妄人妄語 衆議院議員野田聖子さんの選挙公約消去 有権者・国民を愚弄するサイト一時閉鎖に抗議します!「非道」はどっち?

すいませんがコメントはご遠慮いただいてます。選挙公約に関する記事はカテゴリから「野田聖子批判」を選択してください。

今ごろですが振り込め詐欺の電話

2005-09-29 23:23:17 | クダ

こういう話を脚色するのはまずいかもしれませんが、ちょっと落語風にアレンジ?してあります。

最近知らない男の人から電話がかかってきて母が出ると、お宅の拓也さん今痴漢して捕まって警察にいるんですけど、ないてますよ、といったそうだ。

これはいわゆる振り込め詐欺だと分かった母親は、まだ朝早いこともあり受話器をそこにおいたままトイレに行ったそうだ。

それでかえってくるとまだ話しているのできいてみると、どうしますか?お母さん、と言ってくるので、うちのボケた母は「息子ですか?今トイレにいますけど」といったそうである。

すると向こうは「バカやろう、それ早くいえよ!」と激怒したそうだ。「早く死にますよ」と言って脅かすのでよせばいいのにまた母は早く死ぬのはいいですが、苦しみながら死にたくないですと言ったそうである。

しかし考えみるとボケ老人を相手に電話代を使っているほうも大変である。もっとも電話番号や名前はわかっているのでなんだかコワイが、とにかくこれだけ振り込め詐欺に対する警告がキャッシュ・サービス?に貼られているのにまだこういうのがあるというのは残念なことである。

うちの母だけでなく知り合いのお年寄りなどもこうした電話に対して長いこと相手にしているらしいが、電話番号を知られているので危険だからやめたほうがいいような気もする。

さてそれはそうと、なにかの折に私が「オレオレ」と電話したら母は相手にしてくれるだろうか。もしかしたらガチャンといきなり切られるのではないかという気もする。


なんと元経企庁長官の堺屋太一氏が。。。

2005-09-29 00:18:58 | Weblog

こちらのサイト

何のサイトか分かりますか?

ちょっと分かりにくいというかいかにもいかにもなサイトのような。

いかにもといえばいかにもですが、これはまだほとんど建設中のサイトのようですが、実は女子プロレスの会場(団体?)新宿FACEというとこのサイトなんですね。


驚いたでしょう

これをなぜ知ったかというと、堺屋太一が選手たちとリングに上がってる写真をプロレスの雑誌で見てびっくりして調べたのでございますが、ありゃ見間違いか?

と思いつつ、

こちらを見つけて

やっぱり本とだ

と思うわけであります。


政治家とプロレスといえば昔、福田赳夫が新日のリング(蔵前)に上がったことがりまして、ボブ・バックランドと握手したら、バックランドは知ってたらしくて、試合前にもかかわらず喜んでましたね。

そこには昨日も触れたいやな人もたしか控え室にいましたね。


あとしおじいさんも全日の試合で蔵前に来てましたね。

馬場とハンセンのときでした。

自分も友達とそこにいました。


とり止めもないですが、最近はとにかく団体がおおくて、何がなんだか分からないですね。

政界もプロレスもようするに

 
                    離合集散

が多いなと感じる秋の日でございました。




                           文中敬称略




杉村泰蔵はともかく何で猪口邦子や石原宏高が東京の比例で上位だったのか分からない

2005-09-27 23:37:32 | マスコミ批判

杉村太蔵が記者会見を開いて自分の言動についてあやまっていた。

そのことがテレビのニュース番組でも大きく取り上げられているが、この国は平和だいうことの証拠のように思えてならない。

麻生総務大臣も似たようなことを言っていたようだが、この若者をストーカーのように追いまわしてそのまま放送していたテレビ朝日のワイド・スクランブルのほうがよほど問題ではないか。

もちろん自分はこの人の言動に問題がなかったとは思っていないし、もともと党が比例名簿を決めることの弊害はこの選挙制度を導入した段階からすでに火を見るより明らかで、この人よりも国会議員にふさわしい人が応募していた可能性もあるとも思う。

(ちなみにこの人のことよりも自分には比例東京ブロックで猪口邦子がたしか比例で一位になったり、石原宏高がこれまた上位だったことのほうが自分にはよほど解せない。この人たちが駄目だというのではなくて、なぜこの人たちが???という疑問は到底払拭できるものではないし、他の議員たちがそれで怒らなかったのがまったく不思議である)

しかし、この若い議員さんが無邪気に喜んでいくらお金がもらえるとか、3LDKの宿舎に住めるとかいって喜んでいたことをまたしても森喜朗が批判しているのを見るとこちらのほうが忸怩たる思いだ。

これまた派閥の総会での発言だったと思うが、マスコミもこの人の発言を求めて派閥の総会でカメラを回すのはいい加減やめたらどうなのか。


たしかに杉村の発言には問題もあるだろうが、これだけ国会議員になることができて欣喜雀躍としている姿というのはすがすがしいと自分には思える。

他の何百人もいる議員だって本当はすごくうれしいはずで喜びすぎて羽目をはずしている人だっていないとは限らないし、大体、あれだけテレビに出ていた野田聖子は最近カメラから逃げてるそうだが、ああいう議員こそ追いかけて、郵政民営化に賛成か反対かきいたらいいだろう。

まさか野田聖子に対する世間の批判をかわすためにこんなばかばかしい騒動をマスコミが作り上げているわけではないだろうが、いずれにせよこの馬鹿騒ぎはなんなのかとそれを見ている自分も情けなくなってくる。


以前中村敦夫が当選したとき、テレビで国会議員についてかなり辛らつな発言をしていたと記憶している。自分の年収をきかれて国会議員はその何分の一だなどといっていたのではなかったか。

そういう人と比べて杉村太蔵というのはまだ国会議員として好感が持てる。

もちろんこの人がどういう人なのか、何をやりたいのか、まだブログなどを見ただけではあまり分からない。


いずれにしても目を世界に転ずればドイツの選挙とかいろいろなことがもっとたくさん報道されてしかるべきだとは思うが、ようするに報道番組もたんなるワイド・ショーになってしまったということなのかもしれない。

                       文中敬称略


今日は観劇デー

2005-09-27 00:09:49 | つぶやき

今日は久しぶりに芝居を見た。

やっぱり目の前で見る芝居はいい。

映画とか、ドラマというのはすでに完成されたものを見るわけでそこに自分がいるかどうかは関係ないけれど、芝居というのは客の反応も役者に伝わるのではないかと思う。

映画などだとかなりの部分が事前に知らされた上で見ることになることが多く、実際には予告編が一番素晴らしい場面であったりすることもある。

現代の芝居というのもかなりの部分が決まったパターンのようになってしまっているとも思われるのだけれど、それを乗り越えた感動というのを今日見た芝居はもたらせてくれたように思う。

ちなみに10年ぶりの再演らしい。

自分は舞台のすぐそばの端の方にいたが、フィナーレ近くで横に座っている人たちの顔を見てみた。


テレビでよく見る芝居のみに集中した表情が並んでいた。

自分のようによそ見している人などいるはずはない。

もしかしたら芝居がもたらす感動というものは理性や感情よりも肉体的な快楽をもたらすたぐいのものであるのかもしれない。

今でも自分でも考えがまとまらないぐらいその場ではこころを動かされた


ここのところ非常に醜い政治家にかかずらわるたぐいのエントリーばかり書いてきてこちらまで心がにごってきそうであったが今日は心が洗われる思いであった。


むろん劇場を出ればそこは猥雑な大都会である。

以前から思っていることだが、劇場やコンサート会場から歩いて帰れるところにすんでみたいものである。

それもできれば田舎がいい。


ものすごくわがままなようだが、一度だけそのような思いをしたことはあって決して無理ではないと思う

もしかしたら、今日の喜びは、もう芝居に感動するようなことはないとなんとなく思っていた自分が、そんなことはないということを知ることができたよろこびかもしれない


ミュージック(恋愛)(バトン)

