
古くから金運上昇の御利益があるとされ、全国に約3500有るえびす社の総本社です。もともとは航海や漁業の神として信仰を集めましたが、室町時代以降のえびす信仰の隆盛で、商売繁盛に御利益がある福神エビス様として一般に知られます。毎年お正月の「十日えびす」、そして1月10日の「開門神事福男選び」は必ずテレビのニュースで放映され、毎年のように見続けてきました。現在のご祭神は、第一殿(東)西宮大神こと蛭子命(えびす大神)、第二殿(中)天照大神と大国主大神、第三殿(西)須佐之男大神です。さすがの有名神社で、神社会館や祈祷殿が近代的でした。
・大練塀。築土から宗銭、元銭が発見されたことから、室町時代に建造されたものと推定されます
【多くの寄り神と海部】
西宮夷の名が文献に見えるのは平安末頃の「伊呂波字類抄」が初めてなようですが、この西宮夷がどのような起源をもつのかは難しい問題だと、「日本の神々 摂津」で落合重信氏が書かれています。結局は、神社が御由緒として説明する伝承が真因になるようです。つまり、・・・・・・
また、この辺りには、海から上がったという神の伝承を持つところが多いようで、落合氏は以下の例を挙げられます。
- 東灘区本山北町 稲荷神社 一基の神輿が波に浮かぶ
- 灘区新在家南町 若宮神社 一の小箱が海辺に流れ来る
- 灘区大石南町 住吉神社 ご神体が海中より出現
- ・・・・・・
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これらは、寄り神的な要素が十分見られるところに注意すべきで、直接に海部の存在を物語るものも少なくないようです。こうした事から、西宮神社の起源も、寄り神的な考えを根底とする漁民(海士アマ)信仰の一つだったのではなかろうか、と落合氏は考えます。海部が・・・・・・
・拝殿
【廣田神社との関り】
そんな多々戎社が鎮座するなか、この社が現在に至る隆盛をみるに至ったのは、当社とゆかりある広田神社が・・・・・・
【西宮エビスの繁栄】
当社が西宮神社として独立して以降、こちらの戎神が全国に勧請されていきますが、江戸時代に入って1653年の火事(表大門と大練塀のみ残る。共に重要文化財)と1663年の再建後に、゛戎像神札゛・・・・・・
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【境内社】
境内には興味深い摂末社もあります。まず、百太夫神社。当社北に今も産所町がありますが、昔そこに住んだ傀儡子(くぐつし、かいらいし)が・・・・・・
・百太夫神社
大国主西神社は「延喜式」神名帳の菟原郡に載る式内社ですが、「五畿内志」を編纂した並河誠所が強いて西宮神社に比定・・・・・・
沖恵美酒神社は、元は境内外の荒戎町に鎮座してましたが、明治5年境内に遷座しました。通称゛あらえびすさん゛と親しまれる事から、えびす様の荒御魂とされます。これに関して、「大倭神社註進状」の裏書にある、椎根津彦命の広田西宮三良殿祭祀伝承では・・・・・・
【伝承】
蛭子(ひるこ)命や恵比須様は、一般に事代主命や少彦名命と同じ神様だと理解されます。出雲伝承の説明では・・・・・・
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・傀儡師像。神社北門から出て250mほど北に行った産所町にあります