社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

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藤井輝明「計量経済学と偶然性」(『統計学と統計利用』産業統計研究社,2010年,所収)

2017-10-08 20:07:44 | 12-2.社会科学方法論(計量経済学)
藤井輝明「計量経済学と偶然性」(『統計学と統計利用-統計利用の方法論と,集積経済の推定,地域人口動態分析への応用』産業統計研究社,2010年,所収)

筆者は本稿で,計量経済学に対する従来型の批判を整理しながら,しかしそれらと異なる立場からその有効性を論じている。異なる立場と言うのは,計量経済学の構造が決定論的であると評価し,誤差の仮定やデータ主導型分析において形式数理以外の情報でこれを補う論理をもちうる,という考え方のことである。   

 構成は次のとおり。「1.はじめに」「2.計量経済学の有効性をめぐる論点の『転換』」「3.計量経済学の古典的方法についての基本的論点」「4.決定論としての計量経済学」「5.偶然と誤差」「6.計量経済学の変質」「(補論)決定論と臨界」。

筆者は最初に1980年代半ばまでの社会統計学における計量経済学をめぐる議論を,𠮷田忠が10年前に行った整理に依拠して,サーベイしている。それによると,計量経済学研究は次のパターンに集約できる,とする。第一は広田純,山田耕之介,是永純弘らに代表される「方法論批判」である。その特徴は,計量経済学が設定する仮定が恣意的であり,「不可知論」的認識論にたつ方法と考え,方法としてのこの側面が計量経済学の全てであるというものである。第二は弁護論批判の見地(資本主義弁護論)である。これには,次のバリエーションがある。(1)批判をつうじてその限界と役割を明らかにすると同時に,そのなかから批判的に摂取すべきものを見出す立場。(2)それが特定の現実,政策と結びつく具体的な資本制経済計画と経済社会政策の決定過程を分析し,その科学性をみせる背景として,計量経済学の方法が利用されていることを指摘する立場(𠮷田忠)。(3)その経済理論・計量経済学の方法が想定する世界観と現実の政策実践過程を分析すればするほど,両者の不可分性が露呈するはずであるとするもの(浜砂敬郎)。

𠮷田は方法論批判の対象が「研究室レベルにおける計量経済学者の目標・意識と結びついた計量経済学の方法と,それを規定した計量経済者の世界観・科学方法論(社会的イデオロギー)とであった。これを史的唯物論に依拠した正しい社会科学の方法との対比において批判したが・・・(それは経済計画の作成等ではたしている弁護論的役割(ないし粉飾効果))の方法的基盤に対する批判へと展開されねばならなかったのではないだろうか」と批判の方向を示唆している。初期の「方法論的批判」は,数量的科学研究の方法論の否定である。𠮷田は「方法論的批判」の意義を認めているが,となるとこの全面的否定の立場にどのように対処するかが問題になる。また,方法論的な計量経済学批判において決定的に重要なのは,社会における確率過程あるいは偶然性の仮想性をどう理解するかである。

筆者によれば,計量経済学の有効性をめぐる論点は,ある時点で「転換」した。「方法論的批判」のなかで,計量経済学の経済学における利用を全面否定する立場は,経済学の論理に数理統計的方法が不適当であることを経済学に関する先験論理で説明する。これに対し,上記で(1)と整理した立場は計量経済学的分析が必要であり,批判的摂取こそが重要である,とする。𠮷田のいう「方法論的批判」の立場は,方法論的批判の意味をある特定のそれとして考えるようになっている。この段階で全面否定論は,計量経済学のもつ方法上の問題点やそれがもたらす理論的バイアスをもった結論を批判するのではなく,計量経済学がどのような理論とでも結びつくことを批判するようになった(計量経済学は「どんなに対立する理論でも命題でも同じように数値的にその正当性を証明してみせることができる」[山田耕之介])。このような計量経済学全面否定論の「次元の転換」はなぜ生じたのかといえば,筆者の考えでは,統計学=社会科学方法論説がとる一つの姿勢,すなわち方法が実質科学を反映していなければならないとするこの説の機械的適用があったからである。

