参考サイト 沖縄県の歴史 google
この記事は、
琉球王国の時間的把握
琉球玉国は、宣徳四(1429)年から、
明治十二(1879)年の琉球処分=沖縄県設置によって
日本の一部に編入されるまでの450年間つづいた。
その間、沖縄は「琉球玉国」体制下にあり、あきらかに日本の一部ではなかった。
とするのが通説。
琉球と沖縄の名称
「琉球」の表記は、『隋書』(7世紀)の「流求」が初出で、その後さまざまな表記を経て「琉球」に落ち着いたのは明時代以降である。
明との交易が始まる14世紀以降、琉球側が自国の国号として「琉球」を用いた。
「沖縄県」という呼称は、琉球処分(明治12)の際に明治政府から与えられたものであり、「琉球県」とすることは用心深くさけられた。
「おきなわ(おきなは、あこなは)」の呼称の由来は、こちらをごらんください。
沖縄県の地理的把握 沖縄地図
沖縄県の東端は、北大東島(きただいとうじま)
西端は与那国島(よなぐにじま)東西約1000キロ
南端は、波照間島(はてるまじま)
北端は、硫黄鳥島(いおうとりしま)
南北400キロ
このひろがりは、本州の3分の2をつつむほどだ。
さて、北端は、硫黄鳥島(いおうとりしま)どこにあるのか。
鹿児島県の最南端与論島より北にある。それはなぜか?
つづく。