熱血通信

日々の出来事を思いのままに…

安心安全な食卓

2008-01-31 22:38:25 | Weblog
冷凍餃子を食べた方が健康被害を訴えられた方が、
1道2府12県で46名にものぼり、問題の冷凍品が店頭から
引き上げられています。

冷凍食品の中に、日本では使用が認められていない農薬が
混入されたらしく、昨年12月あたりから被害があったにも
かかわらず、初めに健康被害があった方の情報が、きちん
と伝わらず被害が拡大したようです。

この製品は、ジェイティフーズが中国から輸入し、生協な
どで販売された冷凍食品で、冷凍餃子以外にも製造・輸出
されているという報道がなされました。この食品会社は、
中国河北省従業員1000名の比較的大きな工場で、過去にも
頭髪混入や大腸菌の検出で商品差し戻しがあったとの報道
も…。

現在日本では、食品が輸入されるにあたり厚生労働省の各
検疫所で全体の一割程度を対象に、農薬・抗生物質・有害
物質などの混入がないかサンプル検査しています。
しかし、冷凍食品は細菌数や添加物質検査のみで、多くの
原材料が加工されているため原因材料特定が難しい農薬残留
検査は行われていませんでした。

家庭団欒の場で食される食材での今回の悲劇は、アメリカ牛肉
につづき、中国産食品に対しての不信感につながり、今後も
混乱をまねくことでしょう。

しかし、現在の日本の食料自給率を考えると食料輸入に頼ら
ざるを得ない現状です。
輸入元には、安全で安心して食べることのできる食品として、
責任をもって食品チェックを望みます。

そして、私たちの忙しい毎日の中では手軽に食べられる食品を
見直し、地元で取れた食材を使用した、家庭ならではの食事の
ありかたを考える機会になるのではないかと思います。

今回の問題を受け、群馬県食品監視課に相談窓口を設けました。
県ホームページには、商品名も掲載していますので、確認をす
るとともに絶対に口にしないようにしていただきたいと思います。

ふみ子の海

2008-01-30 22:50:32 | Weblog
映画『ふみ子の海』の特別試写会が前橋市総合福祉会館で
行なわれ、県議会文教警察常任委員会の委員長として、
参加して来ました。

試写会には、近藤明男監督と主演(ふみ子役)鈴木理子さん
が舞台挨拶に登場。主演の鈴木さんは小学校6年生という
ことでしたが、とてもしっかりとしたお嬢さんでした。

この映画上映は“心をつなぐ県民運動”として、群馬県社
会福祉協議会・群馬県子ども育成団体連絡協議会・群馬県
身体障害者福祉団体連合会・群馬県視聴覚障害者福祉協会・
群馬県ボランティア連絡協議会ほか多くの推進団体により
上映推進委員会が発足し、心豊かな未来の地域づくりに役
立てて欲しいという願いのもと、この『人と人との心をつ
なぐ映画』を群馬県各地の市町村に発信するものです。

『ふみ子の海』は、戦前の新潟を舞台に、貧困と差別の中
に置かれた盲目の少女が、過酷な境遇に置かれてもなお、
教育に憧れ、学ぶことの喜びを感じ、やがて盲教育への道
を歩もうとする少女の希望と、その希望を叶えようとする
まわりの大人たちの姿が描かれています。

主人公ふみ子にはモデルとなった人物がいます。
新潟県の高田盲学校で教鞭をとり、盲女性の先駆者となった
粟津キヨさんです。粟津さんは4歳で失明し、盲学校卒業後、
上京先で日本のヘレンケラーと呼ばれた斎藤百合さんと
出会い、多大なる影響を受け、大学卒業後に盲学校の教師と
なるべく帰郷し、68歳で亡くなるまで視聴覚障害者の教育に
生涯を捧げた女性です。

物質的には何不自由ない世の中になりましたが、心の豊かさ
が忘れ去られているのではないかと思います。
忙しい現代の中で、私たちが忘れかけてしまう素直な感情や
人に対する思いやりの心・優しさを取り戻すことのできる、
感動的な映画で、会場からはすすり泣きが聞かれました。

この映画は大人はもちろんのこと、ふみ子役の鈴木さんと
同級生の我が家の娘を含めた、小中高校生の皆さんにも是非
ご覧いただき、感じてほしいと思いました。
今後、県内の市町村で上映をされると思いますが、多くの
県民の方々にご覧いただきたいと思います。

