創世記20章16節である。「また、サラに言った。『わたし
は、銀一千シェケルをあなたの兄上に贈りました。それは、
あなたとの間のすべての出来事の疑惑を晴らす証拠です。これでわたしの名誉は取り戻されるでしょう。』」と。「銀一千シェケル」とは、この時代、銀30シェケルが奴隷一人の代価であった(出21:32)。その総額「銀一千シェケル」とは、アビメレクが自分の罪を認めたその評価の大きさを表している。
「疑惑を晴らす証拠です。」とは思い切った意訳である。口語訳は「償いをするものです」という。直訳は「(他人の)眼を覆うもの」つまり見えなくする」ということば、「なかったものと見なす」という法律用語である。
17節である。「アブラハムが神に祈ると、神はアビメレクとその妻、およびその侍女たちをいやされたので、再び子供を産むことができるようになった。」という。アブラハムが75歳(12・4)のときカナン地方を襲った飢饉のために、エジプトへ逃れた。そのときも、妻サライについて「妹である」といって同じ方法を用いた。それも神の力によって、その虚偽が発覚してエジプトを出なくてはならなくなった(12・20)。
ここは年齢99歳(17・24)であった。ここネゲブ地方ゲラルの王アビメレクはその妻を戻すのに破格の誠意をしめした。その誠意に応えアブラハムは王とその家臣たちのために祈った。感謝の祈りをもって次の行動に移ろうとする信仰の円熟した姿をわれわれは読み取らねばならないであろう。
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