社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

吉田忠「計量経済学批判の方法」『統計学』第30号

2016-10-18 14:19:00 | 12-2.社会科学方法論(計量経済学)
吉田忠「計量経済学批判の方法」『統計学(社会科学としての統計学-日本における成果と展望-)』(経済統計研究会)第30号,1976年3月,(『数理統計の方法-批判的検討』農林統計協会, 1981年)

 戦後, 一時, 隆盛をみた, また今日でも少なくない影響力をもっている計量経済学に対する批判の系譜と課題を示した論文(初出は『統計学』[経済統計研究会]30号, 1976年)。方法論的批判, 弁護論的批判, 具体的経済計画への適用形態批判のそれぞれについて要領のよいまとめとコメントを添え, 計量経済学批判そのものの対象と方法を論じている。

 方法論的批判では, その嚆矢となった広田純・山田耕之介(立教大学)「計量経済学批判」を紹介し, この論文が計量経済学の輸入後, それほどの日をおかずに発表され, しかも計量経済学を内在的に把握した, 理論的, 方法論的批判の先駆的業績であると, 高い評価を与えている。この広田・山田論を契機に, 方法論的批判はその後, 北海道大学の内海シューレに受け継がれ, 計量経済学の不可知論=確率主義, 数学至上主義, 機械的唯物論(力学的還元主義, 均衡論, 外因論), プラグマティズムに要約される一つの批判のパターンをつくった。

 この方法論的批判に対し, 計量経済学の体制(資本主義体制)弁護的性格を見落としていると主張したのは, 関恒義(一ツ橋大学)などの弁護論的イデオロギー批判論者である。関のこの反批判は, 一方で計量経済学の適用過程にまで批判の対象をひろげ, より体系的な批判を意図したたものであったが, 他方で計量経済学の一定の有効性を容認することに, ひいては当時の社会主義計画経済への全面的適用の主張につながる側面をあわせもっていた。(関連して, ブリューミン, 山田弥の見解も検討されている。)

 次いで登場したのが, 日本の経済計画への計量経済学的手法の導入にたいする批判的考察である。この系譜では, 山田耕之介や大橋隆憲(京都大学)が, また筆者自身が, 中期経済計画, 経済社会発展計画, 新経済社会発展計画をとりあげ, 批判の最前線を担った。筆者の要約では, こうした批判のスタンスは「科学方法論としての誤謬という方法論的批判の延長線上になされた, という特色をもっており, 経済計画における機能と役割に関しても基本的には宣伝―粉飾効果以上のものを認めない, という帰結をともなうものであった。それは弁護論的イデオロギー批判の立場にたつ一部の論者の見解, すなわち計量経済学は国独資的政策体系の企画・推進過程において, 一定の方法論的有効性をもつはずだ, という見解を実証的に反論するものであった」(p.235)。(関連して, 川上正道の見解も検討されている。)

 計量経済学批判の系譜を概略以上のようにおさえたうえで, 筆者は計量経済学批判が担うべき役割を最後に提示している。そのためには, 計量経済学批判が対象としなければならない標的が正確に定められなければならない。筆者によれば, それは計量経済学が適用されている現実的過程の総体である。当該論文には, その図式化がある(p.237)。筆者はその図式のなかに, 過去の批判的業績の成果を位置づけるとともに, 今後の課題の確認を, 「すなわち実証的な近代経済学による国家と総資本の本質的意図の具体化の過程をとりあげ, そのなかに計量経済学の粉飾的効果が利用される契機を見出さなくてはならないこと」(pp.239-240)の確認を行って稿を閉じている。

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