セールスマン

2008-01-29 22:36:56 | Weblog
郷土を宣伝するセールスマンがまた一人誕生しました。
現役最年少38歳の知事、橋下大阪府知事です。

メディアに出ていただけに知名度も抜群。メディアにて知名度
抜群だった東国原宮崎県知事と同様に映っていましたが、本業
は弁護士とかなり興味深い人物ではありました。

現在、大阪府の負債は3兆とも6兆とも。すでに財政再建のため
に、府の全職員のボーナスカットなどを実践している大阪府の
再建。府民生活に影響を与えずに断行することは、たやすいも
のではないでしょう。

しかし、宮崎県知事同様、メディアを利用し大阪府を売り込み、
イメージアップや地場産業の売込みなどをすることは、大阪府
にとってはプラスなことはまちがいないと思います。

先日、テレビのクイズの中で、県の形を見て県名を答える問題
があり、残念なことに『群馬県』と答えられた人がなく、最後
まで『群馬県』は残っていたと子どもから聞きました。
「つるの形なのに、どうしてわからないのだろう?」と話して
いましたが、やはり県民としては残念です。

群馬のアンテナショップが、今年6月に東京・銀座に新装オー
プンするのに合わせ、群馬県も地元産のよりよいものをアピー
ルし、より元気な県になるように、私も県会議員の一人として
、群馬県の売り込みのバックアップしていきたいと思います。



上毛かるた

2008-01-28 22:17:45 | Weblog
地域の代表として選ばれた元気な子どもたちが集合し、
『みどり市子ども会上毛かるた大会』が日曜日に行なわれ
ました。

残念ながら時間の余裕が無く、熱戦の模様を観ずに、開会
式のご挨拶のみとなってしまいましたが、この日は、先に
行なわれた、地域の精鋭たちが一同に会しており、2月3日
に開催される県大会出場を目指して白熱したものとなった
でしょう。

そして、今大会を迎えるにあたり、ご尽力いただいた育成会
連絡協議会役員の皆様、行政区の育成会役員様、ご苦労
さまでした。また、代表を目指し練習してきた子どもたち
に拍手を送りたいと思います。

「『上毛かるた』を知らない群馬県人はいないのではないか」
と思うほど、群馬県ではポピュラーな『かるた』ですが、私
が盛んに楽しんでいた子ども時代とひとつだけ違う札があり
ます。

現在『ち』の札は、『力合わせる200万』ですが、あの頃は、
『力合わせる160万』でした。この札は、群馬県民数を表し
ており、昭和48年には170万、昭和52年には180万、昭和60年に
は190万、そして平成5年から200万となったそうです。

『上毛かるた』は、戦後の荒廃した世の中で育つ子どもたちに、
夢と希望を与え、郷土愛と日本国民の誇りをもって欲しいという
願いをこめ、昭和22年に初版が発行され、現在も群馬県の子ども
たちに愛され親しまれている文化的財産です。

そして『つ』の札は、『つる舞うかたちの群馬県』
郷土群馬県のかたちを表すこの札は、競技の中での『役札』で、
取り札同数の場合『つ』が手持ち札の人が勝者となります。
ほかにも、群馬県の三山『赤城山』『榛名山』『妙義山』を詠った
札もあり、『上毛かるた』によって県内の様々なことがわかる
すばらしいものだと思います。

ちなみに…もちろん我が家も家族全員で楽しんでいます。

大荒れ

2008-01-25 21:36:10 | Weblog
昨日今日と、強風が荒れ狂う日本列島となり、各地から
事故のニュース等が聞かれました。

昨日は、県内でも、県庁と議会棟の間の通路部分で、突風
にあおられてしまった女性が、頭蓋骨骨折で重体になられ
たという報道がありました。

ちょうどその時刻は、県庁の各部局から予算の査定状況に
ついて説明を受けていましたが、自宅に戻り、家内から
聞くまで全く気づかずにおりました。怪我をされた方の
ご容態が心配です。

今回の天気は『爆弾低気圧』の仕業により、大荒れとなった
様ですが、自然の力にはどうしても抗うことの出来ないとい
う現実を改めて思いました。

そして、日本の中央も『暫定税率』により荒れ模様の様相。

このところのガソリン高騰は、日常生活に打撃を与え、25円
でも安くとなれば、こんなにうれしいことはありません。
しかし、実際に道路を欲し、予算を組み、すでに予定された
公共事業の完成を心待ちにしている国民がいるのも事実です。

