五、「教会とわたしたち」(318)
4.近代の教会の夜明け―宗教改革―スコットランド
6世が61歳で英国の王になった。エリザベツに嫡子がないので、元イングランドの王ヘンリー7世の曾孫にあたるこのジェームス6世がイングランドのジェームス1世としてそのままイングランドの王位に着いた。かつてジェームス6世の母親で、あの腹黒いメアリー王女がこのヘンリー7世の孫に当たるという理由で、イングランド王女エリザベツと王位継承で争ったのは、その血統のゆえであった。この母親を幼児の時から引き離されて育てられたジェームス6世がイングランドの王位に即位するとは、われわれの想像に及ばなかった出来事となった。これをイギリス史では王冠連合(Union of theCrowns)という。(ここまで前回)
つまりジェームス1世と改称して、イングランドと共にスコットランドも一緒に統治することとなった。このころからジェームス1世は教会の統治権を手中に収めようとする意欲をあらわにしだした。7年後の1610年国会の賛同を得て、英国国教会の監督政治をスコットランドにも監督政治を取り入れようとした。しかし、スコットランド教会は強力な抵抗体制をとった。ジョン・ノックスの死後の教会の後継者となった、ノックスの友人アンドリュー・メルヴィルは、かつてジュネーヴで学び、カルヴァンの感化を強く受けた人であったために長老政治を固守し王と争い投獄された。(つづく)