日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック 

2015-11-20 17:31:52 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(336)

4.近代の教会の夜明け ―宗教改革とその後―

  このような衝撃波の表れが、翌年1524年早々には、旧信仰に固執する者たちは市参事会員の職から追われ、チュリッヒは共同体全体としても福音主義支持の姿勢を明らかにした。同じ年の六月には聖画像が、市内のすべての教会から撤去された。中世壱千数百年にわたって、文字を解することの出来ない一般信徒のために、信仰の手引きの役割を果たしてきた聖母マリアをはじめ、諸聖人の画像、聖遺物、またそれらを主題とするステンドグラスなどはすべて姿を消した。今日的には考え難いことであるが、その当時の豪勢で派手なものとして見らながらも、ごく一般的であったオルガン演奏も禁じられた。音声での詩編歌を歌うのが主流となった。さらに諸聖人の祝祭日など何百年にも渡ってカトリックの信徒の日常生活の習慣も一切停止された。(ここまで前回)

以後、その年の12月には修道院はすべて閉鎖されている。改革派教会の会堂はただ説教壇と洗礼盤、聖餐台だけを残す簡素さを特色として今日まで続いている。その後オルガンを伴う讃美歌を歌う習慣は回復した。ステンドグラスもデザインは変化させたものが大聖堂に見られるが、いずれも19世紀に入ってからであるといわれる。

チューリヒの福音主義への改革完了を告げるしるしは1525年3月、イースターを期してのミサの式典廃絶であるといわれる。3月12日、チューリヒにおける最後のミサ執行ののち、聖体や聖油、その他一切の聖具、(つづく)


聖書研究

2015-11-20 17:30:11 | 大分中央ウィークリー

創世記21章34節である。「アブラハムは、長い間、ペリシテの国に寄留した。」という。ここの「長い間」はどれぐらいの期間であったのかは不明である。つづくイサク奉献の物語では、19節に、「アブラハムはベエル・シェバに住んだ」とあるのと、そのときのイサクは嬰児ではなく、少年であり、立派に成長した様子がうかがえるところから、それ相当に長く住んでいたことが伺える。しかしそれはあくまでも「寄留」であって、永住ではない。

 

それにしても歴史は冷酷である。アブラハムがこのとき親しくしていた「ペリシテの国」は、やがて、イスラエルのダビデに頑強に敵対して苦しめることになった。この時を紀元前18世紀とすると、ダビデの時代まで800年経過したことになる。

 

22章1節である。「これらのことの後で、神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が『はい』と答えると、」という。アブラハムにとっては、二度と起こってはならない信仰の試練のときが始まった。このあと独り子イサクを神にために犠牲としてささげるという試練が始まろうとしている。そのための神の呼びかけであった。

 

もともと、中近東には人身供養の風習があった。その社会的文化の中に後から入ってきて、その文化風習に対して、アブラハムに率いられたヘブライ人がどのようにして対決したのかということを、この物語を通して伝えようとしている。「これらのことの後で、」という。資料説によれば、この前節34節「アブラハムは、長い間、ペリシテの国に寄留した。」から文体が一転している。E典である。「これらのこと」とは、何のことであるのか不明。重大な事件があったのかも知れない。(つづく)


牧 会 通 信

2015-11-20 17:06:27 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第11歌(カッコ内は筆子、その9)

◯学び模(ま)ねてゐることを。 そなたの物理学によく注意するならば、あまり後でない頁に見出すだらう、生徒が師に従ふやうに、

そなたたちの技術は出来るかぎり自然に従ふといふ言葉を、だからそなたたちの技術はいはば神にたいする孫なのだ。

創世記を最初から思ひ返してほしいが、この自然と自身とそれに従う技術によつて、そなたたちは命の糧を得、前進しなければならぬ。 (ここまで前回) 

◯だから高利貸しは別の道を歩んでゐるのだ、あらぬところに希望をかけ、自然自身に従ふ技術を軽蔑してゐるのだから。

だがもうわたしに従って進むがよい、魚座が地平線の上できらめき跳ね、大熊座はすっかり北西の上に位置し、

崖路はずつと向うで下つてゐるのだから。」(つづく) 

◯2015年11月15日は、今年の第四十六主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は「御心にかなう生き方」という主題である。聖書はエレミヤ33章1~11節、その11節、「しかし、やがて喜び祝う声、花婿と花嫁の声、感謝の供え物を主の神殿に携え来る者が、『万軍の主をほめたたえよ。主は恵み深く、その慈しみはとこしえに』と歌う声が聞こえるようになる。」と。この苦しみと試練の世はわたしたちの信仰によってやがて複雑な路を通りながらであると予想されるが、回復する。信仰にはどんな苦難も解決させる力がやどる。それゆえ、信仰を強くして見えない神の働きに信頼を寄せること。 

◯写真は、11月29日の特別伝道のチラシに用いた駅前にあるザビエル銅像の写真である(11月11日撮影)。