創世記22章1節である。「これらのことの後で、神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が『はい』と答えると、」という。アブラハムにとっては、二度と起こってはならない信仰の試練のときが始まった。このあと独り子イサクを神のために犠牲としてささげるという試練が始まろうとしている。そのための神の呼びかけであった。
もともと、中近東には人身供養の風習があった。その社会的文化の中に後から入ってきて、その文化風習に対して、アブラハムに率いられたヘブライ人がどのようにして対決したのかということを、この物語を通して伝えようとしている。「これらのことの後で、」という。資料説によれば、この前節34節「アブラハムは、長い間、ペリシテの国に寄留した。」から文体が一転している。E典である。「これらのこと」とは、何のことであるのか不明。重大な事件があったのかも知れない。
22章2節である。「神は命じられた。『あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れてモリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。』という。アブラハムには大変な試練となった。異教の神々に献げる人身供養のような神からの言葉であった。神の言葉を聴かされたアブラハム、その言葉に従うべきか、従わざるか、まず、その判断に苦しんだのであろう。
アブラハムがいかに苦しんだか、言葉の並びが暗示している。他でもない先ず「あなたの息子」という。第二は、「あなたの愛する者」、第三、「独り子」そして「イサク」であった。一つ一つによってアブラハムの胸を打ったであろう。
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