社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

田中章義「統計対象にかんする諸家の見解について-統計学の性格規定と関連して-」1965年10月

2016-10-03 21:04:15 | 1.蜷川統計学
田中章義「統計対象にかんする諸家の見解について-統計学の性格規定と関連して-」『東京経済大学65周年記念論文集』1965年10月

 社会統計学の分野で,統計対象を規定する論争がかつてあった。これは統計対象論争と呼ばれている。統計対象というのは,統計が反映している対象で,一般的には客観的存在をさす。戦前,統計と統計対象の関係がもつ意義を明らかにし,統計対象の第一義性を認め,それを統計学の基礎概念として統計学の体系構成をはかったのが蜷川虎三である。蜷川はそれ以前の統計学が同種多数事例の観測値集団すなわち「統計値集団」と「社会的存在たる集団(大量)」とを混同しているとし,両者を明確に区別した。なぜなら数理統計学では統計対象は同質かつ無限個の個体から構成されるとういう仮定のもとに成立する母集団であるが,社会現象ではそのようなものは皆無であり,「統計値集団」と「社会的存在たる集団(大量)」は同じものではないからである。また関連して,蜷川は統計学の学問的性質を実体科学ではなく,統計の作成・加工の方法を研究する方法科学とした。

 以上の蜷川統計学の骨格理解のもとに,筆者は本稿で統計対象の規定に関する論争の経過,論争の客観的意義,論争の成果の順で,議論を展開している。

 論文の全体を筆者は次のように要約している。第1に,有田正三,大橋隆憲はともに新カント派に近い「構成説」的な論理構造をもつのではないかと,問題提起している。有田説は,大量=社会集団の客観的存在を否定し,大量をもって認識のための手段としている(後期ドイツ社会統計学の影響)。大橋説は社会的・集団的現象を概念的に把握できても,感覚的な表象としてとらえることができないので,そのための媒介として社会的集団概念が必要になる,とする。(戸坂認識論の影響)

第2に,これらの見解は蜷川の大量理論に片鱗がある。蜷川には大量を,「存在たる集団」としての大量と,「四要素に規定せられた」大量とがあるが,後者は後期ドイツ社会統計学の理論に依拠している。

第3に,後期ドイツ社会統計学にみられる対象感は,統計学の性格を方法科学=形式科学とする規定と容易に結びつく。そうした見解は,統計学が統計的認識の方法を研究対象とするが,認識の対象についての研究を対象としないことになる。この結果,「統計学=方法科学」という規定は,統計理論を形式化する。

第4に対象論争は,実質的な対象論の構築への要求のあらわれとして生じた。しかし,対象論争はそれを方法科学説に立脚して展開したため,対象は集団か個体かという形式的な論点としてしか提出されなかった。

第5に,筆者は「統計学=方法科学」説に疑問を呈している。統計理論の内容を豊かにするには,社会的諸現象の具体的分析を通じてのみ可能であり,それは今後の課題となる。
 論争の発端は,内海庫一郎によるものである。内海は蜷川統計学には弁証法が欠如しているとし,統計対象は生成・発展・死滅する存在としてとらえなければならず,統計時系列こそその反映であるとした。

その後,蜷川統計学は同じ内海によって,また有田正三によって批判を受ける。内海は統計対象が集団である必要はなく,個体でもよいとした。有田は統計対象=大量が客観的存在ではなく,量的認識を獲得するための概念的構成物であるとした。
内海による統計対象が集団でなくともよいという考え方は,統計対象=集団というときの単位が統計調査のおりに調査票を配布する単位であり,対象が集団であることを要しないという見解で補完される。この見解は木村太郎によって,単位は観察単位にすぎない,と発展的に規定された。

これに対し,吉田忠,大橋隆憲,上杉正一郎,竹内啓,三潴信邦は,統計対象=集団説の立場から,上記見解に反対した。吉田は統計対象が客観的に集団として存在することを認めつつ,他方で対象を統計的に認識するために大量を方法的操作として集団へ分解する必要があるという独自の見解を示した。その典拠は有田と大橋の対象論であった。有田は後期ドイツ社会統計学,とくにフラスケムパーの集団論に傾斜していた。それは,「大量が客観的に存在するのではなく,実在からの理論的抽象的構成物である」「本来量化できない社会構成体を量化し,数量的に把握するために主観によって構成されるのが統計的集団である」「その統計的集団が統計的認識の対象である」というものである。有田はこれに加えて,「統計的集団」は量的認識を得るためには対象を単位に分解する必要があるから設定されること,「統計的集団」を成立させるには等質性の契機が対象のうちに客観的に存在することを強調した。筆者はこの有田説に対し,いうところの単位は結局「測定単位」になってしまうのではないか,またそのような統計的集団の実在性を否定し,それを認識のための手段とすることは,統計的集団概念の対象反映性を否定することになりはしないか,と疑義を表明している。

 筆者は次に大橋隆憲の見解を検討している。大橋の見解とは,統計理論の定式化は「集団」概念の媒介なしには不可能である,社会的・集団現象過程は,社会構成体の部分過程であるが,その概念的把握はできても感覚的な表象としてとらえることができないので,感覚的把握を可能ならしめるための媒介として「社会集団」「統計集団」が必要とされる,というものである。その立論は,戸坂潤の科学的認識論である。戸坂の所説は,科学の方法は研究方法であり,この方法により対象は学問の内容として構成され,方法は学問構成の原理になる,対象は方法によって成立せしめられたるものになる,というものである。この大橋の見解に対して,筆者は,なぜ大橋の言うような社会集団を媒介しなければ社会構成体の感覚的認識ができなのかが不明であると指摘している。

 有田あるいは大橋の所説にみられるような,客観的実在の統計的認識における新カント派的解釈がでてくるのには,蜷川統計学自体が「大量」にたくしていた二重の理解,すなわち「客観的存在たる大量」と「(四要素[単位,標識,時,場所]に規定された大量」という「意識へ反映されたる大量」とをもち,それは後期ドイツ社会統計学の新カント派的性格の蜷川理論への反映があったからだ,と筆者は推測している。 
 このようにみてくると,内海による蜷川理論の批判は大量の規定の形式的傾向,とくに「四要素に規定された大量」に向けられ,その対極での「客観的存在たる大量」の強調,その構造解明にあったと特徴づけられる。これに対し,有田,大橋の対象論は,「四要素に規定された大量」の深化,発展であり,有田にあっては遂に大量の客観的存在の否定に至る。
 蜷川統計学では,対象=大量論はその体系の重要な位置にある。しかし,方法科学説をとるかぎり,大量の実態を語る場がない。統計学のなかで与えられるのは,形式的な認識の道具としての集団論に限られてしまう。
対象論争が行われたのは,実質的な対象構造論への要請であった。しかし,論争は統計学の対象が集団か個体かといった形式的論点をめぐってなされることになった。方法科学説の枠内での論争の形をとるかぎり,この限界を超えることはできなかった。対象の実質的分析は,統計学の範囲外に属するとされて済まされた。

 筆者は,以上のように対象論争を整理する中で,統計学を一個の方法科学であるとする規定に首肯できないとの結論を抱くにいたったと述べ,本稿を擱筆している。(もっとも筆者は科学を実質科学と方法科学に二区分することを了解していない。しかし,統計学の学問的性格を明示的に示していない。)  

コメントを投稿