2005-09-25 21:54:34 | つぶやき

ミュージックバトンは実はすでにえらくご迷惑をおかけしたりしてますが、ものほしそうにして横取りしてしまいましたので一応書きます。

いかんせん、こんなやば過ぎるブログですんで、バトンを渡せるぐらいのお友達はいないので自分のことだけかけるだけ書きますね。だからアンケートみたいな感じで。。。

それと恋愛バトンというのもあるらしいのですが、よそでも書こうかな。。。
一応下に書きますね。

どなたかご興味ありましたら書いてTBくださるとありがたいです。



Q1.コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量

1.27GB+59,6MB=1.83GB?
PCで聞くことはあまりないです。

Q2.今聞いている曲

ほめ殺しになりますが、しばた淳の「一人暮らし」です。

Q3.最後に買ったCD

これもほめ殺しになりますが、アンサンブル・プラネタの『コラール』。

Q4.よく聞く、または特別な思い入れのある5曲

ガラにもなくChopinの「別れの曲」
ケニー・G「Moment]
竹内まりやの「シェットランドに頬をうずめて」
リンダ・ロンシュタット「悪いあなた」
平井堅「Ring」



以下は恋愛(アンケート?)です。

これにはいくつかバリエーションがあるみたいですが。。。
よそでもやってみたいです。ふざけすぎてるかもしれませんが、笑って許してください。

質問1)初恋はいつですか?

幼稚園

質問2)今まで付き合った人数は?

限りなく0に近いです

質問3)好きな人とデートで行きたいところは?

お台場

質問4)好きな人と観たい映画は?

これってよく分からないけど、映画は大体、見てからしか分からないからなんとも言えないようなきがするのよね

質問5)好きな人に言われて一番うれしかったことはなんですか?

出会ったタイミングが悪かった???

質問6)好きな人はいますか?その人の好きな所は?

たくさんいすぎて分かりません???

質問7)こんな人は無理っていうのはありますか?

自分みたいにうるさい人は駄目ですね

質問8)浮気は許せますか? 許せる人はどこまで?

浮気される前に別れます。でなく、振られます。
というかなかなかそこまでいきません。よって愛人でいいです。
全て許します。

質問9)同棲はしてみたいですか?

同せいまでいければオンの字です


質問10)愛情を感じる行動は何ですか?

何かの折にジュースとか差し入れとかしてもらったときうれしかったですね

質問11)愛と恋の違いは?

精神と肉体???

質問12)一番長く続いた恋愛は?

引きずったのは、2、3年ぐらいでしょうか???

質問13)お付き合いしたい有名人、芸能人は?

それはひみつです

質問14)究極の選択です。一生、人を愛することしかできなくなるのと、一生、人から愛されることしかできなくなるのと、どちらを選びますか?

愛することなく愛されることもありえないし、愛されることなく愛する事もないだろうけど、愛される方かな


野田聖子がテロリストに理解を示しているかのような昔の講演内容

2005-09-25 00:09:49 | 野田聖子批判

これも消えるかも知れませんが、まずこちらのページをご覧ください。

野田聖子のサイトを見たときすでにここでも取り上げたこちらのページを見て、私はこの政治家は非常に問題がある政治家だとおもった。

かなり前のものだが、ここにまとめられた講演の内容は全体的なつながりなどが非常に分かりにくいのであるが、そこに示されたテロに対する認識、あるいは小泉のテロに対する姿勢を批判する考えは私のテロに対する考えとは対極に位置するもので、こういう政治家がこの国にいて未来の女性総理などともてはやされていることに国民として大変な危惧を抱いて今日まで至っている。

全体的な文脈などは上のページで確認していただきたいがいずれにせよ長めの引用になることをお断りしておく。野田はこの講演でテロに関して何度も否定してはいるのだが、同時にテロと戦うブッシュの姿勢を支持する小泉の姿勢に対しても疑問を投げかけている。以下青の部分が引用になる。


二つの面があるんですね。まず、日本国総理がアメリカと組んでテロに対応していくよという声明を出すということは、一つにはアメリカにテロを仕掛けた人が日本の敵になるということなんです。それはいわば日本がアメリカになるということですから、アメリカにテロを仕掛けてきた人たちがその瞬間、日本にも民間機を乗っ取ってビルにぶつけるというようなことをやっても、やむを得ないという状況を宣言したというふうに置き換えても間違いないと思います。だから、それなりの覚悟を私たちはしているの?ということを皆さんに問いかけたい


たしかにアメリカの味方をするということはテロリストにとって敵対勢力になることにもなるだろう。

しかしだからといってテロに対する姿勢として、日本がアメリカと協調してゆくということ以外に(野田は「アメリカと組んで」という言い方をしているが、こうした言い方にも私は反発を覚える)選択肢があるのかどうか私にはよく分からない。


野田は日本がテロの危険性にさらされる可能性をしきりにこの講演の中で強調しているのでじっくりよんでいただきたいが、以下のようなことも言っている。


私は政治家としてイスラム関係の人たちと付き合いがあるわけではないんですが、私自身は大学で宗教学というのを専攻しましたし、卒業後は社会人として帝国ホテルというところに勤務いたしました。そこで本当に痛いほど感じたのは、特にイスラム文化圏の人たちの宗教に対する形というのは、日本人の想像を絶するような世界なんだということです。


ここで野田はイスラム教文化一般に話を広げているが、こうした書き方からは野田がイスラム文化圏についていかにもよく知っているということをにおわせるものであるが、果たしてその中味はとなると非常に抽象的というかきわめて大雑把な事しか書かれていない。

たとえば以下の引用に見られるような日本人の宗教観とイスラム文化圏の「比較」を見るとき、これが大学で宗教学を勉強したり、帝国ホテルでイスラム文化圏の人たちに接することがなければ知りえない事なのか非常に疑問に思う。


私は、日本人の宗教観は日本独特のものであるということを認識しておかなければいけないと思うんですね。片やイスラム文化圏の人は、いろんな神様や仏様とお付き合いする私たちの人生と違って、たった一つのアラーという神に身も心も家族も何もかも捧げる。

 そういう国の人たちの集まりがイスラム文化圏なんだと。日本人の悪いところは、八百万の神を信じているから、身を捧げるまで、仕事を棒にしてまで一神を信仰する人のことを自分たちの間尺に合わないからおかしいと見なす傾向があるんですけれど、そこが日本の外交の誤りだと。それはそれで国として成り立っているということに、敬意は表さなくても理解していかないと、この先テロの問題で大きな誤解をしていくのではないかと思っています。その人たちが大切にしてきたものを何か踏みにじった行為がアメリカにあったのではないかということも、アメリカの友達であるならば日本は研究していかなくてはいけないと思います。



こうしたきわめて大雑把な文化論をテロと結び付けて論ずる野田の姿勢には非常な疑問を感じざるを得ない。

私は現代のグローバルな社会において、テロということを論じる際、テロリストの思想なり行動様式をイスラム文化一般の話しに埋没させることは非常に危険であると思っている。

別にテロというのはイスラムの専売特許ではなく、極端な話し、日本人でも国内・外でテロを起こした事はあると思う。

規模や性質は違うかもしれないが、地下鉄サリン事件や、かなり昔の事件だが、岡本公三らによるテルアビブ空港での銃乱射事件などがそれに当たるものだと私はかんがえている。


