楡林まで来てから大阪大学の深尾先生、東京大学東洋文化研究所の安富先生らと合流し、全国でも有名だった緑化の聖人、朱序粥氏の家をお盆に訪ねた。だったというのはすでに亡くなってしまっているからだ。家はそのままにひっそりとあった。部屋も何も変わっていなかった。壁には私が2009年7月に訪れた際に書かされた書が飾ってあった。その時にとっさに「学朱老精神、建緑色家園」と書いたのだが、下手な字でも飾ってくれていた。よく考えれば、その時にとっさに書いた通りに、大変なこともあったが、いろいろな人に助けられて紆余曲折で何とか今でも木を植えている。朱さんが「良く来たなあ」と言ってくれたような気がした。
今から10年程前、JICAのシンポジウムがウルムチであった。今回、カザフスタンからちょうどウルムチに戻ったとき、空港近くのホテルでぼーっとしていた時、「奇台県」という場所が頭に浮かんだ。10年前の記憶の中ではシンポジウムで何をやったかは申し訳ないが忘れてしまっていた。ただ、2つだけ、一つは酷暑の奇台県に行って梭梭の飛行機播種地を見に行ったことと、もう一つは夜の屋台でJICAで活躍していた西村暢子さんを囲んで若い皆さんでビールを飲んでいたことだった。ただ、その時の記憶もだんだんと忘れてしまう。おぼろげになってしまう記憶を戻してみようかと思いたったら早速にレンタカーを借りて奇台県まで梭梭林のその後の調査に行ってみた。奇台県へは3時間程で着いた。ここの梭梭林はかつては林業局管轄であったが、今は林地の権利を各牧民らに安く販売し、その牧民が梭梭林で生活ができるようになっていた。林地権を貰って牧民は大喜びだ。梭梭の生長はこちらの方が早い。かつては胸くらいの高さだったのが、3mはあるだろうか?ここの地下水位は高いため、水も豊富にあり、梭梭林の中に畑を作ってマルチ灌漑で種を採る瓜を作っていた。見事に自然が回復している中で農業を行なっていて、将来のアラシャンを見たような気がした。
カザフスタンから中国の国境を抜けると屋根の上の湖と呼ばれる賽里木湖のブルーがまぶしく現れる。この湖はどこからも入らず、どこからも出ないそうだ。さすがに屋根の上の湖だ。美しくて思わずたたずんでしまった。
カザフスタン・アルマティから1日がかりの乗り合いタクシーで国境を越え、バスで中国側国境ホルゴスに入る。中央アジアから内モンゴルは近いようで遠い。ここを行き来するのも大変だ。ホルゴスは最近できた国境の貿易の町、今は人口8万人くらいで、周囲は砂漠でまだ町が整備中だったが、国境の町はどこでも活気がある。将来は高速鉄道が通り、ヨーロッパまでの中継地点として発展するだろう。
ポケモンGOは世界各国で話題となっている。中国ではまだできないのだが、ウズベキスタンではポケモンGOができるという噂だったので早速ダウンロードして試してみた。Wifiがないとできないのだが、バザールなどに多くいるらしい。見るとバザールの上がポケモンジムになっているようだ。こちらでもブレークするのだろうか?
ウルムチからウズベキスタンに入る。ウズベキスタンへのネックは中央アジアにあるために交通費がかさむ。地の利という意味においては日本から遠い国にあるが、数十年前に何十万円もした時代から比べれば、だんだんと入りやすくなって来た。今後、中央アジアへの窓口はこの新疆ウルムチになるだろう。新疆というのは名前の通りに新しい土地という意味だ。清の時代に清の一部になり、そのまま中国になった。ただ、民族はトルコ系民族でイスラム教、文字はアラビア語を使う。このアラビア語、何とか読めるだけでもと挑戦したがすぐに挫折した。ウイグル語とウズベキ語はとても近い言葉なので、ウイグル族の人達が今後、中東等との交易を持つだろう。現在、急ピッチで整備を進めている。地下資源も多く、将来の成長が楽しみな場所だ。しかし、ウルムチという場所はイスラムの火種を抱えている地域にあり、今後、トルコやパキスタンのようなテロが起こる可能性がとても高い。そのためにとにかく警備が厳しい。本来、ウルムチから汽車か、ここから伊寧まで行って、ここから24時間のバスでアルマティ、もしくはキルギスのビシュケク経由で行きたいと考えていたが、時間がなかなか取れないため今回も飛行機でタシケントに入ることにした。バスだと途中のアルマティまで5000円くらいで行けるので安い。バスで行きたかったのだが時間がない。ここではホテルに入るのにもX線検査がある。食堂に入ると「どこから来たんだ?」と聞かれる。ウイグルの人は漢民族と日本人を見分けられるようだ。ここの人達も外国人に対してとても親切で居心地が良かったのだが、中継でしか行けないのが悔しい。
中国の町は風水の良い場所に作られる所が多い。アラシャンも裏に龍の山があり、町に3本の川があった?(今はない)と言われている。用があって貴州の村に行ってきた。鎮遠町といわれる侗族と苗族が住む町に入る。ここの町に入った際、久々に町に気の流れを感じた。ここにどうしても1泊したいと頼み1泊させてもらった。ここの町は山の龍と川の龍が住んでいた。ちょうど写真の山の龍が下りる所と、川がくねって丸くえん曲している場所の風水がとてもいいといわれるだけあって、とても流行っていた。ここは貴州の省都、貴陽から汽車でも行けるが、車でも約300km、3時間ほど掛かり不便な場所にある。普段、乾燥地にいるため、急な湿度の変化に慣れなかったが、中国にはいろいろな場所がある。夜は赤い提灯が町中で飾られており中世の時代に戻ったような錯覚を起こした。
