社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

菊地進「同時方程式モデルとその計測方法の展開について-手法の開発からモデルの大型化まで-」『立教経済学研究』第36巻第2号,1982年12月

2016-10-18 14:31:28 | 12-2.社会科学方法論(計量経済学)
菊地進「同時方程式モデルとその計測方法の展開について-手法の開発からモデルの大型化まで-」『立教経済学研究』第36巻第2号,1982年12月

 本稿は計量経済学的手法の成立過程を歴史的に検討することである。構成は次の通りである。「1.計量経済学の危機」「2.同時方程式モデルの開発」「3.計測方法の展開」「4.政策分析への適用」「5.計量経済学的手法の問題点」。筆者の案内にしたがって,以下,内容を要約する。

 「1.計量経済学の危機」。1970年代に入り世界経済の危機が深刻化するにつれ,アメリカ・ケインズ主義とそれを理論的基礎としたマクロ計量モデルそのものに対して不信が表明されるようになった。振り返ってみれば,クラインモデル以来(1950年),同時方程式に基づいて作成されたマクロ計量モデルは,モデルに固有の困難を克服するために「多部門モデル」「世界経済モデル」と大型化の傾向を強めた。しかし,モデルの大型化は予測成績の向上に結果せず,むしろ評価しがたい状態を招来した。同時方程式モデルはその開発当初から矛盾を抱えていたが,それは果たしてその展開過程で克服されたのであろうか。この問いかけが,次節以降の展開となる。

 「2.同時方程式モデルの開発」。計量経済学の誕生は,1929年の世界恐慌を契機とする。その前段では既にH.ムーア,H.シュルツが個別商品の需要曲線の統計的計測の方法を開発していたが(1910年代),恐慌を契機に経済関係式の計測に回帰分析法を利用するムーアの方法が脚光を浴びるようになった。1930年には,R.フリッシュの尽力によって計量経済学会が創設された。この頃から,単一方程式モデルの計測が熱狂的に進められたが,その計測結果が「認定」問題を抱えていることが明らかになり,この問題を克服するものとしてT.ホーヴェルモは同時方程式モデルを開発した。ホーヴェルモのこの研究成果は,フリッシュの「合流分析」(1934年)における多元回帰方程式モデルの計測方法の欠陥を克服する試みであった(1942年)。すなわち,フリッシュによる多元回帰方程式モデルは,モデルにおける線型性と変数の結合方式の加法性を基本的仮定としていたが,これらの仮定は前提条件にすぎず,それらの妥当性を経験的に明らかにしえないのに,あたかもそれが実証可能なように扱われていた。フリッシュモデルの欠陥と言われるものがこれである。

 フリッシュ自身は自らの方法の欠陥を別様に,すなわち多重共線性の問題として受け止め,これを除去する手法としてバンチ・マップ法の提唱を行った。この方法で多重共線性の発生がないことを確認したうえで,モデルを対角線回帰法で計測するのがフリッシュの考え方であった。ホーヴェルモはこの試みに疑問をもち,新たに開発したのが先の同時方程式モデルによるモデルビルディングである。同時方程式モデルは,予め複数の関係式を連立方程式体系として設定し(そこに先決変数という新たな範疇の変数が導入されている),そこに最尤法を適用することで,係数パラメータを全て同時に決定し,その適否を検討できる。この方法は最尤推定量が標本数を増やすと漸近的に正規分布に従う性質を利用したパラメータの仮説検定法である。これによって,単一方程式アプローチが有していた計測結果の認定不可能性の問題に決着がつくとみなされ,以後計量モデルは同時連立方程式体系として設定されるべきと考えられるようになった。

 「3.計測方法の展開」。筆者は次に,同時方程式モデルのパラメータの推定方法の展開過程を跡づける。ホーヴェルモ自身による誘導型最尤法,T.C.クープマンスによる認定問題の定式化,T.W.アンダーソン,H.ルビンによる情報制限最尤法の紹介がそれである。これらの展開過程は,要約して言えば,モデルが同時方程式モデルであることを貫けば追加的説明変数の選択基準を設けることができなくなり,追加的説明変数の選択基準を採用すれば同時方程式モデルの枠組みを壊さなければならないというジレンマへの遭遇とその解決の試みの繰り返しである。この問題を克服するものとしてもとめられたのが,同時方程式モデルの枠組みを崩さず個々の構造方程式を実質的に最小二乗法で計測する方法である。H.タイルの二段階最小二乗法は,この方法がである。

 その利点は,パラメータの推定のための計算が容易であること,またこの方法によって構造パラメータの決定基準と構造方程式の追加的説明変数の選択基準との整合性を実質的に確保できることにある。この結果,多くの計量経済学者はこの二段階最小二乗法の採用に傾くことになった。しかし,そうはいってもこの方法が別の方法である情報制限最尤法に優ると確証があるわけではない。このため専ら講じられた措置は,これら両方の計測結果の並置であった。しかし,この措置は両方の計測結果に乖離を明るみにさらすことになるだけでなく,二段階最小二乗法による推定が単一方程式モデルの計測方法である最小二乗法で直接に計測した結果の近似値になるという問題をモデルの作成者につきつけることになる。このため,二段階最小二乗法の採用は,計量経済学が最適計測方法確定のための研究に力を向けざるをえない状況を作り出すことになった。計測方法の選択問題の解決には,推計学者が動員され,理論的側面での研究(パラメータの推定量を漸近的に展開することで,漸近効率を比較する方法など)と経験的側面での研究(モンテ・カルロ実験など)の両面で研究が進められた。しかし,最適計測方法の確定は,これらの一連の研究によっても成功的に解決されることなく,現在でも各種の方法によるパラメータの計測結果が並置して発表されているというのが実情である。

