日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック 

2015-06-15 23:08:01 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(316)

4.近代の教会の夜明け

―宗教改革―スコットランド

このモルトン伯は、J・ノックスの死後、教会の危機的戦いに敢然と立ち向かった。四ヵ月後、残留していたメアリー女王党がエディンバラ城に立て篭もり反乱を起こした。1572年2月であった。改革派教会の存立を脅かす内戦となった。ジェームス6世(5歳)を要する国王党の重鎮モルトン伯は伝統的に親英派であり、英国の支持を取り付け、支配権を急速に拡大して女王党を孤立させた。すなわち(ここまで前回)

女王党の支持者であったハントリおよびハミルトン家とも協定を結んで、彼らを女王党から離脱させた。更に4月には同じようにシートン卿とアソル伯がこれに倣った。かくしてエディンバラ城の籠城派は完全に孤立した。同月、英国女王エリザベツはモルトン伯との約束を守って、イングランド軍をスコットランドに派遣した。十一日間の砲撃戦で、イングランド軍の大砲がエディンバラ城の城壁を破壊し、5月28日に籠城軍は降伏した。かつて1560年リースにイングランド艦隊を派遣してフランス軍を追い払ってプロテスタントの会衆軍を助けたことがあったが、ここでもエリザベツがスコットランドのプロテスタントを救った。神の歴史の不思議な巡り会わせというより他に言いようがない。

 その後1603年、英国の女王エリザベツの死去、スコットランドのジェームス(つづく)


聖書研究

2015-06-15 23:04:20 | 大分中央ウィークリー

創世記21章12節である。「神はアブラハムに言われた。『あの子供とあの女のことで苦しまなくてもよい。すべてサラが言うことに聞き従いなさい。あなたの子孫はイサクによって伝えられる。~』」アブラハムの苦しみに神は助け舟を出された。 

アブラハムの人間的な苦しみが悪いというのではない。神の世界は神が責任をとっておられる。その意味で、神からの課題を避けようとするのではなく、その課題を引き受けねばならない。しかし、それはアブラハムにとって決して軽い課題ではなかった。先ずその課題の第一は「あなたの子孫はイサクによって伝えられる。」というものであった。 

13節である。「しかし、あの女の息子も一つの国民の父とする。彼もあなたの子であるからだ。」という。神の言葉はなおも続きます。側女、ハガルの子に対しても神は配慮される。かつて、アブラハムにその妻サラが身ごもると言われたときから、先に86歳のときに(16:16)生まれていたハガルの子はどうなるのかアブラハムには大きな悩みであった(創17:18)。 

しかし神のこの言葉は、その時も今もかわらず、ハガルの子、イシュマエルに対する約束は変わることなくここで実行されるのであった。理由は「あなたの子であるから」である。しかしこの言葉によって、明確にイサクと区別されている。直接の選びの系列の中にはないという言い方である。それにもかかわらず、アブラハムとの血のつながりよって、神の契約の中に入れられ、「一つの国民の父とする」という光栄を受けるのである。


牧 会 通 信

2015-06-15 22:55:26 | 大分中央ウィークリー

 (原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第10歌(カッコ内は筆子、その5)

◯だしぬけにかうした言葉が石棺(はか)の一つから迸(ほとばし)つたので、わたしはぞッとしてもう少し先達に近寄つた。

師は言つた、「振向け、どうしたのだ? 直立したファリナーター(フィレンツェの政治の1239年、有力な政党の首領)を見ろ、腰から上がすつかり見えるから。」

わたしはすでに眼をあのものの眼に釘づけにしてゐたが、あのものは地獄を蔑みきつてでもゐるやうに、ぐつと胸と額をもたげて直立してゐた。(ここまで前回)

◯師は力強く機敏な両手で墓の間、あのものの方へわたしを押し動かして言つた、「丁重な言葉づかひをしろ。」

  わたしがその墓の下に着くと、あのものはすこしわたしを凝視(みつ)めてから、ほとんど蔑むやうに、わたしに尋ねた、「そなたの先祖は誰か?」

  従順でありたかつたわたしは、隠さずにすつかり打明けた。すると眉をすこし釣上げて言つた、(つづく)

 ◯2015年6月14日は、今年の第二十四主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は、詩編33編13~22節、その18節「見よ、主は目注がれる 主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。」という。ここに注目の言葉は、「主を畏れる」である。世界の創造者であられる主(ヤハウェ)への畏れを知らないままわたしたちは生まれて来た。そのことを知らせてくださるのは、主御自身である。人間ではない。「主を畏れる」ことを知った人は、素晴しい人生が始まる。

 

◯写真は、県立美術玄関シンボル。斬新な芸術感覚を伝える。(6月12日、撮)