ひとつの物体を大勢で見る場合は、ちょっとした方向や角度
により見える姿が変わってしまいます。
同じように、生活する場所や環境、生活様式等により、欲し
ているものが違ってしまいます。
貴重な財源を使用する方法を決定するのですから、色々な
意見があるのは当然です。
暫定税率を廃止してなおかつ同様の公共事業をするためには、
それなりの財源がなければ話にならないのです。
その財源はどこなのかを明確にした上での話し合いにより、
国民生活が充実するものとなるように、答えを導き出して欲し
いと思います。

それにしても…社保庁のようなずさんな情報がでてきています
が、事実だとすれば、なんとも情けないお粗末な…としか言い
ようがありません。

医師不足

2008-01-24 22:53:16 | Weblog
救急車を呼びながら、受け入れ病院が確保できず、90歳を
超えた女性がお亡くなりになってしまったという、報道が
ありました。

この様な話は、ここ数年随分と聞かれ、医師不足が叫ばれ
ているのは皆さんもご承知の事でしょう。

病床数の低下により、いわゆる医局の影響力がなくなり、
僻地勤務より条件のいい勤務を探す医師や、比較的時間
にゆとりのある開業医になる医師が多くなり、それがまた、
救急病院等の医師への労働時間負担を招き、医師不足を
加速させてしまったのだと思います。

診療科別に見ると、出産という生命誕生という輝かしい瞬間
に立ち会う『産婦人科』と、体調変化の著しい子どもたちと
向き合う『小児科』の医師不足が顕著であり、時間にいとま
のない勤務体制が問題視されています。
少子化をスットプするためにも、子どもの母親となる女性の
安心を得るために、産婦人科も小児科も大切な診療科であり、
なんとか不足を食い止めなければならないと真剣に思います。

群馬県もご他聞にもれず、事態は深刻で、医局による医師引
き上げ、医大卒業後に県内に留まる医師の減少、地域医療の
核となる現場の診療科閉鎖などなど『医療崩壊』に瀕してい
ると言っても過言ではありません。

一刻の猶予もない状況下、私も県議会議員という立場で、医
療崩壊を食い止めることが出来るように、群馬大学を中心と
する全医療機関や医師会、行政機関と対策を講じていきたい
と考えています。

そういえば、先日、家内が時間外に掛かった病院も地域の核
となるところでしたが、家内のように自家用車で来ている人
もかなりいましたが、待っている10分間で、4台もの救急車が
来たのには正直ビックリしました。





初雪

2008-01-23 22:34:22 | Weblog
本日正午より、平成20年度予算に向けての知事との政策
懇談会が県庁正庁の間で開催されました。
県議会2月定例会にむけ、今後、各部の予算付けが行われ
ます。
厳しい財政状況ではありますが、大切な財源を有効利用でき
るように、一つ一つを精査して予算を組んでいただきたいと
思います。

そして今日は、我が家の庭先にも、この冬初めての雪が降り
ました。
一番下の子どもは、ずーっと心待ちにしていた雪に大喜びで
下校し、学校で雪合戦をしたと目を輝かせていました。
そういえば、私が小学校の頃は、ここでも膝まで雪が積もる
こともあり、雪合戦や雪ダルマ、かまくらまで作ったことが
あり、今より寒かったのだと思います。
地球温暖化の現象を改めて認識をいたしました。

我が家から前橋までは、片道約50分。
タイヤをスタッドレスに履き替えたとはいえ、いつもにも
増して慎重に運転しての行き帰りとなった今日でしたが、
明朝の道路凍結の方が数段心配です。
通勤の皆さんも普段以上の慎重さが求められますが、
くれぐれも気をつけていただきたいと思います。





二宮金次郎③

2008-01-22 22:20:18 | Weblog
先週末の福田首相による施政方針演説の終わりで、明治時代の
農村指導者である石川理紀之助の言葉を引用されていました。
石川理紀之助は農村復興に生涯を捧げた人であり、明治の二宮
尊徳といわれるような人物だそうです。

