恐怖の感情と信念 (考え) を手放す。- 03
真理は、シンプルです。
レスター・レヴェンソンのリリーシングは、シンプルです。
基本を覚えて、毎日、実践をする。
継続は、習慣になります。
学習をして、視点の抽象度を上げる。
注記:視点の抽象度を上げる。
私の今持っている
アイデンティティー(identity)、セルフイメージ、自己認識に
固執すると、それが、成長(進化)の足かせになる。
アイデンティティー(identity)は、
「自我同一性」(じがどういつせい、英: Ego Identity)のこと。
ある者が何者であるかについて他の者から区別する
概念、信念、品質および表現をいう。
記憶したことを行動できるようになると、
学習したといえる。
あなたは、持っていること、そしてあなたがするか、
または要求するものを何でもすることができる。
あなたを止める唯一の物は、あなたが潜在的に保持している
ネガティブな考えと感情の蓄積である。
これらを取り除きなさい。あなたは、あなたが、
人生においてあなたが望むものを
何でも遂行するごとにブロックを取り除きます。
これらを取り除きなさい。あなたは、
あなたの想像を越える愛情、幸福、そして喜びを見つけます。
これらを取り除いてください。そして、あなたは自由にいます。
レスター・レヴェンソン
注記:あなたを止める唯一の物は、あなたが潜在的に保持している
ネガティブな考えと感情の蓄積である。
レスター・レヴェンソンのリリーシングの
「基本のコース(基礎コース)」の内容は、
現在、レスターから直接教わり指導している人のコースのすべてに
入っています。
前の内容:
恐怖の感情と信念 (考え) を手放す。- 02
(2016-02-20 22:07:31 | レスター・レヴェンソン感情のリリーシング)
恐怖の感情と信念 (考え) を手放す。- 01
(2016-02-20 12:14:21 | レスター・レヴェンソン感情のリリーシング)
参考サイト:
名言格言 ・・・名言(38)自分の考えたものになるために準備すること - ポジティブ意識の智恵
心がすべてである。あなたは自分の考えたものになる。
★☆ ・・・・・・・・・・・・・・( 釈迦(ゴータマ・シッダッタ 紀元前5世紀ごろ)
著者:金子幸博
自己紹介 - 生命のヒーリング
「悟りの階梯」について
参考サイト:
「悟りの階梯」について - 釈迦仏教の根本思想について - Yahoo!ブログ
『なお右に考察した宇宙論と関連して修行者の進みゆく階梯の組織が徐々に形成されつつあるのを認めることができる。かなり古い詩句には、(1)生存者と(2)欲望の領域に帰らない人と(3)彼岸に達した人との三種の人を想定している。
(1)<生存者>は輪廻するものであり、欲望のきずなと生存のきずなとに結ばれている。
(2)<欲望の領域に帰らない人>は欲望を捨て去ったが、なお生存のきずなとに結ばれている。
(3)<彼岸に達した人>は完く煩悩の滅無に達した人である。
右の詩中に対する散文の説明では、もう少しづ識的に次のように比定している。―
(1)迷うに状態に帰ってくる人
(2)迷いの状態に帰ってこない人
(3)煩悩の汚れを滅しつくした人、尊敬されるべき人
最後の「尊敬されるべき人」とは、いわゆる「阿羅漢」を意味すると考えてもよいが、初期には「仏」もそのようによばれていた。ともかく解脱した人をいうのである
なお右の考えに似たものとして、他の一連の詩句において、貪りを断じた者、嫌悪を断じた者、迷妄を断じた者、怒りを断じた者、偽瞞を断じた者、高慢を断じた者について一々、『かれは決してこの世には戻って来ない。』という句をくりかえしている。〔ここに数えられている煩悩はジャイナ教の特に強調するものである。〕散文の説明によると「もどらぬ状態」(不還性)を得たのである。
ところで、迷っている人がもはや欲求に悩まされたこの世界にもどって来ない人となるためには中間になお階梯がなければならぬと考えて、その中間に<修行に踏み入った>と<一度だけ欲望の領域にもどって来る人>という段階を考えた。
(前段階)凡夫の状態。迷っている生存者。
(1) 修行に踏み入った人。(預流)
(2) 一度だけ欲望の領域にもどって来る人。(一来)
(3) 欲望の領域に帰らない人(不還)
(4) 彼岸に達した人。(阿羅漢)
ところで、右の聖者の四つの段階にはそれぞれ、それに向かって進んでいる状態と、ゆきついた状態とあるから、合わせると八つの状態が想定される。(四向四果・四双八輩)。また修行に踏み入った聖者(1)が一度だけ欲望の領域にもどって来る聖者(2)となるまでには欲望の領域に七度まではもどってくることが有り得ると考えられた(極七返生)。また「道の究極に達した人」「正覚者」でもなお学びつつある人であると考えられた。後世の教義学で究極のさとりに到達した人はもはや学ぶべきものの残されていない人(無学)であり、それ以前の程度まで体系化されている。これを受けてさらに複雑な体系をつくり上げたのは聖典の散文の部分およびアビダルマ文献における教義学者たちであった。』(『中村元選集・第14巻・P.255~257)
続きます。
恐怖の感情と信念 (考え) を手放す。- 04
(2016-02-22 14:32:26 | レスター・レヴェンソン感情のリリーシング)