野田は上の引用の最後の部分で「その人たちが大切にしてきたものを何か踏みにじった行為がアメリカにあったのではないかということも、アメリカの友達であるならば日本は研究していかなくてはいけないと思います」と言っている。

私にはこれが具体的にどういうことを指すのか必ずしもよく分からないが、野田は以下のように言っている


中日新聞かどこかだったと思うのですが、テロの記事の片隅に、実はブッシュ共和党大統領はこれまで禁じていたイスラエルへの武器の輸出を認めることにしたという二行ぐらいの記事がありました。本当はそれが大きく出るべきではないかなと私は思うんですが、そういうものがきっかけになってたんじゃないか、と。ただ単に狂ったように人を殺したい集団ではないわけで、彼らにとってみると、そこまでに至る経緯というのが必ずあったんだということを、私たち日本人は、テロをなくすつもりであるのだったら考えなくてはいけない。新聞の小さい端っこのところにわずかに載った記事ですけれど、共和党はイスラエル、つまりイスラムの文化と対立している国に対して中立の姿勢を取らずに偏った姿勢を取った。それに対してある程度の怒りがあったのではないか。そこで何か交渉があったのではないか。その結果、決裂してあのような悲劇が生まれたのではないかというぐらい、やっぱり考えてやっていかないと。日本人というのは表面的な、せつなせつなで動く民族だなというまた新たな国際社会でのレッテルを張られることを、私は一人の国会議員としてとても心配しています。


どうも野田はイスラエルに対する武器輸出をテロの理由として考えているようだが、ここで具体的な証拠が挙げられているわけでもなさそうだし、この考え自体きわめておぼろげな形で示されているに過ぎない。

特にそこにある「交渉」とか「決裂」とかは一体何を根拠に何を指していっているのかかさっぱり分からない。


私は国際政治に関しても度素人であるのでよく分からないが、911のテロというのはイスラエルに対する武器輸出が原因で引き起こされたというたぐいのものではどうしても思えない。まずアルカイーダが911のテロを引き起こしたということは事件後すぐに報道され、定説になっているはずであろうから以下はその前提での話になる。

まず中東情勢全般に関しても私は野田の考え方は理解ができないが、イスラエルにアメリカが武器輸出をしたから911がおきたというのではなく、その前からアルカイーダはアメリカに対するテロを引き起こしていて、「武器輸出」などとは関係なくアメリカに対する大規模テロを計画していたと考えるほうが自然だろう。

第一、911の犯人たちはアメリカ国内などに長いこと住んでいて、飛行機の操縦訓練などもしていたのだから、このこと一つとっても、野田が言うような武器輸出というような「ニュース」がきっかけになってテロが起こったとは考えにくいのである。


野田の講演を読んでいると、イスラム文化一般とテロを結びつけ、さらにはアメリカの武器輸出とテロを結びつけるようだが、その考えが私には分からないが、私などには日本人も911で犠牲になった人もいるということが忘れられているような気がしてならない。

たしかによその国で起きている事ではあるけれども、このテロに関しては野田のような他人事のような論じ方ではなく、むしろ自分たちの国民も被害者になっているという当事者意識を持つべきではないだろうか。
この講演はかなり以前のものだが、私は野田が非常に危険な政治家であると思う理由はここで非常に明らかにされていると思う



明日(明日更新するかどうかも分かりませんが)からはたぶん普通のブログ?にもどると思います。


                           文中敬称略

このキャッシュを私なりに分析?すると。。。

2005-09-24 02:11:46 | 野田聖子批判

こちらのキャッシュのページは非常に分かりにくい。


自分は最初このページを見たことがないような気がした。しかしよく考えてみるとたしかにこのページはあった。

「政策提言」の目次みたいなものであった。

まるで虫食い算みたくなっているが、ようするに画像やロゴのようなものがはがれ落ちているわけである。


これを最初にみた人はなんだこれは?と思うだろう。


つまり上のほうに六つの段落があり、下に「私の主張」と題されたものが六つある。しかしこれらは順番ごとに対応しているわけではない。かと言って全く関係ないわけではない。


これはどういうことかというと、もともと「政策提言」というページは野田が選挙公約を発表する前からあったわけだが、「これが私の選挙公約です」の特に最初のものがあまりにもでたらめであったために、どうしても消さざるをえなくなったが、それだけを消して、そのままそのコーナーを維持するのは自分の誤りを認めることになるので、無理やりそれ以外の選挙公約を政策提言に押し込んだことを示すものであろう。


つまりもともとある程度政策提言のところにも「政策」は書いてあったわけだが、それと選挙公約を混ぜ合わせて編集するとこういうことになったということであろうか。

たしか憲法論議などは選挙公約のほうには書いてなかったはずである。


さてこのキャッシュのページで特に問題にしたいのは「財投債」の部分に関してである。


私は全くこうしたことにはうといのだが、こちらのページなどでにわか勉強?した結果、財投債をなくすことを野田が選挙公約に掲げていることには非常に疑問を感じていた。


このキャッシュのページそのものには出ていないが、野田は財投債の発行はやめて、自前の財投機関債を発行してそれで特殊法人を運営させるべきだと主張している。

しかし、少なくとも郵貯・簡保が財投債を買うという仕組みはあと2、3年で終わるのではないか。

そのことを実は野田自身書いている。

私はそれで財投債がなくなるということかどうかは分からないが、「特殊法人は自前の財投機関債を発行して運営してゆく」ということはすでに実行に移されている、あるいは激論の末、そうしようとして努力しているもののなかなかそれがうまく機能しないことではないないだろうか。


何年か前に書かれたものだが、たとえば
こちらのページなどをみると、財投機関債の発行では充分な財源が得られず財投債を発行してしまうという悪循環に陥っているといえるのではないか。


財投機関債自体が財投債の代わりとして機能しうると考えることに関して異を唱える論考などもあるようだが、現在の運用状況に関しては私は残念ながら分からない。

ただいずれにせよ、野田が選挙公約としてこれから未来にかけて「こうしていこう」という政策には少なくともなりえないものであるのではないだろうか。


たとえばすでにペイ・オフの実施が予定されていた段階でペイ・オフの完全実施といったことを公約に掲げるようなかきかたとは明らかに違うし、これはいわゆる2000年ごろの「財投改革」より前にありえた議論であって、今現在こういうことを選挙公約に掲げることはおかしいのではないか。


こういうことは全く詳しくないので、このような書き方をしていてもどれだけ自分の言っていることが当たっているのか非常に心もとないわけであるが、アップされた日付(年も入っていた)を入れて選挙公約として発表したものを、「政策提言」に入れて日付は一切示していなかったわけだかから、もしかしたら野田がこの「政策提言」をはるか昔に発表していたと思わせるようにしくんだ可能性はある。

しかし、それでもなんとも理解に苦しむのは野田が最後に選挙公約として発表した段階で最後に「郵政民営化6法案の対案として、私は国民の皆様に上記2案を提案します」とかいてあった部分が政策提言に引っ越されてもそのまま引き継がれていたわけであるから、最近発表されたものであることは明白であった。


そうしたことをもしかしたら誰かに指摘されて面倒くさいから全部消そう、ということになったのかもしれないが、これもあくまで推測である。

いずれにせよ、野田はサイト全体を消したわけであるから、その内容に疑問を抱いていたほうとしては自分の疑問があながち間違っていなかったのではないかと思うわけである。


ちなみに昨日示したページでも財投に関して触れているが、非常に分かりにくい書き方ではあるが、選挙公約にあったこととは全く違うことを書いていたようだ。

そちらに書いてあったことだと思うが、特殊法人を一つずつ廃止できればそれに越したことはないとは思う。

こちらのニュース

がそのような例ですが、今渦中の平沼はこれに対してどういう反応をして、石油公団がその後どうなったのかすみませんが、これまた不明です。(この部分などもあとで修正する可能性があります)


