東北アルパインスキー日誌 ブログ

東北南部の山での山スキー、山歩き、山釣りなどと共に、田舎暮らしなどの話を交えながら綴っています。

池の泥上げ

2006年07月10日 | 田舎の話
先日の日曜日は田舎の家の池の泥上げを行った。3年ぶりの池の大清掃なのだが、たまった泥は軽トラックで5台分の結構疲れるくらいの量。この池は3mくらい高い斜面の用水路から水を引いている為、砂と泥が少しづつ流れ込み、放っておくと何時の間にか池は埋まってしまう運命にある。

この池は「タナケ」と呼ばれる庭先に良くある光景の一つで、山間地、特に雪国の山形などでは古い民家に必ずあるもの。実はこの小さな池、当地では生活に密着した、無くてはならない存在となっている。特に冬は1.5mほどの積雪になると屋根から落とした雪が堆積し、終いには軒先を越える高さとなる。その為に池に投げ込んで少しづつ消雪して行く重要な役割を担っている。

また庭先の豊富な水は野菜洗いから鍋、釜の洗い、農機具の洗い、家の掃除の雑巾洗いなど、自然の恩恵を受けた有り難い存在。いざとなれば防火用水、子供の頃は贅沢な自家用プール・・・etc。また昔は春先になると鯉の幼魚を放ち、残飯などで丸々と太らせて正月の頃には大事なご馳走になると言う寸法。実に貴重なタンパク源で、子供の頃はと言えば鯉の甘露煮が最高の贅沢料理を教えられていた。今でも米沢など置賜地区では鯉の養殖が盛んで、かつての伝統文化が引き継がれている。何しろ魚といえば鯉、鮒それとびっしり塩付けにされたマスしか知らなかったので・・・。

先人の知恵とは素晴らしく、合理的で殆ど無駄の無い生活スタイルで、今頃になって見直され始めてきた「資源循環型社会」の最も良いお手本がここにある。ここ最近の中間山間地は70~90歳位の爺さん、婆さん位しかいなくなり、戸数も激減して集落そのものが崩壊してしまう例が珍しく無い。屋根の破れた草ぼうぼうとした廃屋を見るとやはり寂しい。

しかしこんな不便で冬の暮らしの厳しい集落でも、爺さん、婆さん達はまったく元気で、町に住む子供達の誘いなどに応じる事も無く、幸せな田舎暮らしを放棄しようとする人はあまりいない。いまさら知人もいないよその町で暮らす事に興味がなく、よけいなストレスは無縁の生まれ育ったこの地で、自分のペースで悠久の時間を過ごす事こそ価値があると思っているのだろうか。お金が大きな尺度をなっている我々の暮らしとは違い、人間本来の生活力溢れる生き方のようにも思える。

ちなみにこの春池に放った10匹の鯉は、池の水を抜いたときの不手際で昇天召されました。合掌。

コメント
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