妄人妄語 衆議院議員野田聖子さんの選挙公約消去 有権者・国民を愚弄するサイト一時閉鎖に抗議します!「非道」はどっち?

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選挙公約を消した野田聖子さんや、スタッフさんへ。はい、また消してください。

2005-08-30 00:00:08 | 野田聖子批判

先日来繰り返しているように、野田聖子のサイトから「これが私の選挙公約です」が消えた。

このことを知ったとき私は愕然とした。

これは選挙の当落にかかわらず野田の卑劣きわまりない人間性の表れだといえるだろう。

そして今は「政策提言」の中にそのほとんどは「引っ越し」てある。

こちらから行ってください政策提言の下のほうです。

たとえばその「私の主張」と書き換えられたものの最初のものは「ゆるがぬ信念 日本の再建」となっている。

そしてこれをキーワードに検索すると以下のページがある。

これもどうせすぐに消えるでしょうが。。。

(8.31追記また消えた?ので他の言葉で探し出したものに変えました。また消えるでしょうが。。。

9.5すいません。私の指示通り???また消えちゃいました。
もうどうしようもないです。。。)

これで見ると上のほうに「これが私の選挙公約です」とかかれており、その下に「その2 公約1『ゆるがぬ信念日本の再建』」とかかれている。「その2」があるから、その1があるはずと思いさがしてみても、野田のサイトのドメイン名でのページは見当たらない。

繰り返しで申し訳ないが、以前示したキャッシュされた野田の選挙公約も消えてしまったので、あらためてこの卑劣な蛮行を告発し糾弾したい。

私はショックのあまりよく分からなかったのだが、「これが私の選挙公約です」に掲げられた最初のものは一部ではなく、そっくり消されていたのである。

そして公約として日付も示して一度政治家が発表されたものを「政策提言」の場所に移したのはかりに全く消したページがなかった場合においても改ざんであると思っている。

このことはできるだけ近いうちにあらためて書きたい。

最近は野田の選挙公約を批判する文ばかりを書いているが、これはそれなりにエネルギーがいることだと思っている。

別にこんなことをしてどうなるわけでもないと知りながらやっているのであるが、全く何の説明もなく自分が批判したものが消されしまいなんともいいようのない屈辱感を味わっている。

野田の選挙公約を探している過程で以下のページを見つけた。

これも消されるのかな???

よく分からないが野田のメルマガのバックナンバーらしい。そこには今は完全消去されてしまったページにも載っていた以下の文が載っている。

ホームページに新コーナー『これが私の選挙公約です』をもうけました。今後、来る総選挙公示日まで、このコーナーを更新しつつ、
私が国民の皆さんにお約束する政策課題をご説明してまいります。
ご関心とご理解をいただければありがたいです。



野田はそこにかいてあるように更新するどころか、削除したわけだから、そこに名前がある編集者もひどい裏切りをしていることになる。


消されたページのタイトルは『郵政民営化法案への反対は、構造改革への反対ではありません』というものであった。

それを消したということは、ようするに

郵政民営化法案への反対は、構造改革への反対であるということを自ら示したことになるのではないか。

最近、テレビで野田が反対のための反対ではない、と言い、それをそばで聞いていたおばさんが、「何でそれをもっと言わんの!」などと言っていた。

野田は「言ってるつもりなんだけどな」と言っていたが、これでは、

反対のための反対にもなってません

野田がいかにひどい政治家かまたあらためて書きますが、

いい加減自分もいやになってきたと言うかあまりにもレベルが低すぎて自分までさらにさらにレベルの低い人間になりそうでいやになってきます。

野田に関するものに限らずテレビの報道は本当にひどいもので、よくこの人たちはこういうことができるな、と驚きあきれます。

いちいち書きませんが、とりあえずまた野田の政策提言について書くつもりですす。

 
         
         文中敬称略

   (30日早朝少し直しました7:14)




選挙公約を一度全部消去の上改ざんした野田聖子をマスコミも支持者も当人たちも恥ずかしく思え!

2005-08-26 22:03:44 | 野田聖子批判

まず最初に野田聖子のトップページをあらためて現在のものと、キャッシュされたもので比較していただきたい。

キャッシュされたこちらのページ(29日追記ついにここも消えました。すいません。)現在のこちらのページです。


これで分かるように、野田聖子は「これが私の選挙公約です」という項目を自分のサイトのトップに設けて郵政民営化法案に反対した理由などを発表していたのだがそれらを全て消してしまったのである。

そして先ほど野田のサイトを見たら、8月26日更新と書いてあったので、どこを更新したのか目をさらにして探したところ、「政策提言」のところの下のほうに以前「これが私の選挙公約です」として書かれていたページがずらっと並んでいる。

今度は「これが私の選挙公約です」ではなく、「私の主張」になっている。

そして最初のものには私も指摘した銀行のATM手数料ならびに簡易保険に関するくだりはごっそり抜け落ちている。

キャッシュされたもとのページも今はない。

これは明らかに選挙公約の改ざんと言うべきではないか。

こういう誤りがあったので直しましたといった説明も一切なく、サイトの中味を変えられたら逆にこちらが不当な批判をしているかのごとく思われる方もいないとは限らない。



これは自分にとっては事件であるが、野田にほぼ完全支配されたマスコミはこういうことを問題にする気配はない。


最近テレビで野田が「最後までうそをつかず、言い訳をせず」などといっていたが、これがうそでなくてなんだろう。選挙公約を一旦何の説明もなくサイトから消した時点で政治家としてあるまじき大罪を野田は犯している。

しかも消されたページには「今後、選挙公示日まで、このコーナーを更新しながら、構造改革の本丸である財政構造改革の具体的方法を説明してまいります」と書かれていたのである。

普通「更新」といえば新しいものを付け加えてゆくということだと思うが、野田はこのコーナーを廃棄したわけである。

今回の更新は一度消したものを問題部分の一部を消して、よそにこっそりアップしたということであるが、その事情は一切説明されていない。


政治家は公約を守るかどうかが非常に大事であるのにまったく説明もなく一部削除して目立たないように載せるというのは政治家としてもっとも恥ずべきことだろう。


国会議員というのは単に選挙区の代表ではなく全ての国民の代表であるはずだ。
こんな人物をマドンナ、あるいは「女性総理」の候補などとはやし立てるマスコミも恥ずかしくないのだろうか。

私は野田聖子個人が政治家として非常に問題のある人物だと思っているが、こういうマスコミの低俗さ、および国全体の政治風土というのもきわめて問題だと思っていて、今回の選挙は実はそうした政治風土こそが個々の有権者の中で、問題にされねばならないと思っている。