選挙公約に書いてあったことなどに関してはまだまだ疑問点はたくさんあるが、疲れたので、今日はこの辺で失礼します。

ちなみに財投債はそれ自体財投債と銘打って発行されるわけでなく、国債の一部が財投債に当てられるというのが正確なとらえ方のようであることをある議員の方の国会質疑の記録で見ました。そのページはまたあとではるかも知れません。

あと一回?でこのカテゴリーは完結??の予定です。


                        文中敬称略

政策研究大学院大学飯尾潤教授のコメントに関する疑問 自民党岐阜県連も松田岩夫を処分しようとした

2005-09-23 01:27:45 | 野田聖子批判
             
               きょうも同じような内容ですみません

一昨日の報道ステーションで飯尾潤という政策研究大学院大学?とかいう難しい名前の大学の教授がいわゆる造反議員に対する自民党の対応について批判しているところを途中から見た。

わたしの記憶が確かなら、1)郵政民営化法案の採決の前に反対票を入れれば処分することを知らせるべきであった2)欠席・棄権した議員との間で対応に開きがある3)小泉が記者会見で「個人によっても違うと思いますし」と言っていたが、具体的な中味はよく分からないということを言っていた。


まず1についてであるが、採決の前にどれだけの警告が自民党からそれぞれの議員に発せられていたか知らないが、小泉は、自分が目指す改革を自民党が邪魔するときは自民党をぶっ壊す、と言っているのでそれで充分ではないだろうか。

またかりに法案に反対なら除名されるということが分かっていれば投票行動を変えたのに何だ、ということであればそういう議員は政策よりも自分の身の保身が大事だということであり、もちろんモラルが問われるはずであり、採決の前に具体的な処分が示される必要はむしろ全くないであろう。

もっとも現在野田聖子を筆頭に多くの造反議員が今さらながら自民党にまつわりつくため政策を消したり変えたりしているわけで、この問題の根は深いと思う。

もちろん政策などどうでもいいというなら話は別であるが、いやしくも政策研究大学院大学教授という肩書きの人がまさか政策は二の次で、党でどのような扱いを受けるかが大事だなどとは考えてはいないはずだが、こういうコメントを聞いていると何のために今までマニフェストの比較・検討をやっていたのか首を傾げたくなる。


2に関しては、反対票と棄権あるいは欠席では法案の採否に関して影響力ははっきり違うのだから対応が同じではむしろまずいであろう。

3に関してはまだ党紀委員会は開かれていないのだから小泉が具体的なことを言うべきではないだろう。


というわけでわたしには全くこの飯尾という人のコメントが理解できなかったのであるが、特に3に関して、あるいは野田聖子および岐阜県連全体に関してくり返しになるが、野田を応援したものは全員除名とすべきことをここでも主張しておきたい。


まずここで押さえておくべきことは、岐阜県連はここへきて急に態度を豹変させているようだけれど、今現在自民党がやろうとしていることを自分たちがすでにやろうとしていたということをまず忘れてはならない。

たしか松田岩夫参議院議員のほかにもいたと思うが、それも選挙中だったと思うが、自民党岐阜県連は野田を支持しない松田岩夫らに対する処分の方針を明確に打ち出した。

たしか野田以外の候補を支援したので処分ということを発表したわけだから、自民党が今現在、自民党岐阜県連全体を処分しようとしていることに関して野田のようにこれを非道ということは自分たちが非道といってるようなものではないか。


しかも野田の場合、夫の鶴保庸介ら他の議員に対して郵政民営化法案に反対するよう働きかけたことは明確である。

しかも誰の応援かは分からないが、他のいわゆる造反議員の応援演説にも駆けつけていて、自民党に対して非常に不利になるようなことを数限りなくやっていることは広く国民が知っていることである。


またテレビなどに映る野田の姿はいかにも自民党が自分をいじめているというような姿を映し出すもので、自民党のイメージダウンをもたらすものであった。


選挙後に映し出された映像でも阿鼻叫喚のごとく泣き喚きながら、自民党本部から毎日嫌がらせをされている、などと泣き喚いていたが、その証拠や根拠などは示されていない。

このことの真偽はどちらもごまかすことなくはっきりさせるべきだと思うが、いずれにせよ「野田聖子を助けてください」とか、「野田聖子を殺さないでください」と叫んでいる姿を見てこれは最近大ヒットした映画『世界の中心で愛を叫ぶ』じゃあるまいし、あんなことを道端でしてるのは大醜態も大醜態、みっともないことこの上ないと思った。


そもそもこの演説にしてもテレビカメラが真正面からとらえていたのだから、非常に意図的なものを感じざるを得ないが、いずれにしてもああいう感情むき出しのようなことをする人間は政治家としても問題があるばかりか、もしこういう人間に子供ができたらどうなるのかとさえ思うほどの大失態のように私には思えた。

いずれにせよ「こんな党ではなかったのですがね」とも叫んでいたので、事実関係を確認して、しかるべき措置が取られるべきだと自分は思う。


さらに今回の選挙とは直接の関係はないが実は野田聖子は今回自民党岐阜県連による処分が取りざたされた松田岩夫の実名をあげて『私は、産みたい』の32ページから34ページのあたりで取り上げている。

体調を崩した翌日に松田の後援会総会があってそれにどうしても出席しなければならないとおもって挨拶だけしたといったことなどが書かれている。

詳細は本を読んでいただければ幸いだが、私はこうした書き方もご当人にとっては非常に迷惑な取り上げられ方であるように思えて仕方がない。

むろんこれは私個人の感じ方に過ぎないが、野田は『私は、産みたい』で実名をあげる場合と挙げない場合があるのでその区別をどのような意図のでやっているのか自分には分かりにくい。

ちなみに113ページに出てくる夫婦別姓に反対の首相経験者は、そこまで言っているのに、なぜか名前は挙げられていない。


いずれにせよ野田聖子という人物の感覚が分からないという点は多いので、また同じようなうなことを二回ぐらい書くかもしれません。



                  
                       文中敬称略

週刊文春はまさか今さら佐藤ゆかりバッシングをやめて野田聖子バッシングを始めるのではないでしょうが

2005-09-22 00:51:39 | 野田聖子批判

週刊文春を見たら野田聖子に関する記事があったが、またしてもわが目を疑った。

こちらに書かれているタイトルをご覧いただければわたしの驚きもうなづいていただけるかもしれません。

「野田聖子は県連幹部にも叱られフテ寝の日々」という記事はどうもさすがの週刊文春も野田聖子を批判せざるをえなくなったのか?と思わせるものであった。

週刊文春の選挙予測が全く外れたことに関してはすでにかなり批判されているし、いわゆる選挙妨害に関してもすでに佐藤ゆかり本人が法的処置をにおわせる発言をしていたと思うのだが、そうしたことと関係があるのだろうか???