今日はイギリスのEU(欧州連合)存続か離脱かの国民投票の日である。この動向により人民元も上下に動くからこそ注視している。昨年まで高騰していた人民元も少しずつ落ちてきている。都市部の不動産に投資が動き、そのため都市部の不動産価格は高騰しているが、逆に地方では下がっている。そして景気にも影響している。今年から日本に留学する予定であった現地の学生には昨秋に早めに留学資金を両替させた。今も元はじわりじわりと下がってきているが、今日の動向がとても気になる。もし離脱になれば12円/元くらいまで下がるかもしれない。先日もポーランドを訪問しており、昨今は日本や東南アジアと対立し、西向き、特に中央アジアから東欧、ヨーロッパを重点に動いているため、状況によっては風向きが変わる。特に最近は急激な為替の変化が世界市場を不安定にしている。
乾燥地のブドウは気温の変化が激しいため、とても甘くなり近年はワイン用のブドウを栽培する人が増えてきている。ただ栽培する際には、冬は寒さが厳しいため土にツルを埋め戻し春先に掘り上げるという重労働がある。これまでは人件費が安かったので、臨時に作業員を増やして対応できたが、近年は人件費の高騰で、雇用主もいろいろと知恵を絞っている。その一つが写真の方法だ。冬は土の中のビニールカバーの下に入れ春に取り出すだけでいい。また蒸発を防ぐため水の省力化にも繋がる。「まだ実験中なのだけどね」失敗するかもしれないが、こうした面白い取り組みをしている人がたまにいるので面白い。うまくいけば寒い乾燥地に広く普及するかもしれない。
毎年、この時期になると頭の痛い争いが起こる。それは保険の外交員より、知り合いを通じてあの手、この手で「うちの保険を買いませんか?」と連絡が来る時期だからだ。この争いは先週から起こっていたのだが、うちと契約すれば割引をする、という争いが、それこそ保険会社と契約する一歩手前まで続く。実際にはたいして変わらないのでどこでもいいのだが、「うちはガソリン券をサービスするよ」、「うちは個人の保険も付けてあげるよ」などと競争が激しい。ちょうど昨年と同じ会社と契約をしようとしていた瞬間、携帯が掛かってきた。携帯を取り、「ちょうど契約を進めている」と話すと「少し待ってくれ」と携帯の向こうから悲痛な叫び声が聞こえた。どこかに隠れていたらしい。そして数分もしないうちに外交員が窓口に入ってきた。あまりの勢いにあっけにとられていると「いい話がある」という。こういったいい話で、まともにいい話であったことがないので警戒していると「おたくは電話線がないだろう?」という。確かにセンターには電話線が引かれていない。なのでインターネットができない。痛いところをついてくる。「もし私の所と契約してくれれば、何と電話線を格安で引いて上げようではないか!」「でもポイントから2.5kmほど離れているのだけど、本当にそこまで引いてくれるのかい?」と聞くと「タダではないが、毎月800元の3年契約でどうだ」なかなか商売がうまい。これは中国版、ソフトバンクのやり方だ。彼は実は聯通という電話会社の社員でもあったのだった。この利点を利用しながら保険の外交員もしている。これを武器に取れれば成績はもちろんボーナスとなって返ってくる。成績の良い社員は豪華旅行などもできる。この必死さに、その場に居たホームの保険社員はタジタジになっていた。仕方なくあめ玉を持って「どっちの手に入っているかで決めよう」ということになり、見事、必死なこの外交員が神様の運を引き寄せ、アウェイの中でお客を奪うことに成功し、悠々とホームの保険会社に連れて行かれた。実際に契約の価格はほとんど変わりはないが、中国の保険というのは排気量によって高くなるのは仕方がないが、故障しにくい外車の方が保険が高く10万円/年ほどする割には事故が起きたとして、車両の保障はあっても、人に対しての保障というのは限りなく低い。一人あたりたったの1万元(15万円)、ドライバーでも100万円くらいしかケガの保障が貰えない。これはとてもあり得ない。それだけ事故が多いからなのだが、あまりにも保障が低いため、「これは保険ではないよ」と文句を言うと、半年だけ60万元(1000万円)の障害保険をようやく付けてくれた。横にいるスタッフも「私も付けてくれ」というと渋々付けようとしたが、50歳を過ぎた人は、ある意味危ないため、掛けるのは無理だそうで、結局できなかった。「俺の人生は保険さえも掛けられないのか、終わりだなあ」暗い顔をしている。事故を起こしても15万円しか保障がないのは保険とは言えない。雨の日に備えて対策を立てないといけないが、保険は高い割に何のリスク対策になっていない。さてどうすれば良いか?別の面で頭が痛くなってしまった。