心を確実なビートで刻むドラムスの
島村英二さん
キーボードの
中西康晴さん
エルトン永田さん
アコギ の常富喜雄
ベースの武部秀明さん
が脇を固め
コーラスは女性三人
怪しげなダンスを踊りながらのコーラスも
見るものを引きつけた。
ステージ衣装も中東のアラビアンナイトを
彷彿させる
衣装だったり
あの頃
ロックミュージャンで
化粧をすることが流行っていた時代。
拓郎も漏れることなく
この頃
化粧をしての
ステージをこなしている。
そうしたイロモノ的なパフォーマンスも
ありつつ、肝心の音の方は
何度も書くけれど
全てにおいて
完璧なものであった。
アレンジ や曲のチョイス
歌い方しかり…
四年に一度のライブイベントを翌年1983年を見据えて
ピークを持っていっている雰囲気だった。
1975年 つま恋
1979年 篠島
来たる
1983年
四年に一度のお祭りに向けての準備は
整いつつあった。
結果83年には行われなかった。
1985年2度目のつま恋をおこなう事になったものの、
もし83年に行われていたなら…
凄まじいライブイベントになっていたであろうと推測される。
それだけ
第二次ピークだったわけだ。
王様達のハイキング という歌は
拓郎さんのお母様が
この歌をよく思わなく
ライブパフォーマンスからつたわる
傍若無人な雰囲気ととらわれたのかもしれない。
お母様思いの拓郎さんも
そう思われた、王様達のハイキング
という歌も
85年のつま恋で歌ったのを最後に
その後歌わなくなった。
いわば85年の2度目のつま恋は
にわかに
拓郎 引退
の噂が駆け巡ったライブイベントでもあった。
拓郎自身の今後の方向性と身の振り方と
過去との清算的な総括する
ライブでもあったのかもしれない。
何かを逆戻すように
ライブの曲順が
75つま恋の後に発売されたアルバム
「明日に向かって走れ」
の曲順は
このライブで最後に歌われた曲だった。
そこには
「人間なんて」ではなかった。
過去オールナイトコンサートでのラストの曲は
「人間なんて」だったが
それをやめてまで
歌ったのは
「明日に向かって走れ」だった。
そして
このイベントのオープニング曲は
アルバムラストの曲
「悲しいのは」だった。
時計を逆に戻す
という
拓郎得意の謎かけがそこにはあったのか
どうか
定かではないが…
いずれにせよ
82年に脂の乗り切った男の
歌の色気を感じる事のできる
アルバム
「王様達のハイキング」である。