また昨日は週刊文春が抱えていた他の長期間にわたる係争事項に関する和解のニュースも出た。

こちらの朝日のページをご覧ください。


これまでにもいくつか週刊文春は裁判に負けて、そのたびに小さな謝罪広告で切り抜けてきたと思うが、今回の和解では見開きカラー2ページにわたる掲載を年末までつづけるということだから、請求金額が莫大だったことに比べれば、これでつりあうのかどうかは分からないが、文春としてはかなり大規模な譲歩であろう。


佐藤ゆかりが週刊文春に対してこれから具体的にどのような対応をとるのかはまだ分からないが、今週号でも他の一年生議員らとともに大衆の耳目を引きそうだと文春が考えているらしい(当たり前か)記事が今週も出た。


しかし、これまでの週刊文春の記事と比べてみると明らかにその筆致は違っているように思ったのはわたしだけであろうか。


週刊文春は佐藤ゆかりに関してきわめて厳しい論評を下していたはずである。

全くいやみが抜けたわけではないが、それでも批判的トーンが今回はかなり薄まった印象がある。


私は週刊文春が佐藤ゆかりに対して行ったことに関しては今後司法の場で議論され、裁かれるべきものだとは思うが、もし週刊文春が自分たちがついこの間までやってきたことに関してきちんとした説明もなしに佐藤ゆかりに対する批判をやめて、今度は野田聖子批判を始めたら週刊誌とはいえこれまたひどい話だと思う。

さんざん小泉批判をしておきながら首班指名で小泉に入れたどこかの卑劣漢と同じ人間性しか持ち合わせていないことになるのではないか。



これと単純な比較はできないが、たしか10年ぐらい前にも林葉直子の告発をさんざん報道していながら、林葉が批判するのをやめたか何かで今度は文春が林葉に食ってかかったということが前にもあったと記憶する。

週刊文春に限らず何かの拍子に突然マスコミが論調を変えるということはよくあることで野村夫人も田中真紀子もそのような感じでバッシングされたと記憶する。


週刊文春も紙面で謝ってばかりいたら謝罪広告で紙面が埋め尽くされてしまう可能性もあるので、適当に批判をかわそうということか、あるいは週刊文春自体野田聖子のような無定見な政治家をそれとなくよいしょしていたらいい加減、自分たちまでおろかだと思われることに気づき始めたのか、耐え切れなくなったのか知らないが、いずれにせよ最近の週刊文春はひどすぎてお話にならない。

断わるまでもないが私は週刊文春が佐藤ゆかりバッシングを続けるべきだといっているのではない。

(追記:その点を誤解なきものにするため、22日午前一時半にタイトルを少し変えました。これでも誤解されるかもしれませんが、最後の「しょうね」を「しょうが」に変えました)


自分の持論に近い論調はマスコミであれ政治家であれ、それらしきものを見れば喜んだりはするが、何の説明なり釈明なりが全くなく方針転換した結果が自分の主張しているところと似たものになったと思えるようなものならひどく気分を害される話である。

自分たちの報道姿勢を自らかえりみることがないこの国の風潮が週刊文春に限らず実に歯がゆいということを言いたいので、ここで野田聖子について書き続けているのもそうした風潮に異を唱えるためにやっているつもりである。


                       文中敬称略

これだけの小泉批判、選挙協力批判を今まで野放しで「独裁」と言えるのか?

2005-09-20 23:03:37 | Weblog

すでにあちこちで指摘されているページだが、野田聖子はかつて以下のリンク先のような野党顔負けの小泉批判をしていた。

一応こちらですが、またすぐ消えるかもしれません。

(消えても、消えたとか書くのも見苦しいのでもうほったらかすかもしれません。これを見つけるのもすごく苦労しました)


別に小泉批判自体がいけないというのではなく、野田が自分のサイト全体を消してしまった以上、かつて自分がネット上で披瀝した見解を捨ててしまったのかどうか、その点が知りたいわけである。

むろん自民党員でありながらこれに限らずこうした発言は非常に問題があると思う。

ここで野田は今の段階で再検証されるべきことをいくつも言っている。たとえば以下のくだり。(青の部分です)

しかし今、自民党は「政権」の座にしがみつくことで、「国民政党」の誇りを失おうという危機に瀕しているのではないでしょうか。

どうもこういう文章を読んでいると、野田が本当に自民党に所属する議員なのか不思議に思えてくる。

もっとも今現在の野田はその自民党に必死にすがり付いているわけである。

さらに疑問を感じるのは以下のようなくだりである。

他にもこれまでの総理でしたら罷免されてもおかしくないような発言がずいぶんあったように思うのですが、国民にすべてが伝わったわけではありませんし、

一体小泉が何を言ったのか明らかにすることなくこういうことを言うのはずるいのではないだろうか。

この発言自体も含め野田の発言そのものこそが、もっとマスコミでたたかれるべきではないか。


このページにちりばめられている小泉批判を眺め読むとき、たとえば他の党の議員がこれだけあからさまな党首批判をすることがありえるだろうかと不思議でたまらない。

たとえば、あくまでも「たとえば」の話だが、

S党の議員が「うちの党首はいつも何言ってるんだか分からない」とか、

K党に所属する議員が「うちの党首は候補者と一緒に街頭演説でも原稿を棒読みしていた」とか

別のK党の議員が「うちの党首は普段はおとなしいくせに何で選挙になるとあんなコマーシャルをたくさんお金かけてやるのか不思議だ」

などと公の場で言ったり書いたりすることがありうるだろうか。


民主党は割と党内で活発な議論があるようだが、それでも選挙前にはマニフェストに一筆とった上で公認しているのでなかったか。


もっともそれでも基本的な政策に関して統率が取れているかどうかは疑問であるが。


野田の小泉批判自体もすさまじいものであるが、実は野田はここでも自民と公明の選挙協力を厳しく批判している。(むろん、これも小泉批判の一環であろう)

だが、連立と選挙協力は別です。自民党から比例の候補者を出しておいて、「比例は公明党に」と言わせてしまう。これは選挙制度の本来の趣旨に反することで、有権者を愚弄した行為です。なし崩し的に深められてきた選挙協力の結果、自民党の存在意義が薄らいでしまった。公明党のおかげで数万票が入ったなどといわれますが、おそらく同じくらいの自民票が失われたのではないでしょうか。


また昨日示した引用部分の直後でも野田はこういうことも言っている。

(22日11時20分頃追記:またキャッシュが消えてたのであらためて貼ります。
誰かさん乙?!

こちらでゴンス!
また消えるのかな。

政治の神聖なる原点である選挙において、わが党が自負も誇りもなく他党の存在を最優先する道をとるのであれば、それらの政党と合流し一体化するほうがよほど自然でしょう。それができない、そうしないのであれば、有権者、とりわけ、長らく自民党を支持していただいた伝統的かつ良心的な支援者の皆さんに対し、結果的にきわめて不誠実な訴えをしたことについて私たち議員は深く反省し、これを二度と繰り返すべきではないと考えます。


今回の選挙で「長らく自民党を支持していただいた伝統的かつ良心的な支援者の皆さんに対し、結果的にきわめて不誠実な訴えをした」のは一体誰であるのかもはやここで繰り返すまでもないだろう。



ちなみに昨日リンクを貼ったところはすぐに消えたので昨日の深夜ならびに今朝、リンクを入れ替えた。

わたしが今日貼ったリンクもどうせすぐに消えるだろう。

野田のPC関連の秘書についてある程度の情報を私はWEB上から得ている。(今もその人がかかわっているかは分からないが)

キャッシュがなぜ短い時間に次々外れてゆくのかその理屈がわたしのようなIT弱者には全く分からないが、いずれにせよ野田のサイトが「一時閉鎖」されているわけだから、スタッフがかかわってキャッシュを消している疑いはわたしの中で消えてはいない。

