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日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

聖書研究

2017-06-09 16:15:54 | 大分中央ウィークリー

創世記24章38節である。「『~わたしの父の家、わたしの親族のところへ行って、息子の嫁を連れてくるように』と命じました。」という。「わたしの親族のところへ」とあるが、アブラハムの親族が生活しているところはどこか。兄弟は二人、ナホルとハランがいたが、ハランはカルディアのウルで父に先立って死んだ(創11:28)。僕は長旅の用意を整えて、アブラハムの弟ナホルのところに向ったことになる。

 

兄弟ナホルが住んでいるところは、チグリス・ユーフラテス川の上流ハランの南方地域の「アラム・ナハナイム」(24:10)であったといわれるが、その「アラム・ナハナイム」はどこか、今日、特定されていない。その言葉「ナハナイム」の意味は「二つの川」であるから、チグリス川とユーフラテス川の間という広域になる。それにしても、アブラハムがいたヘブロンから約1000キロ離れた遠方に、兄弟ナホル一族が住んでいた。

 

39節である。「わたしが、主人に、『もしかすると、相手の女がわたしに従って来たくないと言うかもしれません』と申しますと、」といいます。ここに彼の仕事に対する慎重さが見えます。アブラハムに進言してアブラハムからの考えを引き出そうとしていました。そのために彼が思いだしながら、ここにその経過をそのまま繰り返している。

 

確かに、ここに思い出しながら、繰り返いてはいるが、その背後に神が働きかけておられるという、神の真実をそっと語るのが目的であった。『もしかすると、相手の女がわたしに従って来たくないと言うかもしれません』とは、彼女に進んで来たいと思わせるところの神の働きかけを期待しながら、神に向って話しかけているようでもあるといえるし、またわたしどもの神学的理解のためにもそのように考えねばならない。


牧 会 通 信

2017-06-09 16:06:30 | 大分中央ウィークリー

 (原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 17歌(カッコ内は筆子、その3)

◯その顔は正義面(づら)で、実に慈悲深い上つ面だつたが、外(ほか)はすつかり蛇体だつた。

   二本の鉤爪ある前肢(あし)は腋の下まで毛深く、背と胸と脇腹は描かれた結び目と小さい輪でギッシリだつた。

   これよりも多彩な下地と浮出し模様の織物は、タタール人とトルコ人もかつて作つたことがない、アラニェもこんな布は織り上げたことがない。(前回ここまで)

◯しばしば岸辺に引上げられて半ばは水の中、半ばは土の上にある艀(はしけ)のやうに、あの暴飲暴食のドイツ人たちの土地で、

   戦おうと身構える海狸(いるか)のように、この最悪の獣は熱砂を限る石の縁の上に凝(じ)つとしてゐた。

   その尾はすつかり空中にのたくり、蠍(さそり)みたいに先端の尖つた毒ある熊手を高くひねり上げていた。 (つづく)

 

◯本日、6月4日ペンテコステ主日の日本聖書協会の、「聖書愛読こよみ」の主題は「聖霊のはたらき」とい

う。聖書は使徒2章1~13節である。聖霊がこの世に降るのでした。弟子たちは、生前の主イエスから教えら

れていました。何時、どのようにかについては全く知らされていませんでした。2~3節「突然、激しい風が吹

いてくるような音が天から聞こえ、彼らが坐っている家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現

れ、一人一人の上にとどまった。」とは実に力強い。今なおここに響いている。

◯写真は、故益井宣夫2周年記念会のご遺族とともに。(5月29日午後7時20分撮影)。