ピアノと海と花との生活 Ⅱ

~創造する芸術~

エイトル・ヴィラ=ロボス

2009-09-24 | 音楽

         

      エイトル・ヴィラ=ロボスは1887年、ブラジルのリオ・デ・ジャ・ネイロで生まれました。

        父ラウールは、国立図書館に勤める文人で、すぐれたアマチュア音楽家でした。

        彼は、エイトールにチェロやクラリネットを熱心に教え、また彼の叔母さんもピアノを

        教え、さらに彼はギターも習得し、リオの街の民族楽団に参加するようになります。

                  12歳のときに、父は早世し、ヴィラ・ロボスは生活のためにチェロをひいて独学で勉強

        を続けました。

        彼は、オーボエを除き、オーケストラのすべての楽器を演奏することが出来たらしい。

        なるほどねえ。それであんなにむずかしいピアノ譜を書くし、オーケストレーション

        もおもしろいんだ!

        1905年には、ブラジル東北部に民謡の収集にでかけ、ごくわずかな期間だけ、リオ・デ

        ジャネイロの音楽院でアカデミックな訓練を受けるが、彼の音楽教師は、自分自身と

        膨大なスコアだった。すごいですね!

        1923年にパリに留学。この間に、アントゥール・ルビンシュテインや、エドガー・ヴァーレー

        ズらと交友を結ぶ。

        私は、好きな芸術家の伝記を読むのが趣味で、そこでの交友関係が特に気になり(笑)

        天才どうしの交流の場面は、すごく興奮してしまうのですが(笑)

        プロコフィエフの伝記を読んでいたときに、このヴィラ・ロボスもよく友人として登場して

        いました。

        プロコは以前、Ⅱのブログのお墓シリーズで書きましたが、

                  http://blog.goo.ne.jp/albalb23/m/200802

        彼の伝記は過激で、当時の新しい音楽に対する民衆の反応や、交友関係がすごくて、

        読み手としては非常におもしろいです。

        たとえば、1927年にパリで《鋼鉄の歩み》のセンセーショナルな初演には、

        ピカソ、ストランヴィンスキーとコクトー、ラヴェル、ルーセル、シュミット、オーリック、

        プーランク、ロボス、レスピーギ、コープランド、ピアノのコルトーとホロヴィッツが並び、

        精神病院から連れられてきたニジンスキーもうつろな目で舞台を見ていた・・・

        などというくだりがあります。どんな会場なんだ!ニジンスキーもきていたか・・・と思わず

        感慨にふけってしまう、という具合。

        プロコの伝記は非常におもしろいので、また後日取り上げます。

        ということで、話がそれましたが、ヴィラ・ロボスは幅広い芸術家の喝采をあび、

        1930年に帰国。代表的な連作、さまざまな楽器のための「ショーロス」(14曲)から

        代表曲となる「ブラジル風バッハ」全9曲を書き上げます。

        そして、リオ・デ・ジャネイロの音楽院の院長に就任してブラジルの民俗音楽に

        根ざした作品を創作し、祖国の音楽環境の向上に主導的な役割を果たしました。

        晩年まで旺盛な作曲、指揮活動をし、1957年ニューヨークで倒れ1959年故郷リオ・

        デ・ジャネイロで72年の輝かしい人生を閉じました。

        彼の伝記『白いインディオの想い出』は、彼の直弟子が書き、その孫弟子の日本人

        の鈴木裕子さんが訳した物で、これも非常におもしろく、別にヴィラ・ロボスのお墓の写真

        もあるので、これもまた後日書きたいです。

        尚、今回の冒頭の写真は、アルバム『Heitor Villa=lobos BACHIANAS BRASILEIRAS

                  No.7,9,8』からで、演奏もいいと思います。

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