野田の選挙公約が一気に消されたことにかんして私はここで強い疑問を呈してきた。野田ならびにスタッフがここを読んでいるかどうかは定かではない。

私は自分の意見を「参考」にして野田が自分のサイトを改変したという証拠を示すことはできないが、それを否定する証拠も持ち合わせていない。ATM手数料や簡保の件に関しては私が指摘する前にすでにその誤りを指摘していた人もいたし、その前に野田は選挙公約を消していたのだから私の指摘に従って自分の公約を改ざんしたと言うことではないかもしれないが、一度選挙公約を消した後で私のサイトを見て「こことここは消そう」などと決めた可能性は否定できないだろう。

いずれにせよ、ほぼ全てのマス・メディアを野田が制圧している状況にあっていくら野田の公約を批判したり、選挙公約の改ざんを指摘したところで、野田に入れ知恵することになりはしても、世間一般に野田の政治家としての無能力、無責任さを訴えるという点においては誠に非力である。

非力なのは最初から分かってはいるが、やりきれなさが残るのはいたし方がない。

サイトの更新が禁止される公示日を過ぎてからその批判をすべきであったと悔やまれる。


野田もスタッフもあるいは鶴保も自分が悲しくないだろうか。

政策秘書を含む(弟や妹も秘書らしい)秘書がいて、鶴保も応援に駆けつけていて、このざまである。

国会議員には毎年多額の歳費が支出されているはずだが、これほど中味もなければ倫理観のかけらもない人物が国会議員でいていいのだろうか。

全く何の説明もせず自分の選挙公約を変えることがいかにあさましく醜いことかまったく恥じることはできないのか。

今日はワイドスクランブルとかいう番組についての感想を書くつもりでいたが、野田のサイトの改ざんのショックですっかり忘れてしまった。明日になれば思い出せる保証はない。

とにかく野田がここまで無責任で狡猾な人間だと思わなかった自分を恥じるばかりである。


野田はまたどんな改ざんをほどこすかわからないのが、とにかくあきれてものも言えない。

テレビでは各党のマニフェストを比較したりしているが、この有名政治家のやってることを少しは注目してほしい。

対立候補の方々に置かれても、ぜひ参考にしてほしい。

そのためにあらためて野田が消したものを復元することを引き続き検討していることもお断りしておきたい。


             文中敬称略


野田聖子の郵政民営化反対の理由は共産党に似てますが

2005-08-25 23:57:28 | 野田聖子批判

昨日取り上げた野田のページとよく似た内容を共産党がアップしたようだ。

こちらです。


共産党は、以下のような書き方をしているのだが、野田の主張と似ている。


郵便局は(中略)現金自動預払機(ATM)の引き出し手数料もとらず、ATMの障害者対応も進めています。
一方、民間大銀行は各種手数料を利用者に押し付けています


共産党は野田と比べれば細かい数字を出しているだけ余計に始末に困るのだが、郵貯に関してはATMの手数料を持ち出し、銀行に関しては「各種手数料」などという書き方をしているので、これも野田聖子と同じように郵貯がいかに便利で、銀行がけしからぬということを針小棒大に主張しようとしていることに変わりはない。


そもそもたくさん銀行がある中でなぜ東京三菱銀行(すいません、以下Tとりゃくさせてください。わたしもくたくたで今書いてることも必ずしも自信ないです。なんかあったら野田聖子みたいに一気に消すかもしれません?!)が選ばれたのか(他の銀行も触れられてはいるがわずかである)不思議である。


そもそも郵便局と銀行を単純に比較できるか疑問があるが、もしあえて比較するなら民間の銀行の各種手数料を平均したものと比べるべきではないだろうか(それは制度が複雑で難しいだろうが)。


自分にとって都合のよいものだけを取り上げてさも鬼の首でもとったかのように銀行は手数料を高くとっているぞ!というのはおかしいのではないか。


民間でも手数料の安いところはあるので、むしろ手数料を最も安くしているころと比較すべきではないだろうか。


もっとも共産党が持ち出している数字にもすくなからぬ疑問がある。

共産党は送金手数料に関して郵貯とTとを比べているのだが、Tの横には(他行あて)と書いてある。

つまりこれはTから他の銀行への振り込み手数料と言うことなのであろう。

さて郵貯のほうには何も書いてないがこれはいわゆる郵便振替というもので、これは少なくとも振り込まれる側は郵貯の口座に限られるのではないか。


ちなみに郵貯から銀行への振込みに関しては限られた銀行でしかできないのではないか。

この件に関してはいかの二つのページをご覧ください。

こちらと

こちらです




したがって郵貯のところには共産党は何も書いていないが、そもそもこういう比較をすること自体おかしいと言うことではないだろうか。


もしどうしても郵便振替と比較するなら、Tに関しては同じTの口座への振り込み手数料と比較すべきであって、わざわざ(他行あて)などと添え書きして違う銀行への振り込み手数料を書くのはきわめて不公平かつ無責任かつ不正確ではないか。

比較するならできるだけ同じ条件で比較するようにするべきだろう



こちら
で見るとTのATMでTの同じ支店の口座にキャッシュカードを使って振り込む場合は(値段にかかわらず)無料、、Tの違う支店の口座へは3万円未満の場合105円、3万円以上で210円になるようである。

郵便振替に関しては何種類かあるが通常払い込みで機械扱いの場合(これがATMでの利用ということであろうが)一万円以下が60円、10万円以下が110円、100万円以下が210円になっているこちらをご覧ください

(翌日0:55追記:ただし「通常振替」は送金額にかかわらず一律15円らしい。
なんか種類が複雑で自分にはよく分かりませんが。。。)

いずれにせよ振込みの金額などを考えれば必ずしも全ての場合にTの手数料の方が割高というわけではないのではないだろうか。

いかんせんわたしは金融弱者であるのでマネーのことには全くうとくあまりこの内容にも自信はないが、いずれにせよ共産党も野田聖子もおかしな比較をしているなという印象はいなめない。


それと野田は共産党に移ったほうがいいとも思う。


                 文中敬称略




消えた?野田聖子選挙公約の不思議:ATM手数料105円って。。。

2005-08-24 14:15:20 | 野田聖子批判

消去された野田の選挙公約一応こちらですが、昨日みたくすぐ消えるかもしれません)には以下のように書かれた部分がある。

現在、銀行預金のATMでの取り扱いには105円の手数料がかかります。生命保険への加入には職業などによる制約条件があります。ATM手数料0円の郵便貯金、だれもが入れる簡易保険を捨て去ることが、生活者の利便性の向上につながるのでしょうか。小泉総理も竹中大臣も民営化がそういう結果をもたらすことを、国民には全く説明しませんでした。

あのぉ。105円の手数料っていわゆる「時間外手数料?」のことではないでしょうか。

いちいち自分の通帳を見たり、こちらのページなどを見たりしている自分もどうかと思いますが、振込みとかは別でしょうけど、ATMと同じ銀行(自行というのですか?)の口座からの引き落としなどは

一応昼はたぶん全ての銀行で無料ではないですか。

このことも、あとで書くこともすでにネット上で指摘されていますが、はっきり言って事実と違うのではないですか?

