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ホワイトバンドの続き。OECD理事長に竹内佐和子東大教授が立候補したはずだが。。。

2005-10-18 00:41:18 | 外務省と原田武夫批判
大変すみませんが、今日はいつもにもましてまとまらないブログですが、そのうちまた書き直すかもしれません。

ホワイトバンドのページには世界銀行が最貧国に対する債務を帳消しにしたというようなことが書いてある。

こういうことを大きくサイトで書いてある場合、この世界銀行の決定がホワイトバンドの運動の高まりでなされた決定であるかのような印象を与えようとしている印象さえかもし出しているようにも見えかねない。

そんなことはありえない、そうした決定はこの運動とは全く関係ないところでなされたはずだと思われる人も多いだろう。自分もその一人だ。

しかし、だとしたらそもそもそういう運動や主張自体今ことさらに広げる必要があるのかということがむしろあらためて問われねばならないと思うのは私だけであろうか。

つまりいわゆる最貧国の対外債務というのが事実上帳消しになっている状態はかなり以前から続いているのではないかとも思われる。

これがはじめての帳消しかどうかはしらないが、もともと払われる見込みがないものを帳消しにしたところであまり意味はないのではないかと思われる。

それでもなぜ、こうしたことが行われるかといえば、さらにまた貧しい国々に借金をさせたり多額のODAを融資するためにこうしたいわば「身ぎれいにする」とでも言うような儀礼的なことが行われているのとしたら、これ自体一種のモラルハザードの悪循環の一部だといっても過言ではないだろう。

またいわゆる最貧国の中に中国やロシアが含まれるか分からないが、世界銀行の貧困の分析にはこの二つの国の貧困はかなり克服されつつあるものの、一応ロシアに関しては2004年の分析
こちらがあります。

中国に関しては都市部と地方で大きな開きがあるものの2001年の分析がこちらにある。こちらです。

ロシアも中国も大国であるが、こうした国も債務が免除されるのだろうか。

今はなんと呼ぶのが正式なのかは分からないがG8というのはもともと「先進国首脳会議」でSummitと呼ばれていてこれは冷戦時代に西側の諸国が集まって南北問題などについて話し合われるものであったのだが、いつのまにかロシアが入り込んでしまったようだ。

しかし考えてみるとアメリカにしても昔の話しだが、1920年代に関して「債務国から債権国へ」という言葉が使われるように昔は債務国であったのである。アメリカが債権国に転じたことには軍需産業の発達などがあったわけだが、考えてみると日本にしても戦後の経済復興というものは軍需特需が果たした役割は非常に大きい。

話が大きくずれてしまったが、ようするにここで確認しなければならないことは、債務帳消しを含めた対外援助のあり方として援助する国が民主国家であり治安が保たれているということが補償されているべきではないかということだ。

むろん軍事政権に支援することはまずいだろうし、かりに表向き民主化が達成されているかに見える国でも援助の恩恵が一般市民、国全体に行き渡っているかどうか常にチェックする必要があることは言うまでもないであろう。

日本はある意味敗戦後は民主化が達成され、自国のことのみに専念してこれたからこそ今日の繁栄が達成されたともいえるのだろうが、たとえば民主化された政府ということが世界銀行が分析している貧困の国の全てに達成されているかどうかは分からないし、ホワイトバンドのページでは「最貧国」が一体どこの国であるのか、自分は少しさがしただけでは分からない。

したがってどこの国の債務を帳消しにすべきといっているのか分からず、自分はこうしたことには詳しくないが、「世界の貧困をなくそう」といったようなきわめて曖昧な言葉で対外援助のあり方や南北問題の抱える難しい点が一切無視されてしまうということがあるのではないかということは言えるように思う。

「最」という言葉があるからといって、ある特定の国を指しているというわけではないようだ。

ホワイトバンドは先進国とか途上国といった言葉をたびたびもちいているが、先ほどかいてきたことは、つまりこうした線引きというのは「南」と「北」といった言い方でもできるのかどうかは分からないが国名を挙げなければ曖昧になる恐れがあるし、その考え方も必ずしも固定的にとらえられるものではないのではないかということである。

もちろん豊かな国と貧しい国は存在するが、日本が豊かだという人は、貧しい地方や私のような人を無視しているのだろう。

極端な話し国連ですら今は財政逼迫から老朽化した建物で雨漏りがして会議の場所を移動しなければならなくなったという報道があったばかりである。

これに関しては日本の国連大学もあることだし、日本のどこかに移すことはできないかとも思うが、いずれにせよ子どもが何秒に一人死んでいるということはどうにかしなければならないのはもちろんだが、いずれにせよ日本だって決して財政状況は芳しくはないので、それほど人助けばかりを言っていられるのかという問題はあるはずだ。

そしてまたはなしは戻るがホワイトバンドは「何で貧しいの?」と題されたページでこういうことを言っている。

こちらです

「借金を前の独裁政権の人が武器を買うためにしたのに、その借金を同じ国だからという理由で、民主化された後の政府が未だに背負っている国もあります」というのだが、これがどこの国のことだかまったく示されていないようだ。
たしかに、ウィキペディアのエチオピアに関する

こちらのページ

を見るとそういうことは言えそうだがこの国の80年代の状況というのはこのページで見ると惨憺たる物があったようだ。そしてその時代西側ではどうした文化現象があったといえば「バンド・エイド」などの大チャリティであってその創始者とも言うべきボブ・ゲルドフはホワイトバンドのページにも出ている。

このページ

には「20年前、アフリカ救済イベントで280億円の寄付を集め、喜んだのもつかの間、それがアフリカでは先進国への債務返済に一週間で消える額でした。寄付だけでは、貧困のスピードに追いつけないのです。みんなの意向を集めて、政策を引き寄せなければ」とあるのはようするにこうした運動に関して否定的なとらえかたをしている言葉のようにも聞えるが、80年代当時私がテレビで見た今はなきある高名な評論家の方は「ライブ・エイド」のエチオピアの貧困救済キャンペーンに関してだったと思うが、民衆の暴動が起きていることを引き合いに出して、そうしたチャリティ・イベントが当時の政権の延命につながりかねないことに言及していたと思う。

こうしたことで問題になるのは当たり前のことだが、国に対する援助はODAであれなんであれ、本当にその国の国民一人一人のためになるのか常に検証が必要であるということのように思われる。

国を通じた援助だとその国へまた日本の企業などがインフラ整備に乗り出すことで、これも公共事業になる可能性はあるし実際それはそうしてきたことではあるのかもしれないが、非常に曖昧ないい方になるが、金の使い方など気をつけるべき点は多いはずだ。

場合によっては自衛隊が直接その国に行って直接物資を配給したほうがいい場合もあるだろうし、できるだけそうしたほうがいいとさえ自分は思っている。

さてまた話は変わるが実はOECD理事長に東京大学の竹内佐和子教授が立候補しているはずだが、その結果が出たかどうかなどはまだ私はしらない。

たしかパリでも記者会見をしているはずだが、(こちらに書いてあります)そうしたことに関して外務省はまたどれぐらいの予算を計上したのか全くしなかったのかも私は知らないが、OECDの理事長にもし日本人が就任することにでもなったらますます日本はODAをふやすことになりそうで、非常に不安である。
                    
                     
                       文中敬称略


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