 「4.政策分析への適用」。この節では,同時方程式モデルが実際のマクロ計量モデルに適用され,当初の16本の方程式で構成されていたクラインモデルから千本を超す方程式からなるモデルの大型化への道をたどるプロセスが追跡されている。1950年代以降,計量モデルは多数作成された。この結果,それらのうちどのモデルが信頼にたるのかが問われるようになるのは当然である。各モデルのパフォーマンスを比較し,この問いに答えることが日程にのぼる。タイルによるモデルの事後的予測成績を示す指標の開発は,そのはしりである。しかし,タイルの指標は実際に利用するとなると,予測方式の選択という問題に直面する。それというのも,同時方程式モデルはそもそも計測結果の認定不可能性という問題を解決するためのモデルで,そこではモデルを予測にどう生かすかは明確に位置づけられていないからである。それをあえて予測に使うとなると,複数の方式(部分テスト,全体テスト,最終テスト)が競合することになる。実際にこの試みが展開されると,次に登場した考えかたは,これをモデル作成の際の判断材料として利用してはどうかというものであった。その際に問題となるのは,説明変数の選択の見地から,上記3つのテストのいずれを重視すべきかである。この問題を克服するために考えられた結果が,予測方式を一義的に確定する方法であった。しかし,そのためにはモデル作成の大枠の方法についての事前的な選択判断が必要になるが,その確定は容易でない。このことは結果として,モデル・ビルディングの方法をめぐる対立を引き起こすことになる。対立のなかからしだいに,認知されるにいたったのが計測された構造方程式から導かれた誘導型方程式を予測方程式として位置づけるクラインのアイデアであった。

 計量モデルの政策分析への適用は,政策手段と目標の間の関係を計量モデルで捉え,政府によって採用された経済政策の諸効果を定量的に明らかにすることを期待される。政策モデルといっても,その中身は通常の同時方程式モデルと形式的にかわらない。計測は同時方程式モデルを用いて行われる。ただ,問題になるのは計測以後の処理で,一定の操作によって政策モデルの縮約型が作成されなければならない。この試みの結果生まれたのが,短期の政策分析や長期的政策効果分析のために使われる決定モデルである。計量経済学者は,この政策モデルによって短期的経済政策の樹立にとって極めて有効であり,また長期的経済政策のそれも効率的に進めることができると自賛するのである。

 「5.計量経済学的手法の問題点」は,本稿のまとめである。筆者は計量経済学的手法の普及の背後に,同時方程式モデルを利用した事前的シミュレーション分析に対する信頼があるとみる。それでは,同時方程式モデルそのものの客観的妥当性はどうなのだろうか。この点を検討するには,同時方程式モデルの原モデルに妥当性が認められるか,またそれから導出される誘導型方程式の妥当性が吟味されなければならない。

 同時方程式モデルの妥当性の問題に関しては,ホーヴェルモが開発し,コールズ委員会のメンバーによって精緻化された同時方程式モデルの計測方法が利用されるのが常である。この場合,モデルの設定にあたっての諸仮定は,無条件で前提される。計量経済学者がいう同時方程式モデルによる単一方程式モデルの問題点の克服は,複数の方程式の妥当性を無条件的に前提することで,計測結果の「認定」問題を形式的に棚上げしたことを意味する。

 しかし,これではモデル分析の科学性に対する疑問は払拭されえない。そこで開発されたのが追加説明変数の選択基準との整合性を確保するための計測方法,すなわち二段階最小二乗法である。この方法が開発された理由は,最小二乗原理にもとづく基準を導入することによって,個々の方程式の妥当性を経験的に示し得ると考えられたからである。とはいえ,こうした基準では,単一方程式のみに終始した頃の経験を振り返れば明らかなように,モデルの妥当性は示されえない。このため,モデルの妥当性を無条件で前提としておく計測方法についても捨て去ることができないことになる。計測方法の複数性の問題は,こうした事情から生じたものである。計測方法の選択をめぐる混乱の根本的要因は,モデル自体の妥当性を明らかにしえない計量経済学の方法の困難そのものにある。

 計量経済学はその後,モデルの予測精度をあげることに傾注する。しかし,その試みの中身を仔細に検討すると,この予測成績を向上させる不断の努力はモデル分析の精緻化のための操作と言うより,計量経済学的モデル分析の諸前提に対する懐疑と批判を避けるために行われた操作という性格が色濃い。「こうしたモデルの大型化が極端におし進められるとどうなるのであろうか。・・・・計量モデルにおいては,経済理論的根拠の裏づけのないいわゆる統計式の占める比重が極めて高くなり,計量モデルは経済理論によって与えられる本来の理論的フレームワークから大きく離れることになる。したがって,今度は,逆に,『理論を無視した計測』というそしりをまぬがれえないことにもなるのである。/『理論に基づく計測』という目標を堅持するために行われたモデルの大型化の操作が,逆に,『理論なき計測』へと到達してしまうというのであれば,計量経済学内部において,『理論なき計測』という見地をストレートに打ち出す潮流が生まれてくるというのもうなずけるところである。したがって,モデルの大型化が進めば進むほど,内部混乱が深まりゆくほかはない段階に,計量経済学は到達しているといわねばならないのである」(p.250)。これが筆者の結論である。

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