事実と違うことであればそういうことを書いた時点で非常にまずいことで、いろいろな人が怒るはずだとも思うのですが、たとえば今年の4月4日の野田聖子の「ひとこと」には以下のような一節があります。



民間においては、ATMを含めた営業時間の延長や手数料の引き下げなど、利用者の誰もが一度は思う改善が遅々として進んでいるのか、いないのか

こういう書き方を見ると非常に意図的に具体的な事実は示さず、全体をぼやかしながら「民間の銀行は不便」で「郵便局は便利」という印象を国民に与えようとしているとしかわたしには思えないのです。

こういう書き方をすること自体、野田聖子自身が民業圧迫、官から民へではなくお金の流れを民から官へ意図的に変えさせようとしているといわれても仕方がないでしょう。

わたしが銀行関係者なら営業妨害の可能性があるので厳重に抗議します。

ちなみにわたしの理解が正しければATM手数料と言うのはそれ自体「時間外手数料」あるいは他行の口座からの引き落とし(振込みなども含まれるかもしれません)などについて言うのではないでしょうか。

野田は郵便局の営業時間などは全く示さず「銀行預金のATMでの取り扱いには105円の手数料がかかります」といい、「ATM手数料0円の郵便貯金」と比較するのは全くわたしには理解できない。

野田は「小泉総理も竹中大臣も民営化がそういう結果をもたらすことを、国民には全く説明しませんでした」とも書いている


むしろ野田聖子にこそここのところを説明してほしいです。


なぜ選挙公約を消したのかももちろん説明すべきだと思います。

まさか本当に銀行などから本当に抗議がきて、適当に手を打ったということではないでしょうが。。。

いずれにせよ、最近は銀行もいろいろ「なんとかクラブ?」にはいったりすれば、時間外手数料が無料になったりもするのではないでしょうか。

こういうことは検索すればすぐ分かると思うのですが、ATMの営業時間もかなり延長されてきてもいるとわたしは思います。


今ではネットバンキングというのもできているし、コンビニにもATMはあるようなのでそもそもATMと言うのを野田が非常に固定的に考えているらしいこと自体、わたしには意外です。


郵政公社も便利ですしいろいろ改革されてることとは思いますが、民間だってそれなりに郵貯を意識していろいろがんばっていると思うのですが、それは一切無視するのはおかしいでしょう。

今銀行がそれぞれしのぎを削って競争しているときに一括して「銀行預金」として片付けるのはおかしいとしか思えないです。


民間の銀行にはいろいろな手数料優遇などがあるのでその情報に追いつこうといろいろ情報交換している人たちがネット上にはいるのですが、全くそういうことには興味を示さず「民間においては、ATMを含めた営業時間の延長や手数料の引き下げなど、利用者の誰もが一度は思う改善が遅々として進んでいるのか、いないのか」と書くのは政治家として無責任のそしりを免れないでしょう。


「民間」あるいは「郵貯」などとと一括して論じること自体がおかしいと思うのは「ひとこと」の中で先ほど引用した部分の直前で以下のように述べているくだりである。



私など単純なせいか、駅前などにずらり並んだATMコーナーを眺めつつ、夜7時には早々とライトが消えている民間金融機関の隣で郵便局のはまだ動いている。助かるなぁ、がんばっているなぁ、と素直に思ってしまう。


これも単純すぎるのではないだろうか。「国会議員は単純な人のほうがいい」と言うなら話は違うが、そもそもこういう比較がどうしてこんなに簡単にできるのか単純すぎて、わたしは理解できない。

しかしそれで終わりならこちらまで無責任と思われるかもしれないので、東京の北千住というところについてみると、みずほ銀行の千住駅前支店の平日のATMは8時から21時まで使えるようである。

みずほ銀行の千住駅前支店に関する情報はこちら


郵便局で21時まで(21:36訂正すみません21:00以降でした)
使えるATMを備えたところをこちらから足立区内でさがしてみると3つしかないようだ。

なちなみに足立区内の郵便局のATMは17:30にはしまるものが多いようだ。


なおここではあくまで郵便局のATMに話はしぼっている。

検索にも限界はあるし都会と地方という違いはあるが、いずれにせよ野田の言い方は正確さに欠けるのではないか。



野田の郵政民営化法案の反対の理由および民間銀行に関する認識はこういうわけでわたしは噴飯ものだと考えている。


野田の「生命保険への加入には職業などによる制約条件があります」という部分にかんしてはわたしはいろんな事件などもあったことなどから、生命保険への加入のさいの診査がある程度あるのはやむをえないと思う。


ここでも野田は民間の生命保険を一括しているようであるが、「職業などによる制約条件」と対比させる形で「だれもが入れる簡易保険」などと言うのも正確さにかけるのではないか。

簡易保険もいろいろ商品があるようであるが、たとえばこちらの簡易保険の特徴と言うページを見ると「無審査」ですとしながらも「現在病気にかかっている方などの加入を無選択で承諾するものではありません」とかいてある。

しかも「被保険者(中略)は郵便局の職員の面接を受けていただきます」とも書かれてあり、「郵便局の職員による面接観査と健康状態に関する告知に基づき、基本契約及び特約の申込みを承諾するかどうかを決定しています」としてあるので、「職業による加入制限がありません」といってはいるものの、「誰でも入れる」と言えるかどうかかなり疑問である。

と言うわけで、わたしは野田聖子の選挙公約にはそれこそ山ほど疑問があるのだが消されてしまってものすごい脱力感に襲われている。

なんとも言いようがない。


  (文中敬称略)

14:45分まで少しずつ直しました。また論旨を変えない範囲で直すかもしれません。



野田聖子はサイトのTOPから「これがわたしの選挙公約です」を消した理由を説明すべし

2005-08-23 13:55:46 | 野田聖子批判

野田のサイトのTOPには依然として「これがわたしの選挙公約です」が見あたらない。一応、ネット上にはあるようで、ブックマークに入れておいたが、

こちらです

野田のサイトのTOPからそのページを見出すことはわたしにはできなかった。


もしかしたらTOPからリンクは消したもののファイルは消し忘れたということか。

だとしたら今わたしがリンクをはったこのページも抹殺される可能性もある。


(16:32分追記見事に消されました。もしかしてスタッフさんご覧いただいてるのでしょうか。ありがとうございます?!

こちらにも考えがありますけどね。)




自分は野田が発表した選挙公約を批判する記事を書いたさい、全体の文脈などを野田のサイトで参照することをこのサイトを見る方に求めた。

野田のサイトは名前を入れて検索すればすぐ行くことができて、選挙公約もすぐ見ることができると思ったので、リンクも貼らなかったが不親切だったかもしれない。


いずれにせよTOPのCONTENTSを変えて選挙公約をお蔵入りさせてしまったのは私だけでなく、選挙民、いや、国民全体に対してひどく失礼なことではないだろうか。これに関してきちんとした説明をしてほしいものである。

まさかネット上で野田を批判するわたしのような人間を混乱させるためにやっているとは思いたくないが、今のところ何の説明もないようなので勝手に推測するが、これは野田が選挙公約を説明することをまぬがれようとしてわざとやっていることではないか。

テレビは相変わらず「造反議員のマドンナ」として野田をまつりあげ対立候補に対する漠然とし印象を聞いてその答えをたれながすだけで、全くこの政治家に具体的な政策をきくことはしない。

野田はきっと選挙民はサイトなど見てはいないと思っているのではないだろうか。

でなければそんなことはできないはずである。

野田は祭りに行ってたこ焼きをやいたりバレーボール大会などで挨拶することが大事で選挙公約などどうでもいいということなのだろう。

それとも文句があるやつは本を買えとでも言うのだろうか?