 このことだけ確認すると,統計学=社会科学方法論説はその存在意義を失ったかのように思えるが,筆者は科学研究では方法が対象のもつ性質の規定を受けること,対象についての理論的経験的研究を基礎に方法を考えざるをえないこと,対象のもつ性質を認識できるような方法を主体的に選ぶことの重要性を示したこと,などいくつかの重要な問題提起をしていることに注目すべきと言う。また機械的適用というのは,社会科学方法論説では認識対象は認識主体と別に存在することを前提としており,過去に主体の側で構成された事前の理論にもとづく客観的認識を仮定して構成した方法で,設定した仮説の正しさを客観的に検証するものでなければならないはずだからである。

結局,計量経済学の有効性に関する論争は,この視点の具体的分析への適用の仕方をめぐる認識方法論の対立である。

 以上の点を確認して,筆者は計量経済学の古典的方法に関する基本的論点を,古典的モデルにおける方法上の仮定,経済理論の可測性,計量モデルの「単純さ」,構造の安定性([a]決定論としての計量経済学,[b]係数の安定性),変数選択の妥当性の順で論点整理を行っている。経済理論の可測性では,計測可能な変数間の構造に数量化しつくせない要因の影響をよみとるべきこと,計量モデルの「単純さ」では,計量経済学では線形構造での推定であるがゆえに,近似的に確率的といいうる定差誤差が存在するというべきこと,構造の安定性では,計量経済モデルが優れているみなされるのは,線形方程式の体系で表される決定論的関係によって可能な限り多くの効果を説明しうること,等々を確認している。補論として,筆者は計量経済学の基本構造の決定論的性格(外政変数の設定があるので完全に閉じた決定論的世界ではないが)と数理統計学における誤差分布の仮定の意義について論じている。関連して,是永純弘など方法論的批判論者が,計量経済学非決定論的性格を主張したことに疑義をなげかけている。是永のこの誤認は極端な決定論にたっていること,認識の単純化を認めない立場に由来する。筆者はまた,是永の誤差項についての扱い,とりわけ未知のものを全て偶然誤差と断定し,定義誤差を偶然誤差とする仮定が正しくないとした誤解が,計量経済学の理論そのものが非決定論で不確定とする立場からきている,としている。誤差項の仮定の恣意性という方法論的批判論者の見解に対しては,誤差の存在や誤差の形状が実体に即して仮定されという主張で切り返している。

以上の議論の延長線上で,計量経済学(モデル)の評価が個別モデルについてなされる次元に入ったとして,筆者はそうした個別モデルのひとつである「民主的改革」モデルを批判的に検討した岩崎俊夫の見解(岩崎俊夫「民主的計画化のマクロ計量モデルに関する一考察-検討:モデル・政策・理論の『整合性』-」『立教経済学研究』45巻4号)を議論の俎上にとりあげている。とはいうものの,筆者によれば,岩崎の論理は実質科学的論評でその意味では結果として個別的有効性を論じたものであるが,実際には個々に内容に即して有効かどうか判断することに懐疑的である。また,岩崎は計量経済学の方法が実質的内容についての認識を制約しているというが,民主的計画モデルについてモデルが分析目的に応じて個々に考えられる,と述べるなど,事実認識に混乱があると指摘している。

筆者は最後に,データ主導型分析を提唱する。重要なのはどのような理論を説明するかではなく,データ生成プロセスをよりよく説明することである。実証的研究の積み重ねの結果わかったことは,理論の実証ということの難しさである。係数の安定性や誤差についての仮定をゆるめれば,安定的な結果を得るのはさらに難しくなる。本稿の後半部分,とくに岩崎見解に疑義を呈しているあたり以降は,文章に明晰さが欠けていて,主旨がわかりにくい。

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