いわさきちひろさんの絵が好きで、カレンダーは毎年買っている。ある都市で開催された展覧会では本当に初期の作品から最晩年の作品まで網羅されていて、何度も何度も足を止めて見入ってしまった。
ちひろさんの挿絵が入っている本も何冊か持っている。
誰もがそうかもしれないが、子どもの絵が好きである。今、机の左側の壁には、お母さんに抱かれながら赤いカーネーションの花を持っている幼子の絵が貼ってある。
ちひろさんの絵で最も印象的なのは眼である。眼の描き方ひとつで、表情、そしてその人物の持つ感情もすべて変化する。
写真で、目の部分だけ塗り潰してあるときがあるが、塗り潰しただけで、その人間を特定することは困難となる。眼というのはそういう身体の部分なのだ。
「この人に心当たりありませんか」という行方不明の人を探してほしいというポスターに、画鋲がさしてあった。両目の部分に。見た瞬間、ぞっとした。まるで、自分の眼に画鋲が刺さっているような意識にさえなった。慌ててその場から立ち去った。
あとになって、あの画鋲を取り外せばよかったと思ったが、その時はそんな判断力も働かなかった。
誰が、なぜあのポスターに画鋲を刺したのか。どんな意図で、どんな気持ちを抱えながら刺したのか。一種、病的なものを感じた。そのような病的なものがどんな時に吹き出すか。だれも予測は出来ない。
そんな時代に暮らしている。
ちひろさんの挿絵が入っている本も何冊か持っている。
誰もがそうかもしれないが、子どもの絵が好きである。今、机の左側の壁には、お母さんに抱かれながら赤いカーネーションの花を持っている幼子の絵が貼ってある。
ちひろさんの絵で最も印象的なのは眼である。眼の描き方ひとつで、表情、そしてその人物の持つ感情もすべて変化する。
写真で、目の部分だけ塗り潰してあるときがあるが、塗り潰しただけで、その人間を特定することは困難となる。眼というのはそういう身体の部分なのだ。
「この人に心当たりありませんか」という行方不明の人を探してほしいというポスターに、画鋲がさしてあった。両目の部分に。見た瞬間、ぞっとした。まるで、自分の眼に画鋲が刺さっているような意識にさえなった。慌ててその場から立ち去った。
あとになって、あの画鋲を取り外せばよかったと思ったが、その時はそんな判断力も働かなかった。
誰が、なぜあのポスターに画鋲を刺したのか。どんな意図で、どんな気持ちを抱えながら刺したのか。一種、病的なものを感じた。そのような病的なものがどんな時に吹き出すか。だれも予測は出来ない。
そんな時代に暮らしている。