真理は、シンプルです。
レスター・レヴェンソンのリリーシングは、シンプルです。
基本を覚えて、毎日、実践をする。
継続は、習慣になります。
学習をして、視点の抽象度を上げる。
注記:視点の抽象度を上げる。
私の今持っている
アイデンティティー(identity)、セルフイメージ、自己認識に
固執すると、それが、成長(進化)の足かせになる。
アイデンティティー(identity)は、
「自我同一性」(じがどういつせい、英: Ego Identity)のこと。
ある者が何者であるかについて他の者から区別する
概念、信念、品質および表現をいう。
記憶したことを行動できるようになると、
学習したといえる。
あなたは、持っていること、そしてあなたがするか、
または要求するものを何でもすることができる。
あなたを止める唯一の物は、あなたが潜在的に保持している
ネガティブな考えと感情の蓄積である。
これらを取り除きなさい。あなたは、あなたが、
人生においてあなたが望むものを
何でも遂行するごとにブロックを取り除きます。
これらを取り除きなさい。あなたは、
あなたの想像を越える愛情、幸福、そして喜びを見つけます。
これらを取り除いてください。そして、あなたは自由にいます。
レスター・レヴェンソン
注記:あなたを止める唯一の物は、あなたが潜在的に保持している
ネガティブな考えと感情の蓄積である。
レスター・レヴェンソンのリリーシングの
「基本のコース(基礎コース)」の内容は、
現在、レスターから直接教わり指導している人のコースのすべてに
入っています。
前の内容:
恐怖の感情と信念 (考え) を手放す。- 02
(2016-02-20 22:07:31 | レスター・レヴェンソン感情のリリーシング)
恐怖の感情と信念 (考え) を手放す。- 01
(2016-02-20 12:14:21 | レスター・レヴェンソン感情のリリーシング)
参考サイト:
名言格言 ・・・名言(38)自分の考えたものになるために準備すること - ポジティブ意識の智恵
心がすべてである。あなたは自分の考えたものになる。
★☆ ・・・・・・・・・・・・・・( 釈迦(ゴータマ・シッダッタ 紀元前5世紀ごろ)
著者:金子幸博
自己紹介 - 生命のヒーリング
「悟りの階梯」について
参考サイト:
「悟りの階梯」について - 釈迦仏教の根本思想について - Yahoo!ブログ
『なお右に考察した宇宙論と関連して修行者の進みゆく階梯の組織が徐々に形成されつつあるのを認めることができる。かなり古い詩句には、(1)生存者と(2)欲望の領域に帰らない人と(3)彼岸に達した人との三種の人を想定している。
(1)<生存者>は輪廻するものであり、欲望のきずなと生存のきずなとに結ばれている。
(2)<欲望の領域に帰らない人>は欲望を捨て去ったが、なお生存のきずなとに結ばれている。
(3)<彼岸に達した人>は完く煩悩の滅無に達した人である。
右の詩中に対する散文の説明では、もう少しづ識的に次のように比定している。―
(1)迷うに状態に帰ってくる人
(2)迷いの状態に帰ってこない人
(3)煩悩の汚れを滅しつくした人、尊敬されるべき人
最後の「尊敬されるべき人」とは、いわゆる「阿羅漢」を意味すると考えてもよいが、初期には「仏」もそのようによばれていた。ともかく解脱した人をいうのである
なお右の考えに似たものとして、他の一連の詩句において、貪りを断じた者、嫌悪を断じた者、迷妄を断じた者、怒りを断じた者、偽瞞を断じた者、高慢を断じた者について一々、『かれは決してこの世には戻って来ない。』という句をくりかえしている。〔ここに数えられている煩悩はジャイナ教の特に強調するものである。〕散文の説明によると「もどらぬ状態」(不還性)を得たのである。
ところで、迷っている人がもはや欲求に悩まされたこの世界にもどって来ない人となるためには中間になお階梯がなければならぬと考えて、その中間に<修行に踏み入った>と<一度だけ欲望の領域にもどって来る人>という段階を考えた。
(前段階)凡夫の状態。迷っている生存者。
(1) 修行に踏み入った人。(預流)
(2) 一度だけ欲望の領域にもどって来る人。(一来)
(3) 欲望の領域に帰らない人(不還)
(4) 彼岸に達した人。(阿羅漢)
ところで、右の聖者の四つの段階にはそれぞれ、それに向かって進んでいる状態と、ゆきついた状態とあるから、合わせると八つの状態が想定される。(四向四果・四双八輩)。また修行に踏み入った聖者(1)が一度だけ欲望の領域にもどって来る聖者(2)となるまでには欲望の領域に七度まではもどってくることが有り得ると考えられた(極七返生)。また「道の究極に達した人」「正覚者」でもなお学びつつある人であると考えられた。後世の教義学で究極のさとりに到達した人はもはや学ぶべきものの残されていない人(無学)であり、それ以前の程度まで体系化されている。これを受けてさらに複雑な体系をつくり上げたのは聖典の散文の部分およびアビダルマ文献における教義学者たちであった。』(『中村元選集・第14巻・P.255~257)
続きます。
恐怖の感情と信念 (考え) を手放す。- 04
(2016-02-22 14:32:26 | レスター・レヴェンソン感情のリリーシング)