むろん、サイト全体を一刻も早く以前の状態に戻すべきだと思っている。

ちなみにもうそろそろ他の話題に移りたいとは以前から思っている。

も一つちなみに、わたしが今日リンクを貼った文章はかつて文芸春秋に載ったものと思われる。

こちらを参照ください。左はしの真ん中より少し上のあたりに題と名前が書いてあります。

それと昨日の小泉首相に関する「天才発言」は「選挙の天才」と言ったわけではないかも知れませんが、その意味で言ったと解釈しております。同じことかもしれませんが。



例によってあとから少しずつ論旨を変えない程度で直してます。
                       
                       文中敬称略

野田聖子は公明党との選挙協力をいましめていた

2005-09-19 22:16:56 | 野田聖子批判

現在の選挙制度はわたしのようなものには非常に分かりにくい制度であるが、どうも自民党の東海ブロックで比例単独で出馬して当選した人はいないようだ。

こちらの下のほうをご覧ください

もし岐阜一区で佐藤ゆかりが当選していたら自民党の比例単独の人が一人当選していたということであろうか?よく分かりませんが。

こんなことは当たり前かもしれないが、こういう事実がある以上、野田聖子だけでなく、野田を応援した地方議員や鶴保庸介もみな除名処分にすべきだと自分は思っている。


さて野田は選挙後、「小泉首相は選挙の天才」と述べたそうだ。

野田がこれをどういうつもりで言ったのかは分からない。

「選挙の天才」ということは他のことに関しても天才ということを言ったわけではないかもしれない。

野田の発言の真意を探るのはここでも難しいが、いずれにしろ小泉を持ち上げているような響きがあることは否定しにくいであろう。


さて野田はサイトを消してしまったので、どうしようもないのであるが、「自民党の終わりの始まり」と題された平成16年7月26日の「ひとこと」でこんなことを言っている。青い部分をご覧ください。

これも保存するなら今のうちかもしれません。

22:46分追記:すいません。もう消えました。なぜかよく分かりませんが、だんだんこわくなって自分が消えるかもしれません?!

政権与党として政策を実現していくには、公明党との友党関係の下に支持を得なくてはならないことは当然です。しかし、政策展開と党の基盤づくりは次元を異にする問題です。ここ数年、なし崩し的に深められてきた自公の選挙協力の結果、失われたのは自民党の存在意義ではないか、と断じざるを得ません。「選挙区候補は自民党、比例は公明党」という投票依頼の言葉に違和感を感じるうちに軌道修正を図らなければ、将来、どうなるのか。自民党が踏みとどまるべき時がきているように思います。


キャッシュも消される可能性があるのでやや長めの引用になるが、ここで野田は公明党との選挙協力に釘を刺しているわけである。

しかし野田は今回の選挙で公明党の協力を得たことがよく報道されていた。

こちらをご覧ください。

ここでは最後のほうに「野田氏陣営は『支持者に比例で公明への投票を呼び掛けるなど、協力していきたい』と話した」とある。

もっともこれには後日談があるようで、公明党のほうも軌道修正を余儀なくされたようだが、自分もこれ以上のことはよく把握していない。


しかし、野田が「『選挙区候補は自民党、比例は公明党』という投票依頼の言葉に違和感を感じるうちに軌道修正を図らなければ、将来、どうなるのか」と言っていた言葉は他の言葉とともにWEB上からも消されてしまったことは確かである。


自民党と公明党の連立自体、矛盾を含むものだったかもしれないが、いずれにせよ野田は言ってることとやってることがあまりにも違いすぎて、私には全く理解できない。

野田は郵政民営化法案に反対したことについて、自分のため選挙のために信念を曲げることはできなかった、などとと言っていた。

テレビなどでは自分のサイトを閉鎖していることは報道しないことになっているようだが今となってはこの人から「信念」と言う言葉が吐かれたことに矛盾を感じている支持者の人も多いのではないか。


わたしがこの政治家を信頼できないと考えている理由をこれまで示してきたつもりであるが、これからも批判するときは自分なりに理由をしめしてゆきたいと考えている。

最後までお読みいただきありがとうございます。




                       文中敬称略


田原総一郎、松原聡、草野厚は誰の回し者?鈴木宗男よりでかい声の草野にマイクはいらない

2005-09-18 23:22:05 | 野田聖子批判

今朝はサンデープロジェクト、サンデージャポン、NHK将棋講座と三またをかけていて、しかもビデオもないし、朝は(いつもか?)頭も起きてないからここにこれから書くことは正確ではないかもしれないということからまず今日もお断りしておくが、たまたま見た佐藤ゆかりに対する田原総一郎の質問の仕方はすごく悪意に満ちていた。

なにせ野田はサイトを一時閉鎖してしまったので、証拠を挙げることはできないが、田原は野田のパーティに出席したことがあって、その際の野田と写っている写真がサイトにあったはずである。

田原だけでなくスタジオ全体が佐藤ゆかりをとっちめてやろうという雰囲気に満ち満ちていた。


自分が見始めたときにはなんと鈴木宗男と出ていたが、まずこのツーショット自体非常に意図的なものを感じざるをえなかった。

そして、どうも鈴木宗男の話しに共鳴するかのごとき、「勝ち組」と「負け組み」の話しを田原などがする流れの中で、佐藤になぜあなたは収入もすごく高いはずなのに国会議員になろうとしたのか、と尋ね、佐藤は収入に関してあまり高くないというような謙遜をした後、「エコノミストは無責任に言っているだけになりがちなので、政治家として責任を持って現実を変えてゆきたい」というような発言をしていた。

いかんせんビデオがないので正確にこう言ったかどうかは自信がないが、そのようなことをいったあとに、松原聡東洋大学教授が今度は「佐藤さんはエコノミストでもあった(る?)からお聞きしたいのだけれども累進課税を高めようという議論や消費税を下げようという議論がありますがそれをどう思いますか?」ときいた。


私は唖然とした。

自分はひどい貧乏だし、経済などには全く詳しくないが、そういう議論は聞いたことはなかったからだ。


わが耳を疑うとはこのことである。本当にこういうことを言ったかどうかは自信がもてない。

累進税率が高すぎる、とか、消費税を上げよう、という議論なら理解できるが、それではあまりに普通の議論過ぎて、あえてエコノミストにきく必要もないことだろうが、累進税率を引き上げろとか消費税を下げろ(もしかしたらなくせと言う議論だったかもしれない)という議論はいまどき共産党でもしないのではないかと思いつつ調べてみたら、社民党は累進税率引き上げを公約に掲げているようだし、共産党も少なくとも議員の一人は消費税引き下げを主張しているようであった。


さてこれは松原が言ったことを自分が正確に把握しているとすれば、という前提に立っての話であるが、いずれにしろ松原は自分が累進税率や消費税に関してどういう立場に立っているのかは一切示さずにこういうことをきいたということは確かであって、その点において佐藤がエコノミストは無責任(これも自分のきいたと思えることが正しかったらと言う前提に立っているが)といっていることを裏打ちするような発言であったと思われる。

たくさんアルバイトをしている松原なら累進税率をあげられたらさぞかし困るだろうと思うが、そういう立場を超えた議論であれば、それはそれとして立派な説かもしれないが、いずれにせよ松原自身の意見は分からない。


松原のサイトも見たが、昔々、大学の先生方が自分でサイトを作るとそれだけで自慢していた時代の遺物のようなほほえましいサイトであったが、あまり見やすいものではないし、さほど行く価値のないサイトであった。


佐藤ゆかりのサイトの中味は残念ながら自分のような経済はまったくわからないものにはあまりに専門的で少しでも理解することは難しいのであるが、松原も一応エコノミストのようなものであろうから、累進税率とか消費税みたいなしごく大雑把な話をしないで、できるだけ佐藤のサイトにある政策を読んだ上で具体的な質問をすべきではないだろうか。


さらにひどく不快な感じがしたのは松原の質問に答えたかと思った瞬間、草野厚慶応大学教授が例の大声でしゃべりだしたのだが、この人は鈴木宗男よりも声が大きく、佐藤のか細い声を聞き取ろうとして音量を最大のままにしていたので草野が不意にしゃべりだした瞬間、頭が割れそうになった。

