大屋祐雪「統計調査論における蜷川虎三」『経済学研究』第32巻第5・6号,1967年2月
本稿は「統計学=社会科学方法論」派の統計調査論の吟味である。ここで言う「統計学=社会科学方法論」派の代表と考えられているのは,ドイツ社会統計学派(フランクフルト学派)のチチェクと日本の蜷川虎三である。したがって「派」と言ってもそれぞれに複数の研究者の議論が問題とされているわけではない。また,表題にあるように,主として,蜷川虎三によって打ち立てられた統計学が吟味の対象である(筆者は文中で「蜷川統計論」と呼んでいるので,以下ではこの用語を使う)。
最初に,時代的にはほぼ同じ時期に展開された蜷川の調査論とチチェクのそれを対比している。チチェクの調査論は「基本的目標設定の統計数字獲得過程」に限定されていた。蜷川の調査論も通常の統計調査がその対象であった。この点で,2つの理論は同じ土俵で比較,検討が可能である。蜷川は(1)推計,(2)一部調査,(3)標本調査,(4)アンケートを問題にしたが,それは大量観察代用法としての考察であった。チチェクは「副次的目標設定」の調査に言及したが,それは統計的比較,統計的因果研究,大数法則や時間的恒常性の研究を課題とする調査であり,蜷川の大量観察代用法とは位置づけが異なるものであった。チチェクの調査論は調査プロセスの本質論の考察が主題で,それと直接関わらない諸問題を極度に回避したが,蜷川にあっては調査論の展開は「統計の理解・吟味・批判」のためであり,この点で両者の問題意識は全く異なっていた。
以下,蜷川統計調査論の紹介になる。蜷川は基本概念である「大量」を統計調査論の基底にすえ,大量観察に「理論的過程」と「技術的過程」とがあるとした。また,この大量観察が一定の社会関係(調査者と被調査者)のもとで成立することを強調した。こうして,大量観察の両過程が統計の「信頼性」と「正確性」の問題として提起されることになる。
この過程を,筆者は次のように項目的にまとめている。留意点は大量の4要素(時,場所,単位,標識)が大量観察の4要素として規定されるところまでが大量観察の理論的過程で,統計の信頼性の検討がここで行われることである。
(1)大量の理論的把握
(2)大量観察の目的の定立
(3)大量観察実施の地盤としての社会の認識
(4)大量観察の技術的過程における諸条件に対する処置方法
(5)大量観察の4要素の規定
大量観察の理論的過程に続く技術的過程の考察は,調査票自体の問題と調査票の運用の問題として取り上げられている。このような取り上げ方がされた理由は,統計の正確性がこの過程と密接に結びついているからである。特徴的なのは,以上の問題意識から調査票の考察が実体論と形式論に分けて考察されていることである。実体論とは,調査票の構成に関わる問題であり,形式論は調査者関係事項と被調査者関係事項とを峻別した問題整理である。さらに調査票の運用に関しては,運用期間,運用方法の問題としてとらえ,いずれもそこに投影する社会関係を重視した論旨の展開となっている。調査票の整理過程への言及は少ない。また統計表には次の諸次項の掲載を要求している。(1)対象たる大量及び構成統計系列の当該大量に対する関係,(2)大量の存在の時,(3)大量の存在の場所,(4)調査者,(5)被調査者,(6)その他,表示の内容を理解するために特に必要な事項。
以上の蜷川統計調査論に対する著者の批判的考察の論点は,次のとおりである。批判はチチェクの調査論との対比で示されている。チチェクはその調査論で「目標設定」を所与のものとし,その考察を排除した。蜷川調査論では「目標設定」という用語はないものの,大量の認識から大量観察に至る過程の問題として「目標定立の過程」が,調査者のイデオロギーの問題に集中されつつ考慮されていた。これに関して,筆者は統計調査を統計作成の特殊歴史的一形態と考えるので,統計調査の目標の定立過程もこれに照応して二重の性格を帯びるものとみなす。この視点から蜷川調査論における目標定立の過程は歴史的側面からの特徴づけとなっている。しかし,もう一つの側面,すなわち統計調査における抽象的一般的方法行程としての特徴づけがなされていない。要するに,蜷川理論では統計が必然的におびる事物認識の経験批判論的性格が統計の一般的な論理として定式化されていない。
次に蜷川理論における大量観察の理論的過程では,部分集団の構成に関係する「群」および「統計の表示形態」に関する「決定」がその過程の基本要素として論じられていない。実際の作業行程を考えれば明らかなように,「群の確定」は「分類」と「集計」のための論理的決定であり,その組織的・技術的決定とともに「整理計画」の骨子なので,統計調査論における「理論的過程」の問題として定式化されてしかるべき性質をもつ要素であるが,それがないのである。「統計の表示形態」にも同様のことが言える。そうなってしまったのは,蜷川理論が統計から大量を追及するという統計利用者の立場にたっているので,「群」は部分集団として,「統計の表示形態」は統計値として統計表そのもののなかに具現し,それらは吟味・批判の素材となっても,吟味・批判の見地から立論される4要素に加えられる性質のものとならないからである。