ようするにこれは地元選挙民のみならず国民全体を愚弄しているのではないだろうか。

もしかしたら自民党の対立候補が出てきたのでその人に見られないようにかくしたということかもしれない。

まともな議論になったら自分は勝てそうもないので、自分の選挙公約を前面に出すことはやめたということではないだろうか。



                (文中敬称略)

野田聖子のサイトから選挙公約が消えたのか、消したのか???

2005-08-22 16:29:31 | 野田聖子批判

こちらの野田聖子の公式サイトにあったはずの「これがわたしの選挙公約です」とか書かれていたものがすべて消えた模様だ。

どこかにあるのかもしれないがとにかくTOPのcontentsにはないようだ。わたしは野田のサイトから公約が消えたことを証拠として保存するあるいは証明することはできないがこれをご覧になった方は確かめていただきたい。

もちろんこのあとすぐに元通り復活される可能性もあるが、手直し(改ざんと言ってもよいと思うが)されて発表される可能性もある。

わたしはすでに発表されている野田聖子の「選挙公約」を見て自分なりに考えを書いている。

リンクは貼っていなかったが、いずれにせよ自分が批判した元の文章のたぐいが消えたり手直しされたりしたらたまったものではない。

できるだけ早い時期に同じ状態で復元されることを強く希望する。

もし、選挙公約が一両日中に今までと同じ状態で復活しない、あるいは何らかの変更がほどこされるようなら、自分がよそにスペースを用意してでも野田の公約の一部を先に発表されたそのままの状態で示すことも検討する。

もちろん一度発表された公約を一週間かそこらで全て消すなどということはわたしには全く考えられないことであるのですぐに前と同じ状態で復活することと思うがいずれにせよあまり人を驚かせるのはやめてほしい。



                 文中敬称略


16:47分に少し字句を訂正しました。これからも論旨を変えない範囲で訂正等します。

ちなみに選挙公約は今の時点でもまだ復活してないようです。

野田聖子はなぜ女性候補擁立を歓迎しないのか。

2005-08-21 22:16:03 | 野田聖子批判

野田聖子は国会議員に中年男性(野田は「オヤジ」とさげすんでいるようだが)が多いことを問題視していながら、昨日取り上げた講演の中でこうも言っている。


できるならばもっと男性の中で男女共同参画社会という新しい概念の専門家が一人でも多く出てほしい。(中略)すなわち女性の私がこの話をしても、皆さんは相変わらず女性の権利の主張としか取ってくれないと思うんです。


たしかに男性も女性の問題について積極的に考えると言うことは必要であろう。
しかし、野田のような考え方をしてしまうと女性が男女共同参画社会について論じることは無駄だということになりかねない。そもそも野田は「女性」ということにこだわりすぎなのではないだろうか。

もっとはっきり言えばマスコミは野田が女性だからもてはやしているということがあるはずである。もちろん野田自身もそういうことはたぶんに意識しているはずであり、だからこそ『私は、産みたい』などという女性にしか書けない本を書いたのだろう。

つまり野田は自分が女性であることを「売り」にしている政治家でありながら、時として自分が女性であることが自分に不利をもたらしていると主張する政治家でもある。

むろんこれは野田に限らず、多くの女性の言動に見られるパターンだと言ってしまっては怒られるかもしれないが、野田の場合は特にその傾向が顕著である。


わたしは政治家が「女性」ということをことさらに主張する時代は過ぎ去りつつあると感じている。


週刊文春には野田の発言として、今は混乱の時期である、女性が本当に有能であると思うなら「平時」に出すべきで、こういう時期に女性を担ぎ出すのは女性をバカにしていると思われても仕方がないというような(手元に週刊文春がないのですが大筋ではこのようなこと)ことを言ったらしい。

その一方で今回女性の対立候補が出たことに関しては「いえ、別に。。。自分も女性ですから」という受け答えをマスコミの前でしたようであるが、これは全く週刊文春に紹介された発言内容とは異なっている。

わたしが野田聖子という政治家に根本的な不信感を覚えるのはこうした全く相反する発言をしているようであることであって、野田の発言をどのようにとらえればよいのかしばしば途方にくれる。


わたしはむしろ混乱の時期に女性を出すほうが、女性を頼みにしているのではないかと思う。混乱の時期というのはどういうことかは分からないが、これはようするに「自民党が混乱している時期」ということだろう。

もっとも混乱とか危機的状況とか言い出したら今がそうとは思えないが経済的なことに関してはいつもそういうことがいわていて、もちろん今も景気が回復しつつあるということはあまり認められていないようだ。


いずれにしろわたしは今回の選挙では女性の候補が多く(実際の数字はまだまかもしれないが)擁立され、マスコミの注目をあびれば多くの女性にとってむしろ喜ばしいことであると思う。


仮に話題づくりのための女性候補擁立であったとしても、女性の側からすれば、これが国会におけるさらなる男女共同参画社会の推進につながる可能性はある。

なぜ野田はオヤジの国会議員が多すぎると文句を言いながら、女性候補が擁立されることを歓迎しないのかわたしには不思議でならない。

野田も女性だから野田の選挙区に関して女性の議員が増えるということではないにしても今回、野田の言葉で言えば「混乱」の時期だからこそ、野田は注目されているということもあるはずだ。

ちなみに野田の対立候補として予測される人について、今回自民党が発表した人以外一体どれほど報道がなされただろう。

顔はおろか名前すらほとんど紹介されていないようである。

つまり今回の「混乱」で一番得したのは野田聖子自身であって、こういう状況では野田に対抗して立候補表明すること自体至難の技だと言うことができるのではないか。

野田は自分が大変な状況に追い込まれていることをさかんに喧伝しているがそうする事によって人々の哀れみを誘い人気を得ようとしている印象はぬぐえない。

わたしはそれを女性と結びつけることにはためらいを感じるがいずれにしてもこういう政治家はこれからの日本には要らないと思うことに変わりはない。



疑問だらけの野田聖子の講演1地元の高齢者の人はサイトを見てるのか?

