イトバショウ(糸芭蕉) バショウ科バショウ属の常緑多年草)と高倉(たかくら)高床式の倉庫(奄美市名瀬 大浜海浜公園 展示)
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バショウ(芭蕉・学名:Musa basjoo)
バショウ科の常緑多年草。
英名Japanese fiber banana
中国原産といわれている。
松尾芭蕉の俳号「芭蕉」は本種にちなむ。wikipedia
耐寒性があり、関東地方以南では露地植えも可能である。
イトバショウ(糸芭蕉)の花序は夏から秋にかけて形成され、実がなることはあまりないとされるが2月でもこのようにバナナ状の実を付ける。一見食べられそうだが種が大きく、多くは食用には不適である。おいしい島バナナは実バショウとして区別される。
奄美沖縄では、昔から葉鞘(ようしょう 葉の基部が鞘(さや)状になり、※茎を包む部分)の繊維で芭蕉布(バシャギン)を織り、戦前まで衣料などに利用していた。沖縄県では現在もバショウの繊維を利用した工芸品が作られている。
※茎に見えるのは偽茎(ぎけい)と呼ばれ、葉鞘が地下茎から伸び、地上で何重にもなっていて茎に見えるもの。(ネギの食用部分など)サネンも同じ構造の偽茎である。
葉は大きく1~1.5m・幅50cm程 ここは海岸に近いので強風により葉脈にそって激しく裂けていたり、枯れて折れている。
奄美方言で不美人のことを「バシャ山」ということが昔よくあったが、その昔、不美人の娘をもつ父親がバショウの山を持参金として付けて娘をもらってくれと頼んだことに由来するといわれている。
初めて知りました。
ありがとうございます。
沖縄の国家とも言われる「芭蕉布」は本誌既報ですが、
あらためて芭蕉布について調べました。
あ、その前に、といいますか、読みながら、さくらさんがの「芭蕉布」をお聴き下さい(お手数おかけします)
http://youtu.be/EndgkNL-I6I
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芭蕉布(ばしょうふ) 奄美方言バシャギン。別名蕉紗。
wikipedia 沖縄県および奄美群島の特産品で、薄く張りのある感触から、夏の着物、蚊帳、座布団など多岐にわたって利用される。
1974年に沖縄県大宜味村喜如嘉の芭蕉布が国の重要無形文化財に指定されている。
肌衣によく用いられる絹織物の芭蕉織とは、全くの別物である。
おおよそ500年の歴史があるとされ、琉球王国では王宮が管理する大規模な芭蕉園で芭蕉が生産されていた。
庶民階級ではアタイと呼ばれる家庭菜園に植えた芭蕉で、各家庭ごとに糸を生産していた。
現在の沖縄島では大宜味村喜如嘉が「芭蕉布の里」として知られる。
一反の芭蕉布を織るために必要な芭蕉は200本といわれ、葉鞘を裂いて外皮を捨て繊維の質ごとに原皮を分ける。(より内側の繊維を用いるものほど高級である)
灰によって精練作業を行うが、芭蕉の糸は白くはならず薄茶色である。
太平洋戦争後、進駐したアメリカ軍によって『蚊の繁殖を防止する為』として多くのイトバショウが切り倒され、絶滅の危機に瀕している。
近年では、紅型の特徴的な美しい黄金色を染めるフクギや、アカネ、ベニバナを用いることもある。
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沖縄国家とも言われる
「芭蕉布」
吉川安一作詞・普久原恒男作曲
戦後沖縄音楽の祖・普久原朝喜の息子である普久原恒勇
普久原恒勇(ふくはらつねお) 沖縄大百科 Weblio辞書より
作曲家、プロデューサー。「芭蕉布」「豊年音頭」「娘ジントーヨー」「島々美しゃ」など、沖縄音楽ファンや沖縄県民なら誰でも知っている名曲の生みの
親。これまでに生み出した曲は400曲以上に達している。1932年、大阪生まれ。出世後すぐ、大阪で沖縄民謡のレーベル「マルフクレコード」を運営していた伯父・普久原朝喜(ふくはらちょうき)の養子となる。就学年齢を迎え沖縄に帰郷。終戦後に再び大阪へ戻り、養父の下でレコード製作の仕事に参加。平行して専門学校でクラシックを学ぶ。1959年、「マルフクレコード」を引き継ぎ、拠点を沖縄に移動した。
島唄、さくらさんが歌うとまた絶品ですね。
米軍による伐採は悲しい話ですね。
歌も木も残っていってほしいです。