この人はマイクはどう考えてもいらないでしょう。

この人がしゃべりだすと、スタジオ全体にこの人の声が響き渡っているのがよく分かる。

マイクを通して聞えてくるのは、そのスタジオ全体の鳴り響き方であって、この人の声そのものではない。

しかもこの人が言ったことが「地元利益誘導型の政治家になるのではないでしょうね」という全く一般的礼儀を欠く質問の仕方であって、しかも鈴木宗男がそばにいたことを思えばテレビ朝日が仕組んだとんでもないいじめ番組だったと思われても仕方がない。


これに対する佐藤の答えは国から地方への税源委譲の話しなども交え、「今までは国が地方に指示していたが、これからは地方が自分で考えてゆく時代」などと言って、草野は「なるほど」などと妙に感心していたが、そういうことは佐藤のサイトに書いてあるし、いっちゃなんだけれども、至極当たり前のことを言ったに過ぎない。

それで感心したふりをするのは、これまたひどく人をバカにしているようできわめて失礼な人間だと思った。


さらに田原が佐藤に野田聖子のことをどう思うかきいたところ、佐藤は「特に意識はしておりませんでした」と答えた。

その瞬間、田原はすさまじく大きな声で「ウソだ!」と叫んでいた。

じゃ、何できくのかね。

自分で人がどう思うか決め付けた上で質問するのは非常に失礼でしょう。


こっちも勝手に想像してよければ、もうみんな大人なんだから、選挙公約を出したり消したりしてるような人を佐藤ゆかりが相手にするわけないってことわかってあげてもいいのではないかと思うのだけど、どんなもんでしょうね。


しかし考えてみると、あの週刊文春などは野田聖子が本命で、名前も忘れてしまったが民主党の若い人が対抗、と予測していたのではなかったかしらん。

そういう状況だと佐藤としてはみっともないぐらい票が入らないということも充分想像できたわけで、そういう状況下ではたしかに佐藤の言うように自分の政策を訴えてゆくということで精一杯だったかも知れない。

いずれにしても、老教授たちがよってたかって若い女性をアカハラ(アカデミック・ハラスメントの略)している場面を生中継しているみたいですごく気持ち悪い朝だった。


来週はぜひ野田聖子と鈴木宗男を一緒に座らせておなじことしてほしいけど、ま、無理でしょうね。


翌1:21分追記

当初、鈴木宗夫と書いてしまいました。どうもしんずれいいたしましました。

(19日さらに追記:題を直すの忘れてました。)

一応直したつもりですが、まだ直してなかったのがあったらごめんなさい。

あといろいろな人の名前でキャッシュされていたのに消された?のもありますが、中にはほめ殺しみたくなってしまったものもあるかもしれません。
すいません。

まだ何日かは(体の続く限り???)野田聖子批判が続きそうです。

長文を最後までお読みいただきありがとうございます。

                     文中敬称略

野田聖子のスーダラ節はすでに社会党をぶっこわした村山富市や、末広マキコを超えている

2005-09-18 00:48:28 | 野田聖子批判

野田聖子は最近のインタビューで郵政民営化法案に対する態度をきかれて「環境が変わりましたよね」と言っていた。

そして賛成か反対か決めるまで、インタビューでその質問に答えないそうだ。


あれだけ偉そうにあちこちで演説やら旦那を説得しようとしたりしてんのに賛成か反対か決めてなかったのですか!

どっかのお寺でも郵政民営化の反対の理由を述べたらしいが、お寺でしゃべったことを今さら水に流すなんて、わたしみたいに全く無宗教の人間でもそんな話しうわさで聞いただけでもビックリ仰天しますだ!



いちいちわたしみたいにまじめに野田批判などと銘打ってこれだけ書いてきたほうが馬鹿だということでしょうね。

その馬鹿なわたしの記憶では野田聖子はこの法案に反対でなかったのでしょうか。


それにしても「環境」ってなんだろう。

よく分からない。これは選挙結果ということだろうか。

あるいは民意が変わった?ということなのか。。。

それで国会議員は民意が変わったらがらっと意見を変えなきゃならないのか。

それはおかしいよね。それだったら選挙の意味がないでしょう。

それぞれの政治家が私の意見はこうだ!と(選挙公約を)有権者に訴えて有権者はそれをもとに誰に投票するか決めるのだから、当選したら途端に態度を変えられたらそれは一種の詐欺だといっても過言ではないでしょう。


いちいち野田の話しをまともに聞いてるマスコミはよく飽きずにこんな人をかばい続けられるものだと感心する。

ひょっとしたらやっぱり考えに考えて、やっぱり反対!とかまた言い出すかもしれませんよ、こういう人は。


まさかわたしの意見を見て判断しようというのではないでしょうが、ある意味わたしがこの人は全く信用の置けない人だということを力説してきたことがあまりにもあたってきてるので自分でも怖いぐらいです?!


こういう言い方も正確ではなくて、さすがのわたしもいやしくも大臣まで勤めた人がここまで無責任オバサンだったとは正直全く想像もできませんでした。


これだけ無責任だから政治家がつとまるとは絶対思いたくないです。

とにかくこの人は例外でしょう

もしかして、とにかく目立ちたいだけの人なんじゃないかとさえ思えてくるんだけど、どうなんだろうか。


わざと選挙公約もでたらめを書いたり消したりして、わたしなどがどう反応するか見て、ゲラゲラ笑ってたりするんじゃないでしょうね。


こっちもまじめに野田批判?などしていること自体、ひどく馬鹿なことをしているのかもしれない。


選挙公約を出したり消したり、あげくのはてにサイト全体を消したりしてる人からすれば、首班指名で小泉に投票することや、郵政民営化法案に賛成することなど、「たいした公約違反じゃない」とでも言うのだろうか?


今日のブロードキャスターで、榊原が野田聖子は反・小泉でたたかったのだから、もし小泉に投票する(あるいは郵政民営化法案に賛成するだったかな、同じようなことだろうけれど)なら政治家をやめるべきだといっていた。

久保純子が「はい、はい」とかいって発言を止めようとしている雰囲気だったけど、もういい加減、マスコミも自分たち自身、野田をかばう自分たちの程度の低さに気づいたらどうか。


話は変わるが、愛・地球博が大成功裡に終わりつつある。

自分はこれに貧乏で行けないのは残念であるが、昔、末広マキコとか言う最初はたしか「無所属」のいわゆるタレント議員がいた。

この人はいつの選挙だったか忘れたが、地球博に反対だったのに当選したらいきなり「賛成」にまわって、自民党に入ってしまった。

そしてたしか四年前の都議選だったと思うが小泉が葛飾区内での応援演説にこの人もなぜか付いてきていたのでたまげたことがある。

その頃の末広マキコに対するバッシングはすごいものであった。マスコミも選挙民も面と向かってたたいている感じがあった。

その頃末広マキコがなんと言っていたかというと、たしか「時代はすすんでますよ~」であったと記憶する。


野田聖子の「環境は変わった」と言う発言と末広マキコの「時代はすすんでますよ~」は選挙公約(野田はそんなものはじめっからなかったようなものだが)を破り捨てたことを曖昧な言葉でごまかそうとする共通のハーモニーをわたしの心の中で奏でている。

末広は自説を180度変えて自民党にいることで自らの政治生活を破綻に追い込んでしまったのではなかったか。

野田がもし万が一このまま自民党にいすわり続けても野田のバックにはほとんどすべてのマスコミ様が控えているので、議席を失うようなことはないだろうが、それでは自民党が駄目になる。もちろん、野田を応援した地方議員も全員除名すべきだ。
          

