ダンテの「神曲 地獄」編 第13歌(カッコ内は筆子、その4) (原 光訳 2000年、沖積舎)
◯ずつとさうなのだ、だがよく見るがいい、わたしが話しただけでは信じてもらへまいものが見られるだらうから。」
いたるところから悲痛な呻きが吐き出されるのが聞えたが、吐き出すものが見えないのでわたしはすつかりとまどつて立止まつた。
こんなにも多くの声は繁茂してゐる木木に隠されて、わたしらには見えぬものたちが発してゐるのだらうと、わたしが思つてゐると思つたからだらう、(ここまで前回)
◯それで師は言つた、「どれでもこれらの大木の一つの小枝を折り取るならば、そなたの考へもすつかり切落されるだらう。」
それでわたしが手を少し前へ差出して、大きな茨から小枝を摘取ると、その幹が叫んだ、「なぜわたしを折るのだ?」
それから吹き出る血でどす黒くなつたが、またかう言ひ出した、「なぜわたしを裂くのだ?まつたく憐みの心がないのか?(つづく)
◯2016年3月27日は第十三主日、イースター。日聖協「聖書愛読こよみ」は「復活の福音」という主題である。マタイ28章1~10節、その6節、「あの方は、ここにはおられない。かねていわれていた通り、復活なさったのだ。さあ、遺体のおいてあった場所を見なさい。」と。二人の婦人が天使の指示するままに墓の中を見た。イエスのご遺体がないことを目撃した。その心が二つ、「婦人たちは「恐れながらも大いに喜び」と。あなたならどうか。
◯写真は、3月21~22日、第64回九州中会が福岡筑紫野教会で開催さ第二日目に建議案「九州中会教師退職謝恩金制度設立に関する件の説明をする福祉委員、秦博記兄(当教会長老)。協議の結果、継続審議となった。
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