どこかへ行ったことの記録。

70s生まれ、船橋在住。海外出張や海外旅行を中心に、どこかへ行ったことの記録の備忘録。

2019夏 インド旅行記 雑感

2019-08-17 23:13:00 | 海外旅行記
50台に手が届くこのタイミングで初のインド。事前の情報ではとにかく個人で旅行をするのは大変だ、ということは想像できた。
また、治安・衛生・宗教・貧困など、全てが混沌として、一度行ったらハマるか拒絶するか、になると言われていた。
いまデリー空港で帰国便を待ちながら感じていることは、来る前にイメージしていた、受けるであろうカルチャーショックや拒絶感などはまったくなく、「これがインドか。」という割と客観的な感想。たかだか1週間の旅行での滞在で、何が言えるのかという話なのだが、いろいろな人がいて国があるように、「インド」という世界がある、ということを認識した、という感じだろうか。もっとも、牛が道路のど真ん中で寝ていたり、交差点ごとに物乞いがいたり、ターバンを巻いたイメージ通りのインド人がいたり、そういういみでは「インド」は始めての経験であった。やっぱり来て見て感じることは大切だ。


インドのトイレにあるハンディウォシュレット。使い心地抜群。
1週間、やはりお腹を壊しトイレには日に何度もお世話になった。インドのハンディウォシュレットありがとう。


また来たいか⁈と問われればまた来たいと思う。機会があれば。
エローラやアジャンタの遺跡や石窟はぜひ見てみたいし、南インドもぜひ行ってみたい。






2019夏 インド旅行記8日目

2019-08-17 09:00:00 | 海外旅行記
2019年8月16日(金)

今日はデリー市内観光。
前日しっかり休んだおかげでだいぶ体調回復。8時半前にホテルを出発。地下鉄でデリーを代表する世界遺産、クトゥヴ・ミナールへ。

最寄駅であるクトゥヴ・ミナール駅からはオートリクシャーで5分ほど。交渉で40ルピー。途中冠水したところがあり、対向車とのすれ違いはなかなかの迫力。


クトゥヴ・ミナール駅。

チケットオフィス。

入場券はトークン。なくすと罰金を取られるらしい。


600ルピーの入場料を払い中へ。

クトゥヴ・ミナールは尖塔のことで、1200年代に最初のイスラム王朝が記念して建てた建造物群。ヒンズー寺院を破壊して建立したイスラム寺院跡などもあり見応え十分。


敷地内にはリスがいっぱい。

クトゥヴ・ミナール。



どの角度から見ても絵になる。



回廊あと。

尖塔に描かれた紋様。コーランをモチーフにしているらしい。





鉄塔。3-4世紀のものらしい。

 




正門だったアラーイー・ダルワーザー。

未完のアラーイー。後代の王がクトゥヴ・ミナールより高い尖塔を作ろうと土台まで作ったが途中で暗殺されたらしい。


インドメトロのキャラクターと一緒に。クトゥヴ・ミナール駅にて。




続いての目的地はフマユーン廟。地下鉄を乗り継いで向かった。最寄駅JLN studiumからオートリクシャーで40ルピー。

フマユーン廟:ムガール帝国第2代皇帝・フマユーンの墓。かのタージマハルのモデルとなったらしい。


手前にあるイサ・カーン廟。

西門から臨むフマユーン廟。

おーっ!





廟のなか。



2つの世界遺産を半日で周り結構疲れた。幸いなことに曇りがちでそこまで暑くはなかった。

帰路にマクドナルドで昼食。念願!?のマハラジャ・マックを食す。なかなかボリュームがあり、いける。ピクルスではなく青唐辛子が入っており思いっきりがっついてしまった。マハラジャ・マック、チキンを食べたがベジはどんなんだろうか。興味あるところ。




マハラジャ・マック チキン。



ホテルへもどり午睡。
ちょっと食べ過ぎたか、何度もトイレに籠る…。

6時前に再始動。コンノートプレイスまで夕食を食べに出かけた。








なぜか力なく寝ている犬がやたらといる。


夕食はZafflanという、ガイドブックにも載っているホテル併設の高級インド料理レストランにて。前菜としてトマトスープ、ベジ(オクラカレー)とノンベジ(マトン)一品ずつ頼む。いずれもとても美味しかったが、量が多く食べ残してしまった。残念。 












真ん中がオクラカレー、右がマトン。

ウェイターさんに盛り付けてもらった。

締めのラッシー。


ホテルへもどりそのまま就寝。