最後に,蜷川理論の「技術的過程」は,チチェク理論における「組織的技術的決定」の一部と
「統計的労働行程」とが対応している。筆者は蜷川理論における「大量観察の技術的過程」の内実である「調査票自体の問題」と「調査票の運用過程」とはそれぞれ範疇分けを行い,前者を「決定」なかんずく「組織的技術的決定」の問題として,後者を「統計的労働過程」の問題として考察すべきと考える。蜷川が両者を概念的に区分していないのは,大量観察の理論過程につづく行程を「調査票を主体として一元的に把握する」という意図があったからである。それはそれとして論理一貫している。しかし,統計調査論としては,統計数字獲得過程の客観的考察という観点からみると,大きな問題を抱えている。
「結びに代えて」で,筆者は,独特の『資本論』解釈による反映=模写論に依拠して,蜷川調査論を総括している。
蜷川理論は調査手続きとしての反映=模写の過程が,反映=模写の世界観(認識論)にもとづいて理論構成されている。筆者は蜷川の大量観察法が統計的反映=模写論であると特徴づける(p.178)が,それは蜷川が世界観としての反映=模写論を統計方法そのもののなかにもちこんで統計調査法を構想したからである。筆者はこのような一面的な反映=模写論の統計学への適用に疑問を呈している。
くわえて,蜷川理論には,「大量の4要素」から「大量観察の4要素」の規定に至るくだりで,「大量⇔統計方法」の関係として生きていた反映=模写論の立場が,大量観察過程そのものを社会関係的事象として対象におき,それを規定する社会的条件およびその社会的性格を理論化する形をとる。それ以前の,大量から出発する統計調査過程の理論をその垂直的反映=模写とみると,この議論は社会関係ないし階級的諸関係を含む水平的反映=模写の結果である。蜷川調査論はこのように大量の統計的反映=模写方法論としての大量観察法論(統計調査法論)と統計調査の社会科学的考察である大量観察論(統計調査論)とは混在している。蜷川にあっては,統計の吟味・批判の見地に対応する側面,すなわち統計調査の歴史的社会的側面の少なからぬ部分の考察が成功的に理論化されているが,一般的方法行程論の側面の考察は軽視されてしまっている。この点はチチェクの統計調査論(統計数字獲得のための方法行程の一般的抽象的側面の考察はあるが,その歴史的社会的側面の考察がない)と好対照をなしている。両者が統一され,相互に補完されてこそ,まともな統計調査論になる。
本稿は「統計学=社会科学方法論」派の統計調査論の吟味である。ここで言う「統計学=社会科学方法論」派の代表と考えられているのは,ドイツ社会統計学派(フランクフルト学派)のチチェクと日本の蜷川虎三である。したがって「派」と言ってもそれぞれに複数の研究者の議論が問題とされているわけではない。また,表題にあるように,主として,蜷川虎三によって打ち立てられた統計学が吟味の対象である(筆者は文中で「蜷川統計論」と呼んでいるので,以下ではこの用語を使う)。
最初に,時代的にはほぼ同じ時期に展開された蜷川の調査論とチチェクのそれを対比している。チチェクの調査論は「基本的目標設定の統計数字獲得過程」に限定されていた。蜷川の調査論も通常の統計調査がその対象であった。この点で,2つの理論は同じ土俵で比較,検討が可能である。蜷川は(1)推計,(2)一部調査,(3)標本調査,(4)アンケートを問題にしたが,それは大量観察代用法としての考察であった。チチェクは「副次的目標設定」の調査に言及したが,それは統計的比較,統計的因果研究,大数法則や時間的恒常性の研究を課題とする調査であり,蜷川の大量観察代用法とは位置づけが異なるものであった。チチェクの調査論は調査プロセスの本質論の考察が主題で,それと直接関わらない諸問題を極度に回避したが,蜷川にあっては調査論の展開は「統計の理解・吟味・批判」のためであり,この点で両者の問題意識は全く異なっていた。
以下,蜷川統計調査論の紹介になる。蜷川は基本概念である「大量」を統計調査論の基底にすえ,大量観察に「理論的過程」と「技術的過程」とがあるとした。また,この大量観察が一定の社会関係(調査者と被調査者)のもとで成立することを強調した。こうして,大量観察の両過程が統計の「信頼性」と「正確性」の問題として提起されることになる。
この過程を,筆者は次のように項目的にまとめている。留意点は大量の4要素(時,場所,単位,標識)が大量観察の4要素として規定されるところまでが大量観察の理論的過程で,統計の信頼性の検討がここで行われることである。
(1)大量の理論的把握
(2)大量観察の目的の定立
(3)大量観察実施の地盤としての社会の認識
(4)大量観察の技術的過程における諸条件に対する処置方法
(5)大量観察の4要素の規定
