http://www3.nhk.or.jp/news/k10014133081000.html
『京都議定書に続く日本の温室効果ガスの新たな削減目標について、政府はことし6月までの決定を目指し本格的な検討に入りました。1990年と比べて「6%の増加」から「25%の削減」まで4つの選択肢を示し、今後経済などに与える影響を試算して国民の意見を聞くことにしています。』
日本は2050年に60%~80%削減を約束しています。この約束を果たすためには25%程度の削減は必要ではないかと思う。今起きてる経済危機を考えると、経済の発展(拡大が)が本当に必要なのかどうか再検討するべきだ。たとえば車について3年度とに新車に交換する必要性や、携帯電話も2年度とに交換する必要性もあるのか?私たち一人一人の生活を見直すことで削減できる要素がある。
私たちは今まで熱病にかかっていた面がある。それは経済は常に拡大し続けるものだというものだ。拡大することが経済的に豊かになるという妄想が支配していた。しかし、それが本当に正しいのか?そのことをもう一度考え直してみよう。
世界中には今も紛争と破壊、貧困に苦しむ人々が多くいる。それらの人の生活レベルは考えられないくらい低い。世界の人口は拡大を続けているがその多くはこれらの国々の人々だ。今まさに世界は混沌の中にあると言っても良い。
私たちが生活するには食糧や衣料が必要だ。生活用品も必要。それらに対する要求はある意味無限に拡大する。それは熱病にかかった様な状況になる。引き続き流されるテレビコマーシャルはそのような生活を現実化できると錯覚してしまう。しかしふと現実に戻ると、それらの無限の要求は本当はあまり意味のないものだと気が付く。
我々が本当に求めるのは高価に飾り付けられた商品ではなく、安全で安心できる商品だ。このように考えると我々日本人、一人一人が将来の姿を描き、求める生活はそれほどエネルギーを使わない社会ではないかと思う。1990年代以前の生活に戻るとすればそれは大変だと思うかもしれないが、今の技術レベルからすればエネルギーの効率は30~40%は向上しているだろう。私たちは生活スタイルの発想転換により、以前より豊かな生活を送ることができる。
2050年に求める我々の生活レベルは今より向上していると思われる。技術の進歩はかなり進んでいる。問題は我々の心の問題で、どこで満足できるか?それこそ価値観の問題になる。
『京都議定書に続く日本の温室効果ガスの新たな削減目標について、政府はことし6月までの決定を目指し本格的な検討に入りました。1990年と比べて「6%の増加」から「25%の削減」まで4つの選択肢を示し、今後経済などに与える影響を試算して国民の意見を聞くことにしています。』
日本は2050年に60%~80%削減を約束しています。この約束を果たすためには25%程度の削減は必要ではないかと思う。今起きてる経済危機を考えると、経済の発展(拡大が)が本当に必要なのかどうか再検討するべきだ。たとえば車について3年度とに新車に交換する必要性や、携帯電話も2年度とに交換する必要性もあるのか?私たち一人一人の生活を見直すことで削減できる要素がある。
私たちは今まで熱病にかかっていた面がある。それは経済は常に拡大し続けるものだというものだ。拡大することが経済的に豊かになるという妄想が支配していた。しかし、それが本当に正しいのか?そのことをもう一度考え直してみよう。
世界中には今も紛争と破壊、貧困に苦しむ人々が多くいる。それらの人の生活レベルは考えられないくらい低い。世界の人口は拡大を続けているがその多くはこれらの国々の人々だ。今まさに世界は混沌の中にあると言っても良い。
私たちが生活するには食糧や衣料が必要だ。生活用品も必要。それらに対する要求はある意味無限に拡大する。それは熱病にかかった様な状況になる。引き続き流されるテレビコマーシャルはそのような生活を現実化できると錯覚してしまう。しかしふと現実に戻ると、それらの無限の要求は本当はあまり意味のないものだと気が付く。
我々が本当に求めるのは高価に飾り付けられた商品ではなく、安全で安心できる商品だ。このように考えると我々日本人、一人一人が将来の姿を描き、求める生活はそれほどエネルギーを使わない社会ではないかと思う。1990年代以前の生活に戻るとすればそれは大変だと思うかもしれないが、今の技術レベルからすればエネルギーの効率は30~40%は向上しているだろう。私たちは生活スタイルの発想転換により、以前より豊かな生活を送ることができる。
2050年に求める我々の生活レベルは今より向上していると思われる。技術の進歩はかなり進んでいる。問題は我々の心の問題で、どこで満足できるか?それこそ価値観の問題になる。