             
                     文中敬称略



野田聖子は県議らのためを本当に思うなら自分の応援をさせるべきではなかったでしょう

2005-09-16 23:49:25 | 野田聖子批判

自民党が野田聖子だけでなく、地元の県議なども処分しようとしているらしいことに関して野田がコメントしていた。

こちらをご覧ください

選挙後、何度か野田は直撃取材に答えていて自分も二回は見た覚えがある。

上のリンク先では野田は自民党が県連を処分するのは「非道」と言い、自分が見たインタビューでは、「自分を応援していた人たちは何も悪いことはしていなので、それは体をはってでも止めたい」などといきまいていた。


この人の言い方ですっかり抜け落ちていると思うのは、自民党本部が処分しようとしているのは、自民党に所属している人たちであるということである。

自民党岐阜県連に所属する県議であれば、党の決定に従わなければ、処分があるのは当然ではないだろうか。

しかも野田は選挙中自分の処遇をめぐって自民党批判を公然と繰り返し、党の政策を批判し続けてきたわけだから、そういう人物を応援していた県議も党は当然処分すべきであろう。


野田であれ、地元の県議であれ、自民党に関係ある人間がこれだけのことをして処分されないとしたらそちらのほうがどうかしている。

もちろん鶴保庸介に関しても同じことが言えるであろう。

野田は県連が野田を応援したら処分されるなどということは想像していなかったとでも言うのだろうか。

しかしそれはいくらなんでも考えが甘すぎるし、野田がもし地元の県議のことを考える人間であったら、自分を応援したら迷惑がかかるということを理由に県議や夫の応援は断わるべきであったのではないか。


もっともこれも自民党が野田聖子ら造反議員に対する処分をためらっていたことにも原因の一端はあるのであって、自民党自身にも反省すべき点はあるだろう。


今回の選挙は「自民圧勝」という結果などから小選挙区制度の特徴が如実に出た選挙だということが言われているが、いわゆる自民党の「造反議員」たちが党の再三にわたる警告を無視して自民党を離党しないまま、しかも野田の場合「自民党岐阜県連公認」という形で選挙に出てしまったというのは、中選挙区制度時代の非常に悪い馴れ合い政治の側面がいまだに自民党に根強く残っていることを示すものでもあるのではないか。


中選挙区の時代には同じ選挙区に同じ党から、三人ぐらいの候補者が立候補して議席を争うということが通常であって、これが中選挙区のもっとも悪い点だというのが小選挙区制度に移行した最大の理由であったはずである。

いわば党内の身内同士で議席を争うということの理不尽さもさる事ながら、同じ党に属しているはずだから政策の違いはないはずなのに何を基準に選挙民は投票するのか定まりにくいという矛盾が中選挙区制度に関して指摘されてきたはずである。

しかし、今回の選挙では自民党の分裂選挙などとも言われたが、小選挙区においてもまたしても自民党が公認していないのではあるが、岐阜一区などの場合、結果として同じ党から候補者が二人出たことになってしまった。


こういう言い方もあまり正確ではなくて、自民党はもちろん一つの選挙区に一人の候補者しかたてなかったつもりであるのに、野田をはじめとする造反議員ばかりか、そうした人たちを応援する地方組織がこぞってその方針をこわす役割を果たしてしまったわけで、これで党からなんらの処分もなされないとしたら非常におかしなことになる。


野田は数年前から野党顔負けの小泉批判を繰り返しているが、今回の選挙の後は、自分のサイトをせっせと消して知らんぷりしている。


野田は選挙直前から選挙公約を出したり消したりしていて、マニフェストどころか、単なるひどい「どぶ板選挙」になってしまった。

しかも、公開討論も地元でのみ放映され、これだけ注目されている選挙区でありながら三面記事的な選挙活動のみがマスコミに取り上げられるまことに後味の悪い選挙になってしまった。


選挙中から自民党にも民主党にもマニフェストなどに関して書きたいことがあったが、野田批判ばかりしているためそこまで手がまわらない。

困ったものだ。


ここ数日アクセス数がすごく増えてますが、何かの拍子に誰かさんみたくバックれたらすいません



                      文中敬称略

報道ステーションの加藤千洋こそバランス感覚ないのでは。テレビ朝日や朝日新聞にはもともとないが。。。

2005-09-15 23:40:52 | 野田聖子批判

昨日の報道ステーションで野田聖子などが除名になる情勢であることを取り上げていた。

その中で、加藤千洋が野田聖子などは処分が検討されている一方で、中曽根弘文など参議院で反対した者は処分が今のところ取りざたされていないのは「バランスを欠く」旨の発言をしていた。


今に始まった話ではないが、これまたずいぶんおかしなことを言う人だと思った。

「バランス」と言ったって、比較するのがおかしいでしょう。参議院はまだ選挙を行ったわけではないわけだから。


もちろん衆議院で反対した段階でそれなりに警告は発しているわけだけれど、選挙になったわけだから、衆議院議員に関して警告を発する機会が増えるのは当たり前だし、野田などはそれを無視したわけだから処罰もとりあえずこういう人たちからするべきでしょう。


逆に、参議院も反対した人はみんな除名しましょうとなったら、それで平等になるわけでしょうか。

そうなったらなったで、加藤のような人たちは「小泉や武部は独裁者だ」などとますます怒るでしょう。


参議院は党の方針にそむいて反対票を投じたという段階なわけで、その段階で処分ということになれば、野田なども衆議院で反対票を投じた段階で処分しなければならなかったことになるのでしょう。


ある程度の警告は発してはいるけれど、この人たちは「公認されない」という程度で除名にはならずに選挙になったわけで、いわば反対票を投じた段階では少なくとも除名にはなっていないわけだから、参議院の「造反議員」も今の段階で除名となったらこれまた不公平になるでしょう。


野田をはじめとする造反議員らが党の公認候補に対立する形で立候補したり、自民党の公認していない候補を応援したりしているわけだから、党に対する損害の与え方ははっきり言って「スケール」が全然違うでしょう。

ちなみに私は野田を応援した県議を含む県連関係者や鶴保庸介らも全員除名すべきだと思っている。


この問題に関してはこれから週末にかけて決定がなされ、いろいろ反応も出るだろうから、またあらためて書きたいと思っていますが、今回当選した佐藤ゆかりを中心とした組織を公認するためにも、野田聖子を応援したものは地方議員でも全て、除名、廃止処分にすべきである。


自民党も自民党で、これだけ野田聖子などにつきまとわれるというのは、それなりに理由があるからで、これからいろいろ改革しなければならない点も多いはずだと思う。


ちなみにいろいろなところで野田聖子に関して「復党」などと言う言葉が用いられているようだが、野田も言うようにまだ離党していないのでこの言葉は不適切かもしれない。


選挙に当たっての武部幹事長のコメントで分からない部分もあったが、「造反議員」に関してはとにもかくにも離党すべきとしていたはずである。
こちらをご覧ください

いずれにせよ今回の郵政民営化法案に反対の議員は自民党を離党しなければ、選挙民にとって非常に分かりにくい選挙になったはずで、実際そうなってしまった部分もあるであろう。

きちんとした政策中心の選挙にすることを妨害したという点でも造反議員の罪は重いし、今後も政策中心の選挙や政党を目指すのであれば、造反議員に対して有無を言わさぬ処分をすべきである。

むろん中曽根弘文の父親譲りとも思われる風見鶏ぶりにも驚きあきれる。こういう人が文部大臣だったとか、今でも教育問題に取り組んでいるだなんて、考えてみるだにおそろしい。


                    文中敬称略