
高槻から名神高速で向かうと、栗東ICの手前くらいで真正面に三上山(近江富士)の美しい姿が目に飛び込んできます。このように、それほど高い山でもないのにかなり周囲から望見できる姿を拝見すると、なるほどその山の北方(大岩山)から24個の銅鐸が発掘されるくらい、古代から神の山として信仰の対象になっていた事に納得します。
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【ご祭神・ご由緒】
ご祭神は天之御影大神。「先代旧事本紀」では、孝霊天皇の六年に三上山に御降臨され、社記によれば、その後約一千年にわたって御上祝が三上山を磐境と定めて斎き祀っていました。そして、718年に藤原不比等が元正天皇の勅命により、榧木原と呼ばれていた現社地に飛騨工を造営使として榧の木で社殿を作らせたとされています・・・・・・
・楼門。重要文化財
【祭祀氏族・神階・幣帛等】
当社の祭祀氏族は、野洲郡一帯に君臨したとみられる安国造と考えられていて、この氏族は「古事記」に記載があります。つまり、開化天皇の皇子・日子坐王の後裔の説明で、゛近江の御上の神職がお祭りする天之御影神の娘、息長の水寄比売と結婚して、産んだ子は、丹波の比古多々須美知能宇斯王、次に、水之穂真若王、(略)この美知能宇斯王の弟の水穂の真若王は、近江の安直の祖先である゛と書かれていますが、この・・・・・・
【中世以降歴史】
【社殿、境内】
当社の現在に残る社殿も貴重な建築物で、一直線に並ぶ楼門、拝殿、本殿がとりわけ・・・・・・
・本殿。国宝。向拝は連三斗の組み物ですが、身舎(側廻り)は古風な船肘木です
【所蔵神宝】
【祭祀・「芝原式」神事】
【伝承】
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