2005-08-20 23:59:12 | 野田聖子批判

野田聖子のサイトにはある講演の内容が載っている。

一気にそこへいけるか分からないのだが、TOPのページから「最近の講演・シンポジウムから」→  ついで
「政治が変わる、女性が変える~少子化対策をもっと真剣に 男女参画社会へ男性も声を~第315回中日懇話会(2001年9月14日)」というところをクリックしてほしい。


ずいぶん前の講演ということになるが、野田聖子のサイトには驚くほど論文のたぐいが少ないのでこういうものでも目についてしまう。

テレビなどによく出る割には本当に具体的な政策の少なくその中味も自分には分からないところが多い。

またマスコミにはよく出るものの批判されることは全くないといってよいのではないか。


なにかというと「初の女性総理」になれそうだとか、「造反議員のマドンナ」などともてはやされているが、その中味はそう呼ばれるにふさわしい人なのかよくご覧になってほしい。

もちろん自分にも誤解などはあるかもしれないので全体的な文脈などは野田のサイトで確認してわたしの批判が適確かどうか見る人にはもちろん各自で判断されたい。


まずこの講演ではテロに関する考え方が信じられないのだが、それはできるだけ近いうちに論じることにする。


野田の講演の中で目立つのは以下のくだりである。



  二つ目には国会議員にオヤジが多過ぎること。産み育てることの大変さの自覚がない人が多過ぎる。基本的にはお母さんが子供を育てているのだけれど、その苦労が分からない人が多いので、非常にとんちんかんな少子化対策がはびこった。



つまりここでは野田はオヤジは駄目だと断言しているのである。

たしかに中年男性(オヤジをやや丁寧に言うとこうなるだろうか)は若い女性の苦労は分からないかもしれない。

国会議員に中年男性が多いことはたしかであるが、だからと言ってそこまで中年男性を罵倒していいのだろうか。

野田聖子を迎えた地元の自民党の人たちはわたしがテレビを見た限り中年男性が多いようであったが、野田はここに書いてあることをその人たちに言ったのであろうか。


あるいはそこにいた中年男性たちは野田のサイトにあるこの講演内容を読んで野田の支持を固めたのだろうか。

わたしにはそうは思えない。ようするに野田の政策や発言をまじめにチェックしてはいないのではないか。もしチェックしていたらこういう政治家を支持できる人は少ないのではないかとわたしは思う。

部分的な引用になるが野田は「想像してください。七十歳のおじいさんと十六歳の男の子、どっちがご飯を食べますか」などと言って、以下のような結論をだす。



 つまり今問題は、お金を使わないところにお金がずいぶん行っていて、そこにたまっている。お金を使いたいと思っているところにお金がない。さらにはお金を使える世代、お金を使って消費をする世代というのが減ってきているということなんです。


野田は「こういう根本的な日本の姿を国会でだれも問い掛けてくれたことがない。私ぐらいしか言ってないんです」というが、こんなことはあちこちで聞いていてだれが言ったかを指摘するのも難しい気がするが、野田は全ての国会質疑をチェックしているのだろうか。


その点はあえて問題にしないが、野田は以下のようにも言っている。



年金というのは貯金するためにあげているのではなくて、使ってもらうためにあげているんだという意識をもう一度持ってもらうこと。それが高齢化社会に向けて必要なんじゃないかと思うわけです。使ってもらうためにあげているのに、貯金されちゃったら郵便貯金も困っちゃうんです。そんなにお金要りませんから。



この引用の直前にこれと同じことを言っていてお金を使わなければ小泉に怒られるということを冗談めかして言っているのであるが、ようするにこの部分は小泉氏と意見が同じであろうということか。


たしかにこれは真実であろうと思う。

高齢者に限らず日本は貯蓄率が高いと言うことは確かであろう。野田はこうした貯蓄率の高さの原因として以下のように言う。


だけど日本国政府の上手な情報操作によって何だか高齢化社会というのは暗やみだと、地獄だと、ならくの底だというようなイメージを私たちは持ってしまっている。


わたしには野田自身のこの講演そのものが高齢化社会のイメージをひどく暗いものにしてしまっていると思われてならない。

わたしが引用したところをもう一度引用してみる。



国会議員にはオヤジが多すぎる。


あるいは


お金を使わないところにお金がずいぶん行っていて、そこにたまっている。



これも高齢化社会を暗いイメージで固める発言ではないだろうか。



わたしの記憶が正しければ、野田が地元である一軒家を訪問している姿がテレビで映った。「ばあちゃん、きたよ」などといっていた。


まずこういうわたしから見れば。「戸別訪問」に当たるものが合法的なものかわたしにはいささか疑問がないではないが、その点は今は問わない。

問題は野田がそこでどういう話しをしているかである。

「貯金しないでお金を使わなきゃ駄目ですよ」などと言っているのだろうか。


そんな非常識な話はない、とわたしは思う。人がお金を使おうが貯金しようがその人の勝手だと思うからだ。またお年よりはとくに近い将来高い医療費や介護に金がかかる場合もある。


そういうことを考えて貯金していたとしてもそれは仕方のないことだと思う。

野田は今回発表した公約の中で「世代間扶養は社会の構成員としての義務であり、高齢者に対する感謝と敬意を表すあるべき姿勢」というのをかかげている。


いま取り上げた講演内容を見たわたしには非常に意外な公約である。

そしてその公約には以下のような一説もある


「高齢者」の定義をより柔軟に。「高齢者施策を受けない自由」も検討する。


これは一体どういうことなのかよく分からないが、ようするに高齢者のところには金が行かないようにするということなのだろうか。

今後のさらに具体的な公約の発表を待ちたいと思う。

いずれにせよわたしには野田聖子は高齢者を尊敬するよりいじめそうな政治家だという印象はぬぐえない。
            
                 文中敬称略


野田聖子も鶴保庸介も自民党を離党したほうが国民には分かりよいはず

2005-08-19 23:24:24 | 野田聖子批判

週刊文春に野田聖子が言ったとされることが書いてあった。

それは先日来野田がテレビカメラの前で言っていることを思い出させるものであった。

自分は今週刊文春をもっているわけではないし、テレビも録画したわけではないので正確さに欠けるかもしれないが、わたしの記憶が正しければ週刊文春に載った発言は「小泉氏がやっていることは社長の言うことを聞かない社員は全員クビと言ってるのに等しい」ということであり、テレビで言ったことは「小泉政権を否定しているわけではなく小さな法案に反対しているだけなのにどうしてこんな目にあわなきゃならないのか」と言ったことであった。

どうも野田のこうした発言のたぐいは「自分は自民党にいじめられている」ということを最大限主張していることのように思えてならない。


実際そうかもしれないが、やはり郵政民営化に賛成かどうかということは決して小さなことではないし、会社と政党とは本質的に異なると思う。


はっきり言ってこういう発言をテレビの前でしたり週刊誌が書いて全く疑問も提示されないと言うのは、わたしにはどうも野田聖子がメディアをジャックしているように思えてならない。

