日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2015-06-08 23:15:06 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(315)

4.近代の教会の夜明け

―宗教改革―スコットランド歳は58歳であった。彼の遺体は当時エディンバラに滞在中の数人の貴族たちと、その他親しい者たちに付き添われ聖ギレス教会に運ばれた。あのノックスと争ったスコットランドの女王メアリーがこの二ヶ月前にロンドン塔に監禁された。そのこともあって、スコットランドの全国民はノックスの死を心から哀悼した。彼の告別式は二日後の11月26日、エディンバラのセント・ジャイルズ教会で盛大に行われ、その教会の南に接する教会墓地に葬られた。ノックスの死の当日、摂生に任命されたモントル伯は、簡単な言葉で墓の前で告別の辞を述べた。「ここにいかなる人間をも恐れず、また何人にもおもねることをせず、剣しばしば彼を脅かしたにもかかわらず、平和と栄光のうちにその生涯を終わった人がここに眠る」と。その言葉がノックスの墓碑銘に刻字され、その複製が今日も残っている。(ここまで前回)

このモルトン伯は、J・ノックスの死後、教会の危機的戦いに敢然と立ち向かった。四ヵ月後、残留していたメアリー女王党がエディンバラ城に立て篭もり反乱を起こした。1572年2月であった。改革派教会の存立を脅かす内戦となった。ジェームス6世(5歳)を要する国王党の重鎮モルトン伯は伝統的に親英派であり、英国の支持を取り付け、支配権を急速に拡大して女王党を孤立させた。すなわち(つづく)


聖書研究

2015-06-08 22:55:08 | 大分中央ウィークリー

創世記21章11節である。「このことはアブラハムを非常に苦しめた。その子も自分の子であったからである。」という。アブラハムの妻サラの言葉によって彼が非常に苦しんだという。そのはずである。腹違いの子供であっても夫の側(そば)女に産ませた子は、自分の子供である。老齢の子であることはもとより永い間後継者を考えて来た彼に、その思いの転換には困難があった。 

サラの言葉「あの女とあの子を追い出してください」は彼に厳しい。解決は一つである。この場合は、サラの言うとおり、「追い出す」以外にないのである。問題を解決するには、サラの夫であるアブラハムの心の痛みを斟酌するわけには行かない。その痛みは夫であるアブラハムがその生涯を掛けて心に秘めていかねばならないであろう。癒しがたい苦悩であった。 

12節である。「神はアブラハムに言われた。『あの子供とあの女のことで苦しまなくてもよい。すべてサラが言うことに聞き従いなさい。あなたの子孫はイサクによって伝えられる。~』」アブラハムの苦しみに神は助け舟を出された。 

アブラハムの人間的な苦しみが悪いというのではない。神の世界は神が責任をとっておられる。その意味で、神からの課題を避けようとするのではなく、その課題を引き受けねばならない。しかし、それはアブラハムにとって決して軽い課題ではなかった。先ずその課題の第一は「あなたの子孫はイサクによって伝えられる。」というものであった。


牧 会 通 信

2015-06-08 20:19:43 | 大分中央ウィークリー

 (原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第10歌(カッコ内は筆子、その4)

◯わたしは言つた、「親切な師よ、わたしの心をあなたに隠したままでゐるのも、できるだけ言葉を慎みたいからです、あなた御自身すここし前にさうするように命じられたのです。」

  「おおトスナカ人(びと、ダンテの故国、フィレンツェの人々もこの中に入る)よ、生きたまま礼儀正しく話しながら、この火の市(まち)を進むそなたよ、どうかここに立止まつてくれ。

  そなたの言葉ではつきり分る、そなたはあのぬきんでた祖国のものだと、恐らくわたしはあすこをあまりにも苦しめすぎたやうだが。」

(ここまで前回 横線部分は追加

◯だしぬけにかうした言葉が石棺(はか)の一つから迸(ほとばし)つたので、わたしはぞッとしてもう少し先達に近寄つた。

師は言つた、「振向け、どうしたのだ? 直立したファリナーター(フィレンツェの政治の1239年、有力な政党の首領)を見ろ、腰から上がすつかり見えるから。」

わたしはすでに眼をあのものの眼に釘づけにしてゐたが、あのものは地獄を蔑みきつてでもゐるやうに、ぐつと胸と額をもたげて直立してゐた。(つづく) 

◯2015年6月7日は、今年の第二十三主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は、創世記22章1~8節、イサクが「小羊はどこにいますか」と問いかけた。その8節である。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の子羊はきっと神が備えてくださる。」という。ここにアブラハムの行動と心の分離を見る。行いの伴った信仰の厳しさを読み取らねばならない。

 

◯写真は、教会敷地に隣接する県立美術館のケヤキ並木(6月6日前11時撮)