野中氏が亡くなったそうだが、無視するしんぞうと持ち上げる小沢が対照的だと言われる。
死期が近づくと人は己のあり方を見直したりするものだが、行動がその個人の質によって大きく異なる。野中氏は最後までしんぞう潰しを諦めずに奮闘されて立派なものだったがそれにそっぽを向くしんぞうの心の小ささは論外として小沢の持ち上げも信用できるものではない。
人の評価と言う者は結局はどう行動したかが全てであり、いいことは言いまくるが行動がいつも最後は裏切ると言う人は結局、しんぞうと同じ穴の狢にすぎないからだ。
立派だった人をほめたからその人が正しい人とは限らない。相手方は常にそのようにして味方に見せかけて裏切る行為を繰り返してきたのだ。むしろ、そのような人物はしんぞうらの駒として動くために正しいように見せかけてるだけと考えるべきなのである。
ちなみに野中氏のような人物は亡くなられても霊的パワーは逆に強まり、より大きな念意を持った存在になってさらなるしんぞう攻撃をしてもらえるのでスピ的には生きておられた時以上に有効になったと言える。しんぞうらは消えてなくなるだけだがこう言う魂は不滅であり、正しくあった分だけより強くポジティブになるからだ。
共にしんぞう潰しにはげむ感覚でその思いを共有して念意を更に高めてもらいたい。
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