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沖縄県は広い 『沖縄県の歴史』 その2

2009年10月04日 | 本と雑誌

091004bookokinawa

参考サイト 沖縄県の歴史 google

この記事は、

2009年10月 3日 (土曜日)
『沖縄県の歴史』 (県史) (単行本)
  のつづきです。

琉球王国の時間的把握

琉球玉国は、宣徳四(1429)年から、
明治十二(1879)年の琉球処分=沖縄県設置によって
日本の一部に編入されるまでの450年間つづいた。

その間、沖縄は「琉球玉国」体制下にあり、あきらかに日本の一部ではなかった。

とするのが通説。

琉球と沖縄の名称

「琉球」の表記は、『隋書』(7世紀)の「流求」が初出で、その後さまざまな表記を経て「琉球」に落ち着いたのは明時代以降である。

明との交易が始まる14世紀以降、琉球側が自国の国号として「琉球」を用いた。

「沖縄県」という呼称は、琉球処分(明治12)の際に明治政府から与えられたものであり、「琉球県」とすることは用心深くさけられた。

「おきなわ(おきなは、あこなは)」の呼称の由来は、こちらをごらんください。

沖縄県の地理的把握 沖縄地図

沖縄県の東端は、北大東島(きただいとうじま)
西端は与那国島(よなぐにじま)東西約1000キロ

南端は、波照間島(はてるまじま)
北端は、硫黄鳥島(いおうとりしま)
南北400キロ

このひろがりは、本州の3分の2をつつむほどだ。

さて、北端は、硫黄鳥島(いおうとりしま)どこにあるのか。

鹿児島県の最南端与論島より北にある。それはなぜか?

つづく。


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