熱血通信

日々の出来事を思いのままに…

二宮金次郎③

2008-01-22 22:20:18 | Weblog
先週末の福田首相による施政方針演説の終わりで、明治時代の
農村指導者である石川理紀之助の言葉を引用されていました。
石川理紀之助は農村復興に生涯を捧げた人であり、明治の二宮
尊徳といわれるような人物だそうです。

そこで久しぶりに、以前のブログに続き、二宮金次郎の青年期に
ついてご紹介したいと思います。

伯父万兵衛の家を18歳で去った金次郎は、他家に住み込みで働き、
24歳の時には見事に一家を再興し、その後、小田原藩の家老に奉
公し、家老の息子の塾のお供の時には、自分も部屋の外で講義を
聞き勉強をしていました。

31歳で結婚した金次郎は、家計の苦しかった家老より財政の立て
直しを依頼され仕事をするようになっていました。
そのころ子どもが生まれたのですが、程なく亡くなってしまい、
そのことが原因で奥さんは金次郎のもとを離れてしまいました。

32歳の時、小田原藩主大久保忠真から表彰され、「その身はもち
ろん、村のためにもなり・・・」との賞状の文言に強く感激した
金次郎は、『生涯、世のため人のために尽くそう』という使命感
に目覚めたということです。

34歳で再婚、その後も経済的に苦しむ藩士のために『五常講』と
いう信用組合に似た制度をつくったり、枡の統一を藩主に願い出、
『改良新枡』をつくったりし、武士や農民の生活を楽にする工夫
をしました。

このような能力・手腕を見込んだ藩主は、藩政の改革を任せよう
としたのですが、重臣等の猛反対があり、分家の領地である下野
国桜町領(現・栃木県二宮町)の復興と分家・宇津家の財政再建を
命じ、金次郎36歳の時、再興した我が家の一切を処分し、「一家
を廃して万家を興す」という決意で妻子を連れ小田原を後にしま
した。

次回は、「桜町での活動」以降をお伝えしたいと思います。