自分がいなくなる

2008-10-11 11:08:19 | メンタリー・ヘルシー?
人と話していると、自分が外に出てしまう。

なんていうか、枠組みの外に。

相手のつらさとか抱えてる問題に組み込まれない自分を感じる。

そんなの、会話の常識上、あたりまえのことなんだけど。

たとえ、相手が自分のことで悩んでいても、そういう直接的なことを言う機会っていうのは、とても少ない。


そうだった。私もいろんな場面で言わないままだった。

私にとって、重要な人たちに、いかにかれらが私にとって重要か、ということを伝えないままだった。

そうこうする内に、年月はすぎ、っていう感じ。


最近、母と話したこと。

「お母さんは、私のやることにいつも否定的だ」
「・・・言葉ではそうかもしれないけど、行動においてはいつも全肯定やん」

あぁ、そうかもしれない。

ぼくらは言葉の力を信じすぎなのかもしれない。

言葉の表面に、力を持たせすぎてしまうのだろう。


言葉には、おもてうらがあるんだ。

裏を読む、というのは、穿った見方をする、っていうよりも、話している人が置かれている状況を読みとる、ってことなんだと思う。

言葉だけでなくて、もっと相手の存在全体に思いを馳せる、というか。

まぁ、むずかしいけどね。


それができるかどうかは、yes or noの世界でなくて、グラデーションなんだと思う。

比較的よくできる人と、あんまり上手でない人がいるというか。

つまり、ここまでできたら合格、とかそういうラインがあるわけでない、というか。

ただ、やっぱりね、年を重ねてる人に、ときどき、すごく人の状態を見抜くのがうまい人がいて、年を重ねることのいい面をまなぶ気がしている。


あぁ、ちょっと待って。

そういうことができる人は、小さい意味での自我を消しているのかもしれないなぁ。

つまり、私が、自分がいなくなる、と感じるのは、まちがった方向でもないかもしれない、ってことだけど。

ただ、自分がいなくなって、くるしい、とか、かなしい、とか思う内は、むりに消えてしまわないことだろう、と、未熟な私は思っている。

でも、消えちゃうんだよなぁ・・・。
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