牧 会 通 信 (原 光訳 2000年、沖積舎、)
ダンテ(1265-1321)の「神曲 地獄」編 第18歌(その15)
◯髪の毛の乾いたお前をすでに見たことがあるからだ。お前はアレッシオ・インテルミネイ・ダ・ルッカだらう、それで外の誰よりもお前を凝視してゐるのだ。」
すると自分のカボチャ頭を打つて言つた、「ここに沈められてるのはおべつかのせゐだ、この舌はかつておべつがなかったのだ。」
すると先達が言つた、「もう少し先へ眼を凝らせ、あの穢れた逢髪の自堕落女の顔がよく見えるやうに、(前回はここまで)
◯糞だらけの爪で自分のからだを引っ掻き、sじやがんだり立上がつたりしているあの女は、タイデ(遊女の名)、贈物をしたなじみの客が、
大きにお気に召したかね?と尋ねたとき、それどころろかとてつもなくよ!と答へた遊女だ。
こんなものにはもうわたしらの眼はうんざりだろう。」(次、第19歌)
◯本日12月17日(日)は、待降節第三主日です。日本聖書協会の聖書本文は、イザヤ書60章1~3節である主題は「栄光の主の審判」という。その2節、「見よ、闇は地を覆い暗黒が国々を包んでいる。あなたの上には主が輝き出で 主の栄光があなたの上に現われる。」という。地中海沿岸の諸国を始めとしてその当時の世界中は戦争と戦いの不安の闇の中に閉ざされていた。しかしエルサレムにのみ主の栄光が現れるから、教会に参集されたいといっている。教会こそ今のエルサレムである。主の来臨を待つ教会。
写真は、安土桃山時代(1573~1600)には竹田、岡藩では、関ヶ原合戦(1600)ヘの出陣とかクリスマスには鳴り響かせていたサンチャゴの鐘。現在は国の重要文化財に指定。竹田キリシタン資料館において(11月1日撮影)。
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