そこで久しぶりに、以前のブログに続き、二宮金次郎の青年期に
ついてご紹介したいと思います。

伯父万兵衛の家を18歳で去った金次郎は、他家に住み込みで働き、
24歳の時には見事に一家を再興し、その後、小田原藩の家老に奉
公し、家老の息子の塾のお供の時には、自分も部屋の外で講義を
聞き勉強をしていました。

31歳で結婚した金次郎は、家計の苦しかった家老より財政の立て
直しを依頼され仕事をするようになっていました。
そのころ子どもが生まれたのですが、程なく亡くなってしまい、
そのことが原因で奥さんは金次郎のもとを離れてしまいました。

32歳の時、小田原藩主大久保忠真から表彰され、「その身はもち
ろん、村のためにもなり・・・」との賞状の文言に強く感激した
金次郎は、『生涯、世のため人のために尽くそう』という使命感
に目覚めたということです。

34歳で再婚、その後も経済的に苦しむ藩士のために『五常講』と
いう信用組合に似た制度をつくったり、枡の統一を藩主に願い出、
『改良新枡』をつくったりし、武士や農民の生活を楽にする工夫
をしました。

このような能力・手腕を見込んだ藩主は、藩政の改革を任せよう
としたのですが、重臣等の猛反対があり、分家の領地である下野
国桜町領(現・栃木県二宮町)の復興と分家・宇津家の財政再建を
命じ、金次郎36歳の時、再興した我が家の一切を処分し、「一家
を廃して万家を興す」という決意で妻子を連れ小田原を後にしま
した。

次回は、「桜町での活動」以降をお伝えしたいと思います。

叙勲記念祝賀会

2008-01-21 21:12:16 | Weblog
20日の日曜日に、前大間々町長である近藤昭次氏の
旭日双光章叙勲記念祝賀会が催されました。

近藤前大間々町長は、昭和40年に大間々商工会理事
にご就任以来、多年にわたり地方自治の確立と、住民
福祉の増進にご尽力され、地域発展に多大なるご功績
が認められ、このたびの受賞となられました。

中学校の教論としてご活躍された時期を経て、近藤酒造
に入社。数々の団体の理事や会長職を歴任し、平成2年
から4期16年にわたり大間々町長としてご公務され、
現在も渡良瀬渓谷鐵道の監査役としてご活躍です。
80歳という年齢とはとても見えず、はつらつとしてお
られました。

近藤さんと私の出会いは、私が笹川代議士の秘書をして
いた時で、平成2年4月に近藤町長が誕生した時期に私
の勤務先が国会事務所から地元勤務となり、大間々町を
担当するようになってからでした。

近藤さんは、いつも気さくに接してくださり温厚な方だ
なーと感じておりました。自宅にお伺いをした時には、
奥様が笑顔で迎えて下さり、感激をしました。

ただ残念なのが、町長任期最後のリコール問題でした。
長きにわたり、大間々町発展のためにご尽力いただいた
方がどうしてリコールの対象にされてしまうのか、残念
でなりませんでした。幸いにリコールは成立しませんで
したが、後味が悪いと感じたのは私だけではなかったと
思います。

みどり市誕生の礎を築いていただいた方ですので、今後
ともお元気で活動していただきたいと思います。
実兄の近藤英一郎氏から見れば15歳も若いそうですの
で、これからも、みどり市発展のために我々後輩に大所
高所からご指導をいただきたいと思っています。

旭日双光章ご受賞、誠におめでとうございました



北関東自動車道

2008-01-17 21:43:11 | Weblog
いよいよ3月8日午後3時に、全国都市緑化フェアに先駆けて北関東
自動車道伊勢崎I.C~太田桐生I.C間16kmが開通します。

群馬県東部に位置する太田市に2箇所のインターチェンジがオープン
するのを記念し、『北関フェスタぐんまinおおた』が3月2日(日)に
開催されます。

太田薮塚I.及び太田桐生I.C敷地内、両I.C間の高速道路本線の約10
kmを会場に、沿線地域等の食品・農産物・商工物産販売等の模擬店
出店、企業・観光PRの出展。高速道路本線上はハイウェイマラソンが
太田桐生ICからスタートになります。(事前申し込み必要)
また、ウォーキングやサイクリングにも開放。その他、ステージアク
ションや子供向け遊具やパフォーマーを展開したりと盛りだくさんの
イベントです。

臨時駐車場よりシャトルバスが出ますので、高速道路上というめった
に無いイベントに皆さんも参加してみてはいかがでしょうか?