大量観察の理論的過程に続く技術的過程の考察は,調査票自体の問題と調査票の運用の問題として取り上げられている。このような取り上げ方がされた理由は,統計の正確性がこの過程と密接に結びついているからである。特徴的なのは,以上の問題意識から調査票の考察が実体論と形式論に分けて考察されていることである。実体論とは,調査票の構成に関わる問題であり,形式論は調査者関係事項と被調査者関係事項とを峻別した問題整理である。さらに調査票の運用に関しては,運用期間,運用方法の問題としてとらえ,いずれもそこに投影する社会関係を重視した論旨の展開となっている。調査票の整理過程への言及は少ない。また統計表には次の諸次項の掲載を要求している。(1)対象たる大量及び構成統計系列の当該大量に対する関係,(2)大量の存在の時,(3)大量の存在の場所,(4)調査者,(5)被調査者,(6)その他,表示の内容を理解するために特に必要な事項。
以上の蜷川統計調査論に対する著者の批判的考察の論点は,次のとおりである。批判はチチェクの調査論との対比で示されている。チチェクはその調査論で「目標設定」を所与のものとし,その考察を排除した。蜷川調査論では「目標設定」という用語はないものの,大量の認識から大量観察に至る過程の問題として「目標定立の過程」が,調査者のイデオロギーの問題に集中されつつ考慮されていた。これに関して,筆者は統計調査を統計作成の特殊歴史的一形態と考えるので,統計調査の目標の定立過程もこれに照応して二重の性格を帯びるものとみなす。この視点から蜷川調査論における目標定立の過程は歴史的側面からの特徴づけとなっている。しかし,もう一つの側面,すなわち統計調査における抽象的一般的方法行程としての特徴づけがなされていない。要するに,蜷川理論では統計が必然的におびる事物認識の経験批判論的性格が統計の一般的な論理として定式化されていない。
次に蜷川理論における大量観察の理論的過程では,部分集団の構成に関係する「群」および「統計の表示形態」に関する「決定」がその過程の基本要素として論じられていない。実際の作業行程を考えれば明らかなように,「群の確定」は「分類」と「集計」のための論理的決定であり,その組織的・技術的決定とともに「整理計画」の骨子なので,統計調査論における「理論的過程」の問題として定式化されてしかるべき性質をもつ要素であるが,それがないのである。「統計の表示形態」にも同様のことが言える。そうなってしまったのは,蜷川理論が統計から大量を追及するという統計利用者の立場にたっているので,「群」は部分集団として,「統計の表示形態」は統計値として統計表そのもののなかに具現し,それらは吟味・批判の素材となっても,吟味・批判の見地から立論される4要素に加えられる性質のものとならないからである。
最後に,蜷川理論の「技術的過程」は,チチェク理論における「組織的技術的決定」の一部と
「統計的労働行程」とが対応している。筆者は蜷川理論における「大量観察の技術的過程」の内実である「調査票自体の問題」と「調査票の運用過程」とはそれぞれ範疇分けを行い,前者を「決定」なかんずく「組織的技術的決定」の問題として,後者を「統計的労働過程」の問題として考察すべきと考える。蜷川が両者を概念的に区分していないのは,大量観察の理論過程につづく行程を「調査票を主体として一元的に把握する」という意図があったからである。それはそれとして論理一貫している。しかし,統計調査論としては,統計数字獲得過程の客観的考察という観点からみると,大きな問題を抱えている。
「結びに代えて」で,筆者は,独特の『資本論』解釈による反映=模写論に依拠して,蜷川調査論を総括している。
蜷川理論は調査手続きとしての反映=模写の過程が,反映=模写の世界観(認識論)にもとづいて理論構成されている。筆者は蜷川の大量観察法が統計的反映=模写論であると特徴づける(p.178)が,それは蜷川が世界観としての反映=模写論を統計方法そのもののなかにもちこんで統計調査法を構想したからである。筆者はこのような一面的な反映=模写論の統計学への適用に疑問を呈している。
くわえて,蜷川理論には,「大量の4要素」から「大量観察の4要素」の規定に至るくだりで,「大量⇔統計方法」の関係として生きていた反映=模写論の立場が,大量観察過程そのものを社会関係的事象として対象におき,それを規定する社会的条件およびその社会的性格を理論化する形をとる。それ以前の,大量から出発する統計調査過程の理論をその垂直的反映=模写とみると,この議論は社会関係ないし階級的諸関係を含む水平的反映=模写の結果である。蜷川調査論はこのように大量の統計的反映=模写方法論としての大量観察法論(統計調査法論)と統計調査の社会科学的考察である大量観察論(統計調査論)とは混在している。蜷川にあっては,統計の吟味・批判の見地に対応する側面,すなわち統計調査の歴史的社会的側面の少なからぬ部分の考察が成功的に理論化されているが,一般的方法行程論の側面の考察は軽視されてしまっている。この点はチチェクの統計調査論(統計数字獲得のための方法行程の一般的抽象的側面の考察はあるが,その歴史的社会的側面の考察がない)と好対照をなしている。両者が統一され,相互に補完されてこそ,まともな統計調査論になる。
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