日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2017-06-19 17:53:22 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(416)

近代から現代へ(宗教改革とその後)  はじめに近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その56)

  第二篇から第二十一篇までを割愛して、最終篇に入ります。

第二十二篇 神の国の永遠の浄福に

1.  天使と人間の創造について

前篇で約束したように、本書の最後となる。この篇において、わたしは神の国の永遠の浄福について論ずるこ

ととする。「永遠の」という形容句は、何世紀もの間続き、そしていつの日にか終わりが来る、という意味ではな

く、「その支配はかぎりなく続く」(ルカ一・三三)と福音書に記され(前回はここまで)ているようなものである。そ

れはまた、常緑樹の場合のように、その緑は永続的であるように見えながらも、実は枯れた葉が落ち、新しい

葉がその代わりに現われることによって、いつも緑繁く見えるというのではない。一つの世代が消滅し、別の世

代がとって代わることによって、永続性の見せかけを持つのが「永続の」という意味ではない。この国において

は、すべての市民は死ぬことがない。人間でさえも、聖なる天使らが決して失わなかったその不死性に到達し

ている。この国の創設者である全能の神御自身がこれをなしとげられるであろう。神はこれを約束されたし、神

は偽ることはないのである。そのことの保障として、神はすでに約束された以上のことを果たされている。

初めにこの世界を創造し、精神と肉体をあらゆる良き物をもって満たされたのは神である。神が創造されたも

ののうちで、霊よりすぐれたものはない。~(つづく)(「神の国」出村彰訳)

 


聖書研究

2017-06-19 17:50:38 | 大分中央ウィークリー

創世記24章40節である。「主人は、『わたしは今まで主の導きに従って歩んできた。主は御使いを遣わしてお前に伴わせ、旅の目的をかなえてくださる。お前は、わたしの親族、父の家から息子のために嫁を連れて来ることができよう。」と。この言葉は、まだ現実にはなっていない。アブラハムの僕にとって、人間的には、主人のアブラハムから聞く一つの予想であり、一つの仮説である。その反対の結果もありうる性質の言葉であった。

 

しかし、そうであるにもかかわらず、やはり僕の主人アムブラハムは、信仰の人であった。それゆえ彼の不安を払拭すべく、ここで主人アムブラハムが彼に語りかけたのを思い出させたのであった。「主人は、『わたしは今まで主の導きに従って歩んできた。~』」と。それゆえ、「主は御使いを遣わしてお前に伴わせ、旅の目的をかなえてくださる。」という。三段論法である。彼、僕は得心して、その心の内の言葉を感謝して打ち明けた。それゆえ、まさに神ご自身が「旅の目的をかなえてくださる。」という。

 

41節である。「『~そのとき初めて、お前はわたしに対する誓いを解かれる。またもし、わたしの親族のところに行っても、娘をもらえない場合には、お前はこの誓いを解かれる』と言いました。」という。予定通り願いがかなったときも、また実現しなかったときをもといっている。実に丁寧なアブラハムの配慮である。

 

多分、アブラハム自身も、メソポタミヤを出てからの長い間、この唯一の兄弟親族との交流がなかったようである。どのような生活状況であり、どのような心の状態なのか、ただ親族というだけであって、全く予想がつかなかったといってよい。それゆえその結果については、全く僕の彼に責任がないといって、現状復帰を保障している。


牧 会 通 信

2017-06-19 17:42:39 | 大分中央ウィークリー

 (原 光訳 2000年、沖積舎)   ダンテの「神曲 地獄」編 17歌(カッコ内は筆子、その5)

◯先達は言つた、「あすこに横はつてゐるあの邪悪な獣まで、わたしらはいま少し曲つて行かねばならぬ。」

   それでわたしらは右側に下りて、熱砂と火の子を十分に避けるために、緑の上を十歩ほど進んだ。

   わたしらが獣のそばに着くと少し向うの熱砂の上、切り立つ崖の緑に近く坐つてゐるものたちが見えた。(前回ここまで)

◯そこで師は言つた、「この環(みち)について完全な経験を得るためには、行ってあのものたちの状態を見よ。

    話は短く切上げよ、そなたが戻るまでに、強い肩を貸してくれるやう、わたしはこの獣と話し合はう。」

    かうしてさらにわたしは第七圏(たに)のいちばん端の上を、たつた一人で悲惨なものたちが坐つてゐるところまで進んだ。(つづく)

 

◯本日、6月18日(日)の日本聖書協会の、「聖書愛読こよみ」の主題は「神の栄光の都」という。聖書は黙示録21章22~27節である。その22~23節に、「わたしは都の

中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。この都には、それを照らす神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。」と。

また27節に、「しかし、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者はだれ一人、決して都に入れない。小羊の命の書に名が書いてある者だけがれる」とは、一人ひとり、この御

言葉をどう思うか。信仰によって小羊の命の書に名を書いてもらおう。

◯写真は、長崎伝道所を伝道委員の稲葉一先生と南茂の二人が問安した。(6月14日前11時半ころ撮影)。