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映画『ゼロ・ダーク・サーティ』――執念と静かな戦争の記録

2025年06月27日 | 映画


映画『ゼロ・ダーク・サーティ』――執念と静かな戦争の記録
キャスリン・ビグロー監督

9.11以降10年にわたる“ビンラディン追跡”の記録を、一人のCIA女性分析官「マヤ」の(女性の)視点を通して描く。

前半のすさまじい拷問を含む取り調べ、これが民主義国家アメリカで行われた現実か?。

映画の主人公「マヤ」は、取り調べの場面では主に観察者または情報分析者として登場する。直接的には拷問には参加しない。

取り調べられる人物は、通常の刑事司法システムにおける「容疑者」とは異なる扱いを受けていて、彼らは、かならずしも明確な訴追手続きや法的地位の定義なしに拘束され、「テロとの戦い」の対象として描かれている。取り調べは闘いなのだ。

「マヤ」には、正義感や復讐心というよりも、任務に人生を賭けてしまった人間の孤独と執念がにじむ。スパイ映画にありがちなスリルや華やかさは一切排されている。

感情に訴える演出は最小限にとどめられ、代わりに事実らしきものが積み重なっていくことで、観る者の内側に緊張を呼び起こす構成。

終盤のビンラディン襲撃作戦は、ビンラディン確保、確認に向け、映画的な高揚感を抑えながらも、抑制された緊張が観る者の胸を締めつけ、どのように身柄を確保され、誰がどのように確認するのか?目が離せない。・・・・

作戦終了後、マヤが無言で涙を流す場面が、見ものでもあり、考えどころでもある。

本作は事実を脚色せず描いているという点で評価される一方、やはり拷問の有効性を肯定しているようにも見える点から批判も受けた。問答無用感は半端ない。世界のだれが反対できるのだ。やらなければ、また新たなテロが起き、市民が犠牲になるのだ。

だが、そもそもこの映画が語ろうとしているのは「正義の物語」ではなく、「どうしてもそうせざるをえなかった現実の過程」そのものである。物語の中で正義そのものは主張されない。・・そう見える。

真実とは何か?よく言われる問だが、真実は往々にして曖昧であり、そう単純には収まらない。この映画は、ヒーローも悪者も必要としていない。・・そう見える。

 


 

『ビンラディン殺害計画の全貌』 (オバマ大統領や元CIA長官、ビンラディンを追跡した諜報部員や襲撃を決行したSEALチーム6の隊員などへのインタビュー)というドキュメンタリー作品と併せて観ることで、本作がいかに感情を排し、事実と向き合おうとした試みだったかがより鮮明に浮かび上がる。『ゼロ・ダーク・サーティ』は、情報戦と国家の意志、現代の「見えない戦争」の姿を描いた静かな異色作として、地味だが見ごたえ十分であった。

ーーーーあわせて観たい。