日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2016-03-23 23:55:13 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(354)   

 4.近代の教会の夜明け  ―宗教改革とその後―近代から現代へ

  いま、宗教改革に至る歴史を終了する。しかしこの後、現代までの歴史は、来年2017年にはルターのヴィッテンベルク城教会の扉に九五ヶ条の提題が掲げられ宗教改革の大旋風(1517年)が巻き起こされて五百周年を迎える。その歴史を覚えながら、われわれはこの稿において近代から現代へと進む。スイス・ツヴィングリの時代のカトリックの信仰を固守した、いわゆる森林五州の一つ、ルツェルン州古都ルツェルン近郊のスールシーでカトリック信仰をもつ両親の元に1928年に生まれたハンス・キュンク氏の著「キリスト教思想の形成者たち」などを参考にしながら聖書の使徒パウロから始まった歴史を辿ることにする。(ここまで前回)

「パウロから始まった」といっても、その名のつく手紙という形で聖書に残され十三通は、宣教目的によって書かれたものであって、歴史的目的を持って書かれたものでない。しかし、わたしどものこの稿で採用されないが、ハンス・キュンク氏のその書き出しは、「最初のキリスト教著作家であり神学者であったユダヤ人パウロは、キリキヤ(今日のトルコ)の町タルソスの生まれである。」という書き方で始まる。まさに歴史書としての考察であり、聖書は、使徒言行録9章11節から採られた。聖書にはその種の時代考証的な部分がかなり含まれているので、適切な編集作業を伴わせるなら、そのまま初代教会の歴史書の価値を有するとするのが大方の研究者の評価である。さて、初代教会の(つづく)


聖書研究

2016-03-23 23:53:13 | 大分中央ウィークリー

創世記22章18節である。「地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」という。前節の神の恩寵としての祝福部分の拡大である。これと同じ思想は、族長物語ではこの後26章4節のイサクに見られる。「わたしはあなたの子孫を天の星のように増やし、これらの土地をすべてあなたの子孫に与える。地上の諸国民はすべてあなたの子孫によって祝福を得る。」という具合に受け継がれていくのである(出32・13、イザ45・13「すべての膝はかがみ」)。 

「主の山に備えあり」の祝福は14節で物語としては終わるのであるが、その継続性がここに確認される。伝統的に、このようにして、神の民の受け継がれていくというか、神によってこの約束が守られ、そのつど更新されて実行されていくのである。 

19節である。「アブラハムは若者のいるところへ戻り、ともにベエル・シェバへ向った。アブラハムはベエル・シェバに住んだ。」という。この「ベエル・シェバ」は、その土地の王であったアビメレクに、直接的にはアブラハムが妻サラを自分の妹として彼の側女に提供し、異国異教の土地ゲラルに進入したのであるが、アブラハムの神がそれを許さず、その真相を夢によってアビメレクに告げて、彼の心を翻させた。 

その背後の問題として、多分井戸の権利争いか、あるいは牧童どもの争いなど、不穏な関係が生起していたのであろう。その争いを避けるためにアビメレクが和解を申し出た(20・15)。この種の争いは繰り返して起こるのがこの地では日常的なことであり、その解決の結果、その契約の記念として地名を「ベエル・シェバ」(七つの井戸)と名付けられた(21・30)。やがてパレスチナの南端の町となる(代上21・2)。


牧 会 通 信

2016-03-23 23:34:21 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第13歌(カッコ内は筆子、その3)

◯ここには醜悪なアルピアたちが巣食つてゐる、未来の禍について不吉な予言をしてトロイア人をストロファデから追出したものどもだ。

 その翼は幅広く、頸と顔は人間で、足には鉤爪があり、大きな腹は羽毛で覆はれ、奇怪な木木の上で悲しげに鳴いてゐる。

 親切な師は言つた、「もつと分け入る前に、ここは第二の環(かこい)だと知るがいい、恐ろしい砂地に着くまでは(ここまで前回)

◯ずつとさうなのだ、だがよく見るがいい、わたしが話しただけでは信じてもらへまいものが見られるだらうから。」

 いたるところから悲痛な呻きが吐き出されるのが聞えたが、吐き出すものが見えないのでわたしはすつかりとまどつて立止まつた。

こんなにも多くの声は繁茂してゐる木木に隠されて、わたしらには見えぬものたちが発してゐるのだらうと、わたしが思つてゐると思つたからだらう、(つづく)           

 

◯2016年3月20日は第十二主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は「主の苦難をしのぶ」という主題である。マタイ21章1~11節、その11節、「そこで群集は、『この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ』と言った。」と。ここに群集は、主イエスのことを「ナザレから出た預言者」という。田舎者という蔑みがあり、同時に『異邦人のガリラヤ、『暗闇に住む民は大きな光を見』(マタイ4・16)と。希望の光のために苦難をしのぶお方。

 

◯写真は、3月7日、東京・渋谷区の日本キリスト改革派教会・東京恩寵教会での第44回日本改革教会協議会の司会者三好明教師(左、志木北伝道所牧師)。手前、講師今井献先生