たとえばどこの会社でも社員が会社の悪口をテレビやネットで公に表明した場合、まったくお咎めなしと言うことがあるだろうか。


そもそも政党と会社は比較できるたぐいのものだろうか。


政党がかかげる政策は選挙に当たって「その政党に所属する議員はその政策にみな賛成し協力するはずである」という前提のもと選挙民が参考にするものであるはずだ。


むろん全ての政策に関して全ての議員が賛成というのは時として難しいのであるが、だからこそ党内の意見の一致を見るために自民党の総裁選というものがあったのではないだろうか。


小泉はかねてからの郵政民営化論者であり、わたしの記憶が正しければかなり以前に全ての国会議員に郵政民営化の主張を書いた文書を配布したとテレビで述べていた。


もちろん総裁選でも郵政民営化をはじめとする構造改革も主張していたし、その改革を自民党が邪魔するならば「自民党をぶっこわす」ということもいっていたのである。


造反議員と呼ばれていた人たちはそのことを全く知らなかったのだろうか。

知っていたらそのときに離党するべきではなかったか。


今頃になって自民党は造反議員に離党勧告をすることを検討しているようだが遅きに失した感は否めない。

衆議院で自民党で反対にまわったものが出た段階で離党勧告すべきだったのではないか。


野田聖子はたしかテレビで地元の人は「野田聖子こそ自民党といってくれるのではないか」と言っていた。

たしかにそうであろうとわたしも思う。しかしその場合の「自民党」と言うのは「談合的体質」という悪い意味での「自民党」である。


自分の政策が小泉の政策と違うなら堂々と自民党を出て戦えばよいではないか。


なぜ重要な点で政策が違うのに自民党にこだわり続けるのかよく分からないがそれがようするに「自民党的」なところだとも思えるのでこの際自民党は本当にこわしてほしいと思う。


野田も鶴保庸介も今回の選挙は厳しいと見ているようだが、これだけメディアを独占してそういうことを言うのは一体どういうことなのだろう。


いわゆる同情票が集まって圧勝するとわたしは見ている。


もっともそれをねらっての発言かもしれないが。


選挙がどうとかこうとかでなく、堂々と自分の政策や考えを述べればいい、というよりそうすべきなのだ。


野田も鶴保も地元の人だけでなく国民全体がすっきりと理解できる政治行動をしてもらいたいものだ。

                    
                 
                (文中一部敬称略)

大量国債発行の道を開き世界一の借金王とまで言われた小渕政権の郵政大臣野田聖子さんが財政再建???

2005-08-18 22:32:30 | 野田聖子批判

野田聖子が自分のサイトで選挙公約を発表した。全ての公約を一挙に、というわけではないし、きわめて大雑把なものでしかないので自分のように政治や経済などにまったく詳しくないものにはこんな素晴らしい政策をかかげる野田聖子はなんて素晴らしい政治家であることか、と感心しかけてしまう。


しかし、この公約は一体どのようにして実現されるのか、あるいはどの程度実現の可能性があるのか、さらには公約が実現されなかった場合どのような責任の取り方をするのかといったことについては今のところ書かれていないようである。


もうわたしはいい加減、この人にかかずらわるのはやめたいのだが、この人が何か言うたびに非常な反発を感じているので、先日来、いくども野田聖子を批判する文章を書いているかの観をていしているにもかかわらず、まだ言いたいコトの何分の一しか言えずにいる。


ここではまず野田が財政再建について述べていることに関していくつか疑問があるのでここに書いてみたい。


たとえば以下のような部分。


私たち国民は今この時点で、一人あたり800万円を超える国債、つまり借金を背負わされています。一家4人の家族であれば3200万円の借金です。そんな借金をいつの間に、と思われるでしょう。


いつのまにもなにも野田聖子が郵政大臣を務めた小渕内閣で大量の国債が発行され世界一の借金王とまでまで自他共に認めるようになったのではなかったでしょうか。


わたしは野田聖子の在任期間がいつだったかは知らないし、当時の経済状況からして景気対策が求められていたことは認めるが、少なくとも郵政大臣時代、内閣の一員あるいは元閣僚として国債の大量発行に関して物言えるいた立場に野田聖子はあったのではなかったか。


野田聖子は自分はこの国の借金が膨れ上がったことに関して無関係だと思っているようだが果たしてそう言えるのかどうか。


そうしたことには一切触れずに、「そんな借金をいつの間に、と思われるでしょう」などとまるでとぼけたようなことを公約に書き、国債の発行を減らせとか、財投債を停止しろというのは、あまりにも自分のことを棚に上げすぎているのではないか。


さらに野田聖子は「谷垣財務大臣は、今後とも財投国債など相当なものを発行していかなければならず、国債の発行額がストックとして増えていく流れはしばらく続けざるを得ないと答弁されました」と言っているが、これからも国債を発行しなければならないと谷垣が考えている理由は一切書いていない。


その理由は書かれていないのでこちらで勝手に推測してよければ、もちろん国債発行にはいろいろな理由があるだろうが、金利が低いとはいえすでに発行されている国債の利払いや国債償還費用がさらに財政を圧迫し、新たに国債を発行しなければならない状況をつくっていることもあるのではないか。

野田はいきなり国債の発行を大幅に減らしたり財投債を停止することができると考えているようだが、それは無理なのではないかとわたしは思う。




野田は「郵政民営化を行っても、国債の発行が増大し続ける限り、私たちが預けたお金や保険金は国債購入に充てられます」などと言っているが、わたしにはこのくだりはいろいろなことがごちゃごちゃになっているようにも思われる。

財投債に関してはわたしもできるだけ停止できればそのようにしたほうがいいとも思うが、


少なくとも国債に関してその発行を減らすためにはまず財政の支出のうち何をどれだけ減らすのかと言う点が明確に示されない限りそういうことをいっても信頼性はない「公約」に思えてならない。


いきなり国債の発行を減らすことはかなり難しいと思うが、


いずれにせよその実現のためには思い切った支出削減が必要だと思うが、たとえば野田は自分の選挙区に交付される地方交付税交付金に関してどうしようと言うのか。そういうものに率先的に手をつけることなくして国債の発行を減らすことはできるのだろうか。


また今日新たに見た公約を見ると、「子ども省(仮称)」を創設するなど、まるでわたしには理解に苦しむ「公約」を発表している。

これでどうやって国債の発行を減らしていくと言うのか、まったく不思議である。

また「子ども保険・基金(仮称)」の創設と言うのはようするに増税である。



こういう「公約」をかかげる政治家が総理になったら本当にえらいことになるとわたしは思う。



                 文中敬称略


争点をぼかして政治をワイドショーそのものにするマスコミとそれに便乗する野田聖子

2005-08-17 22:55:06 | 野田聖子批判

今回の選挙の争点はずばり「郵政民営化」にあるというのがおおかたの見方であろうと思うのだが、これに野党や造反議員が反対しているようだ。

困ったのはマスコミの多くが同じように選挙の争点を単純化してはならないかのような論陣をはっていることだ。

わたしは新聞はとっていないし、サイトもあまりチェックしていないが、少なくともニュース番組を見る限り、評論家や政治家を招いてそういうことを言わせる姿勢が垣間見える。


