五、「教会とわたしたち」(336)
4.近代の教会の夜明け ―宗教改革とその後―
このような衝撃波の表れが、翌年1524年早々には、旧信仰に固執する者たちは市参事会員の職から追われ、チュリッヒは共同体全体としても福音主義支持の姿勢を明らかにした。同じ年の六月には聖画像が、市内のすべての教会から撤去された。中世壱千数百年にわたって、文字を解することの出来ない一般信徒のために、信仰の手引きの役割を果たしてきた聖母マリアをはじめ、諸聖人の画像、聖遺物、またそれらを主題とするステンドグラスなどはすべて姿を消した。今日的には考え難いことであるが、その当時の豪勢で派手なものとして見らながらも、ごく一般的であったオルガン演奏も禁じられた。音声での詩編歌を歌うのが主流となった。さらに諸聖人の祝祭日など何百年にも渡ってカトリックの信徒の日常生活の習慣も一切停止された。(ここまで前回)
以後、その年の12月には修道院はすべて閉鎖されている。改革派教会の会堂はただ説教壇と洗礼盤、聖餐台だけを残す簡素さを特色として今日まで続いている。その後オルガンを伴う讃美歌を歌う習慣は回復した。ステンドグラスもデザインは変化させたものが大聖堂に見られるが、いずれも19世紀に入ってからであるといわれる。
チューリヒの福音主義への改革完了を告げるしるしは1525年3月、イースターを期してのミサの式典廃絶であるといわれる。3月12日、チューリヒにおける最後のミサ執行ののち、聖体や聖油、その他一切の聖具、(つづく)