五、「教会とわたしたち」(414) 5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
はじめに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その54)
35.ちょうど教会の中にも偽キリスト信者がいるように異教徒の中にも、教会の隠れた子らが見いだされ
る。これがわたしたちの主キリストの贖われた家族と、王なるキリストの巡礼者の都が、その敵対者に対して
答える論議である。わたしたちはそれをいっそう拡大し、もっと豊かにすることさえできる。わたしたちの敵対者
の間にすら、来たるべき神の国の隠れた市民が存することを思いみよう(前回はここまで)ではないか。神の
国[の市民]は、わたしたちの敵がついに神の御名を告白する日まで、彼らの敵意を堪え忍ぼうとする努力が
無駄なものだと考えてはならない。同じように、神の国がこの世で巡礼者であるかぎりは、その聖秘蹟にあず
かりながらも、聖徒が受くべき永遠の嗣業に決してあずからない者が含まれているのである。ある者はすでに
顕わであるが、そうでない者も存する。いずれの場合にせよ、彼らは躊躇することなくわたしたちの敵に加担
し、自らその名を帯びている神に対してつぶやきごとを言い、時に彼らとともに劇場に蝟集(いしゅう)する。
しかし他の者はわたしたちとともに教会堂を満たすのである。しかしながら、わたしどものあからさまな敵の
間にさえ、たとえ彼ら自身にさえ知られていなくても、わたしたちの友となるよう予定されている者がいるとすれ
ば、彼ら[偽キリスト者]が立ち返る望みを捨ててしまう理由は存在しない。このように(つづく)(「神の国」出村
彰訳)