日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック 

2016-03-01 21:10:57 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(351)

4.近代の教会の夜明け  ―宗教改革とその後―ツヴィングリ

10月4日、ついに森林諸邦が軍事的には十分準備して総動員令を発し、約8000もの兵力を差し向けた。前回の1529年6月、森林諸邦(ルツェルン他5邦)は劣勢を背景に「カトリック・キリスト教連合」を結成して軍事行動に及びカッペルの野に兵力を集結したのを第一カッペル戦役というが、既述のように、仲裁和議が成立した。それから二年後のこのとき、チュウリヒ側の迎撃体制はまったく不備であった。緊急招集をかけられた市民軍はそれでもその数、数千にも及んだが、戦いにならない。10月11日朝から始まったカッペルの戦場に残された約500の戦死者のうちに、カトリックの宿敵ツヴィングリの遺体が発見された。(ここまで前回)

 チュウリヒ側は10月13日には1万3千の兵を集め、さらにベルン軍7000の兵力と合して体勢を立て直すのであるが、その一部6000の兵がツーク市の山ろくのグーベル修道院で無防備の夜営中、10月23日のこと、月明りを背にした、カトリック五州軍の一部636人の若者たちの夜襲を受け、チュウリヒ側800以上の死者を出して、この戦いは終結した。11月から様々な仲介活動が入り、翌年1月31日に第二和議(9か条)が成立し、その内容は第一カッペル戦役の第一和議を踏襲するものとされ、カトリックと改革教会を互いに町ごとに選んで尊重し合うというものであった(信徒の多い改革派優位の部分属地主義)。

 この後は、ツヴィングリの後継者を(つづく)


プロテスタントとカトリック 

2016-03-01 21:10:57 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(351)

4.近代の教会の夜明け  ―宗教改革とその後―ツヴィングリ

10月4日、ついに森林諸邦が軍事的には十分準備して総動員令を発し、約8000もの兵力を差し向けた。前回の1529年6月、森林諸邦(ルツェルン他5邦)は劣勢を背景に「カトリック・キリスト教連合」を結成して軍事行動に及びカッペルの野に兵力を集結したのを第一カッペル戦役というが、既述のように、仲裁和議が成立した。それから二年後のこのとき、チュウリヒ側の迎撃体制はまったく不備であった。緊急招集をかけられた市民軍はそれでもその数、数千にも及んだが、戦いにならない。10月11日朝から始まったカッペルの戦場に残された約500の戦死者のうちに、カトリックの宿敵ツヴィングリの遺体が発見された。(ここまで前回)

 チュウリヒ側は10月13日には1万3千の兵を集め、さらにベルン軍7000の兵力と合して体勢を立て直すのであるが、その一部6000の兵がツーク市の山ろくのグーベル修道院で無防備の夜営中、10月23日のこと、月明りを背にした、カトリック五州軍の一部636人の若者たちの夜襲を受け、チュウリヒ側800以上の死者を出して、この戦いは終結した。11月から様々な仲介活動が入り、翌年1月31日に第二和議(9か条)が成立し、その内容は第一カッペル戦役の第一和議を踏襲するものとされ、カトリックと改革教会を互いに町ごとに選んで尊重し合うというものであった(信徒の多い改革派優位の部分属地主義)。

 この後は、ツヴィングリの後継者を(つづく)


聖書研究

2016-03-01 21:08:30 | 大分中央ウィークリー

創世記22章15節である。「主のみ使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。」という。主なる神が直接語りかけるのが常であった。アブラハムの愛する独り子のイサクについて「彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい」(22・2)と命じたのは、御使いではなく神ご自身であった。そして、この御使いの呼びかけである。神の約束の更新が始まった。最初は、「刃物を取り、息子を屠ろうとした。そのとき、天から主の御使いが~」と、続いて「その子に手を下すな~」と言ったのであった。(10~12節)。

 

そして今二回目である。天からの主の御使いによって神の約束の具体的更新となった。その更新の手段として御使いをお用いになられたのではなかろうか。その約束の更新によってまったく新しい事柄の歴史的展開を告げておられる。一民族の族長時代の物語から神の御約束の広大な世界がここから開かれようとしているのである。

 

16節である。「御使いは言った。『わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である自分の息子すら惜しまなかったので、~』」という。「わたしは自らにかけて誓う、~」といいます。神様には自分以上の確かなものはないのであられるから、「自分にかけて」といわれた。従って虚偽真性の誓いではなく、人の保障を与えて、人間を安心させるため、人間への配慮です。

 

もう一つ、「自分の息子すら惜しまなかったので」とは、アブラハムの善行をたたえるのではない。神との交換取引ではない。神は恩寵として人に与えるお方です。「惜しまず施す豊かさ」(Ⅱコリ8・2)の、神への心の豊かな「惜しまなかった」です。


牧 会 通 信

2016-03-01 21:02:57 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第12歌(カッコ内は筆子、その14)

◯それから見られたものたちは、血から頭と胸をすつかり出してゐた、わたしの見知つているものもかなりゐた。

 このやうに少しづつ血は浅くなつていき、煮られるものは足だけとなつた、ここでわたしらは堀を渡つた。

「ごらんの通りこつち側では、沸騰する血はしだいに浅くなつているが、」とチェンタウロは言つた、「信じてほしい、(ここまで前回)

◯向こう側では少しづつ底が深くなつて、つひには暴虐を極めたものどもが、苦悶すべき所に達してゐるのだ。

神の正義はそこで大地の鞭だつたあのアッティラ、ピッロとセストをヅキヅキ苦しめ、道道であんなにもうんと戦闘をしかけた、

リニエル・ダ・コルネトとリニエル・バッツォから、沸騰の苦痛できりもなく涙を搾り出してゐるのだ。」

それからネッソは踵を返し、浅瀬を渡り返した。(次は、第13歌)

 

◯2016年2月28日は第九主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は「貧しい人々に施しなさい」という主題である。詩編41編1~14節、その1節、「いかに幸いなことでしょう 弱いものに思いやりのある人は。災いのふりかかるとき 主はその人を逃れさせてくださいます。」と詠う。大地震被災者を助ける等である。

 

◯写真は、ネット・ウィキペディア百科事典より転写「カッペル木造橋」。古都ルツェルンを敵の攻撃から守ることを主眼に、1333年に建造のロイス川にかかる屋根付橋であるが、1993年の火災で焼失し、観光用に再建。ツヴィングリが戦死したカッペル戦場からやや遠い。