たとえば先日の『報道ステーション』ではコラムニストの天野祐吉が今回の解散を名づけて「猫だまし解散」と言っていた。

郵政民営化ということでパーンとやられて国民は他のことは忘れさせられたといっていたようであるが、さすがにうまいことを言うものだと思った。

しかしこの人は他の機会にも「猫だまし」という言葉を使っていたことがあるような気もした。

つまりこの言葉が好きなのかもしれない。


また『筑紫哲也NEWS23』は昨日から中途半端な小泉の批判キャンペーンのようなことをやっているようだが、野中広務がでて、「目くらまし解散」ということを言っていた。

ちなみにこの言葉は差別用語だったかどうだっか定かではない。確か議論のある言葉だったように思うが、いずれにしろ野中が使ったのでそのまま使わせていただく。

「目くらまし」にしろ、「猫だまし」にしろたしかに今回の解散劇や、小泉氏の政治手法にそういう言葉が当てはまる面はあるのかもしれない。

しかし、マスコミがこういうことを言うのは非常に珍しいのではないか。


いつどの選挙でどのマスコミがということは具体的に指摘できないが、マスコミはしばしば「選挙の争点が不明確である」として多くの機会に批判してきたのではなかったか。


しかるに今回の選挙に限って「内政外交ともに手詰まり状態であるのをごまかしている」というような小泉氏に対する野中の批判をそのままたれながすのはどういうことだろう。


何より不思議なのはなぜ「郵政民営化」を争点にしてはならないのかということだ。


選挙の争点を何に絞るかは、まず政治家がそれを提示した上で国民一人一人が考えればよいのだから、小泉にだまされるなみたいな主張はマスコミが国民を愚弄している証左ではないのか。


本当にマスコミにしても候補者にしても政局や選挙運動などの追っかけゲームをしている間に真剣な郵政民営化に関する議論や問題点の掘り下げをしたほうがよいと思うのにマスコミも造反議員もこぞって小泉の政治手法ばかり問題にして議論が一歩も先にすすまないようだ。


それをしないのはようするに郵政民営化に関する議論をすれば野党や造反議員が不利になりテレビ的に面白くないと感じているからではないか。


わたしは見逃してしまったが、けさのTBSの朝の番組欄では、「造反vs刺客が大激論」というのに続けて、「野田聖子夫妻愛のドラマ」という文字が躍っている。


ようするにテレビというのは全てがそうとはいわないが、見る側の嗜好というか政治的興味にあわせて作られていることは否定できないだろう。

週刊誌や新聞も同じであろう。


はっきりいって国民は政治的主張などには興味がなく、政治家の夫婦が愛を貫く???姿にひきつけられるということだろうか。


少なくとも「野田聖子夫妻愛のドラマ」などという言葉を思いつくマスコミは国民をその程度にしか思っていないのではないか。


               文中敬称略

もはや野田聖子の玉音放送と化してしまった『報道ステーション』をはじめとするテレビメディア

2005-08-16 21:34:22 | 野田聖子批判

先日紹介した立花隆の論考(こちらです)の中で立花は小泉氏の「人気」に関して「毎日テレビにかこまれて、自分勝手な自己宣伝をすることが自由に許されるとしたら、誰だって、相当の支持を集めることができる」と主張している。

これはいわゆる番記者たちが公邸でおそらくは毎日インタビューしていることを批判しているのだろうか。


わたしは必ずしもすべての点で小泉氏の意見を支持するものではないが、どうもこうした小泉氏に対する批判は不当なものに思えて仕方がない。


今回の解散劇では、小泉氏のメディア戦略が批判されているようだが、有名人などに立候補を依頼しているところなどは反発を感じる点はあるものの、それほど小泉氏がメディアを巧みに利用しているとはわたしには思えない。

解散後の記者会見などもNHKを除けば一体どれだけTVで流されたのだろう。

番記者との会見もいつもぶっきらぼうとも思えるぐらい簡素な答え方しかしていないようであるし、(それもメディア戦略の一つかも知れないが、いずれにせよある程度のメディア戦略は首相がするのは当然であろう)それが最初から最後まで放送されたこともないのではないか。


むしろメディアをうまく利用しているのはいわゆる「造反議員」の方で、特に野田聖子の場合は目に余るものがある。

たとえば昨日の『報道ステーション』では夫婦で新幹線のなかでマイクを向けられた野田聖子はいろいろ夫がアドバイスしてくれるということを言っていたが、いやしくも大臣の経験がある野田聖子がなぜ鶴保庸介のアドバイスを請わねばならないのか非常に不思議で仕方がない。

選挙運動にしろ、マスコミの対応にしろ野田聖子も思いもつかぬ知恵と言うのが鶴保庸介にあるのだろうか。

あるのだったら鶴保庸介の方ももうすこしは有名になっていてもよいはずではないか。


さらに疑問だったのはこの夫婦が8月14日に靖国神社を一緒に参拝していることである。おそらく小泉の参拝を「期待」して多くのマスコミが陣取っていたに違いない。そこへ野田夫妻は参拝に行くことでさらにマスコミの注目をあびようとしたのではないか。


不自然なほどこの二人にとって都合のよい場面だなと思ったのはこの夫婦が靖国神社を歩いているところへ、いきなり中年男性がやってきて野田にたしか「郵便局員です、がんばってください」といったことだ。

野田はにこやかに握手しながら「誤解が多くてね」などといっていた。

わたしもそう(郵便局などに関して誤解があるということ、より正確に言えば自民党の郵政改革の必要性の主張の仕方に誤解を招く部分があるということ)は思うが、この場面はテレビ的にあまりにうまくできすぎていやしないか。


これがやらせだとは言わない。やらせだとしたらこれほどプロモーションビデオのようにうまくは行かないものだと思う。


しかし、その場面は他のマスコミはまだあまり野田にカメラを向けていなかったようであることなど非常に不思議な部分は多く、真相は分からないが、

いずれにせよこういう場面をまったく無批判に流すこと自体、完全に野田聖子のプロモーションビデオ製作かつ放映をテレビ朝日が請け負ってしまっていることになるのではないか。



こういう場面を流すぐらいなら何が郵便局に関する誤解なのかそういうことを少しでもインタビューなどで答えるべきだろう。


なぜマスコミはこれほどまでに野田聖子に肩入れした放送をするのかわたしには理解不能であるが、どうせ野田聖子の特集につぐ特集を放送するなら、申し訳程度に他の候補の名前や顔や短すぎるコメントを流すのも何の罪滅ぼしにもならないのでやめたらどうか。

それにしても野田聖子に声をかけた男性は鶴保庸介にはまったく声はかけなかったのにこの鶴保という人はなぜこの男性に会釈していたのだろう。


ようするに鶴保庸介は郵政民営化には賛成だけれど、妻の応援をしにいくことでテレビに写り、有名になることで、来るべき自分の選挙にも優位を図ろうと言うことではないだろうか。


