五、「教会とわたしたち」(337)
4.近代の教会の夜明け ―宗教改革とその後―
以後、その年の12月には修道院はすべて閉鎖されている。改革派教会の会堂はただ説教壇と洗礼盤、聖餐台だけを残す簡素さを特色として今日まで続いている。その後オルガンを伴う讃美歌を歌う習慣は回復した。ステンドグラスもデザインは変化させたものが大聖堂に見られるが、いずれも19世紀に入ってからであるといわれる。チューリヒの福音主義への改革完了を告げるしるしは1525年3月、イースターを期してのミサの式典廃絶であるといわれる。3月12日、チューリヒにおける最後のミサ執行ののち、聖体や聖油、その他一切の聖具、(ここまで前回)ミサ典礼書は会堂から運び去られて焼却または棄却された。
その翌日、13日には最初の福音主義の立場による聖餐式が執行された。それまでは、派手な緋色の祭服を身にまとい、会衆には背を向けて、祭壇に相向い、「これはわたしの身体である」と称えたそのときにパンが聖なるキリストの体に変化し、聖体となったキリストを、罪の贖いとなった犠牲として先ず神に奉献する。それが人々の見慣れたミサの祭儀であったが、今や、質素な説教ガウンを身に着けた牧師が、会衆に向かい合って正面に立ち、聖餐台の上の木の皿に盛られた小さく四角く刻まれたパンと杯のぶどう酒とを会衆に分かち与える。それまでは会衆が受けることができたのはパンのみであった。ぶどう酒は祭司が飲み干す定めであったが、今や会衆のすべての手にぶどう酒の杯が渡される。(つづく)