「テレビやマスコミというのはそういうものだ」といってしまえばそれまでだが、とにもかくにも残念である。

「毎日テレビにかこまれて、自分勝手な自己宣伝をすることが自由に許されるとしたら、誰だって、相当の支持を集めることができる」というのは小泉氏よりもむしろ野田聖子に当てはまる。

               文中一部敬称略

これでは『報道ステーション』ではなく『偏向報道ステーション』になっちゃいそう。

2005-08-15 23:32:14 | 野田聖子批判

先ほどまで『報道ステーション』を見ていた。

いろいろと感想はあるが、靖国参拝を小泉が見送った事に関して、おどろおどろしい音楽やイメージ画像を流して、小泉が靖国問題を争点にしないようにするために参拝を見送ったということを問題視しながら力説しているようであった。


こういう推測や悪いイメージ作りの報道をいつになったらテレビ朝日はやめるのか。


きっと永遠にやめないだろう。


それに比べて野田夫妻に対する追っかけ取材に次ぐ追っかけ取材では野田の声を直接何度もそのまま流してできるだけよいイメージを作ろうとしているようだが、これで公平な報道と言えるだろうか。


テレビ朝日に関しては以前椿発言で明らかになった偏向報道の経歴がある。


まったく何の反省もないまま今日のような事態を迎えているのは非常に残念でならない。


それにしても今日コメントしていた人は小泉氏に靖国問題に関してどうすれば気が済むのだろう。

靖国にいけば、当然「けしからん」、行かなければ「争点にしないようにするために行かなかったのであろう」ということでけしからん。

靖国も争点だとまで主張する権利はどこにあるのか。

マスコミが争点でも何でも決めるのでそれに従わないものはけしからぬということか。


一体テレビ朝日は首相に靖国に行ってほしかったのか行ってほしくなかったのか。


テレビ朝日にとっては「靖国に行くのがけしからぬ」というのではなくて「小泉はけしからん」あるいは、「野田聖子はかわいそうだ」ということを言いたいのか。


まったく自分にはよく分からないが、いずれにせよ報道の仕方がひどく偏っているようなきがして仕方がない。

                文中敬称略

石原慎太郎東京都知事は国政に出ないならテレビでも都政の話を中心にするようにできないのか

2005-08-14 22:53:25 | つぶやき

石原慎太郎氏が今朝も二つのテレビ番組に出て今回の選挙などについて話していた。

以前小泉首相から電話が来て、「外務省を通さずにブッシュとの会談で横田基地の問題を取り上げますから」と言われたなどと話していたようだった。

問題はその後横田基地の問題はどうなったかであるが、そういうことは一切話さなかったようだ。


この人は新党は旗揚げしないと言うわりにはいつもテレビに出て、国政の話ばかりしている。

この人の肩書きはあくまでも東京都知事なのだから都民のために仕事をするべきではないだろうか。


テレビに出て話をするのが駄目とは言わないが、自分が見るときはほとんどいつも外交や政局の話しが多く、東京都の問題について話されることはほとんどない。

都政の話はいつもほとんどつけたし程度にしか話していないと思うのは私だけだろうか。


ようするにこの人は本当は総理になりたかった人なんだと思う。


実際、総裁選にも立候補したわけで、総理を目指すのはいいのであるが、自分がやるべき仕事はあくまで地方自治の仕事を最優先すべきであって、テレビに出るときもそういう話題の話しをできるだけするようにするのが知事の務めではないだろうか。

もし東京都政より国政に興味があるならなぜ国会議員に立候補しないのか。


国政や外交に関する意見はそれなりに興味深いが、別に石原慎太郎氏でなければ言えないようなことを言っているわけでもないようだし、いっそのこと都知事も辞めて評論家にでもなればよほどこちらもすっきりした気分でその意見をきけると思うの。

立花隆先生のアメリカでの日本の解散劇の報道の描写について

2005-08-13 21:33:46 | マスコミ批判

評論家の立花隆氏がアメリカに滞在中だそうで、日本経済新聞のサイトに「海外メディアが伝えた小泉・郵政解散劇の評判」と題した論考を載せている。

長くてわたしもくわしくは読んでられませんが、こちらです。


立花氏の主張はアメリカでは今回の解散は日本では大ニュースだが、アメリカではほとんど報じられていないということと、郵政民営化がアメリカの圧力であることにほぼ集約されるものだろう。

いろいろ反発を感じた点もあるが、まず解散して選挙があるということに関してはそれほどアメリカで大々的に報じる必要はないのではないか。


選挙の結果が出てから報じるぐらいで充分でしょう。

また一般的アメリカ人が日本についてあまり知らなくてもそれほど気にする必要もないとすらわたしは思う。


日本だってアメリカのニュースがどれだけ報道されているかと言えばアメリカのトップニュースでもあまり報道されてはいないというのが実情だろう。


アメリカで今回の解散について報道していないことについてたとえば「USA TODAYは、完全に無視して、1行も報じなかった」としている。


わたしは雑誌の方の最近のUSA TODAYはまったくもっていないが、USA TODAYのサイトでJapanese Koizumi で検索するとAPの記事が出てくるようで以下のページになります。


こちらです。

記事はAPのものらしいですが、USA TODAYが無視してるとまでいえるかどうか、自分は疑問です。


APのものらしいが、ビデオもある。


またNew York Times のサイトでJapanese Koizumi で検索すると、

ここへ飛びますが、立花氏がこの画面を出すのは到底無理ということでしょうか。そのうちこの画面も出なくなるかもしれませんが。。。

それを見れば、New York Timesは解散前から解散を予測した記事を少なくともサイトには出していたことが分かる。

なおNew York Timesは無料の登録をしないと小見出しぐらいしか見られない。

またイギリスのBBCもわりと今回のことは新聞の社説を比較して詳しく報道しているようだ。

こちらです。

というわけで、立花氏はどうも紙メディアを見ただけであまり報道されていないと結論付けているようだが、アメリカではサイトは見ないのだろうか。

アメリカにいる立花氏がこうしたサイトに気づかず、ひどく環境の悪いところにすんでいるわたしがこうしたサイトに気づいているとしたらこれもずいぶん皮肉な話しではないだろうか。

立花氏はインターネットに関する著作もあって議論も読んでいるようではあるが、いずれにせよ小泉首相のことを「ちょっと頭の弱いポピュリスト政治家」と呼べるほど頭がいいとは自分には思えない。

自分もそれほど頭はよくないですが、一応英語ぐらいは少しは読めて、検索の仕方もそこそこできるつもりです。



追記(21:56):ただ最初、USA TODAYのサイトを検索する能力がまったくないかのように書いてしまいましたが、これはもともとAPの記事のようですのでそこまで言うのはやめます。文章も少し変えました。題も変え、その後もちょこちょこ直してます。

いずれにせよ、それほどネット上の情報をあまり見てはいないようであるとは思います。