北陸旅行、いよいよ最終日です。
なんの因果か富山の夜の仕上げはどこにでもあるサイゼリア、そして翌朝の朝食もやっぱりホテルの下にあるサイゼリア。。。
だって安いんだもん。
ビュッフェスタイルでサラダ、ご飯、パンあり、和洋料理数種ずつのうえにミネストローネ・味噌汁~カプチーノ等の飲み物まで好き放題、しかも納豆やモッツァレラチーズまであって900円!
うふっ♪ これには満足!
旅行で不足しがちなお野菜もどこ産のどんなものかわからぬとはいえ食べられたし。
食べ過ぎた
予定を組んでいる時には立山(アルペンルート)は時間かかりすぎてムリだし、滑川や氷見でお魚三昧するのも、砺波の終わりかけチューリップもいいけど、どうしよう?と散々悩みました。
「富山ってどこ行っていいかわかんな~い」と思っていたらちょうど八尾(越中八尾えっちゅうやつお)で曳山祭りがあるというので大きな期待もせずにひょいっと行ってみました。
曳山祭りのある町に最寄りの越中八尾駅は富山駅から高山本線で30分程の駅。 そこから歩いて15分ほどで「坂の町-八尾」です。
八尾町(富山市)と聞いてピンとこなくても9月はじめに行われる「おわら風の盆」の町と言えば知ってる方も多いでしょう。
胡弓や三味線の音、町ごとにそろいの衣装=男は法被、女は浴衣にわずかに顔がのぞく編み笠姿で踊り"町流し"をする「おわら風の盆」はとても幻想的なものだそうです。
さて、その風の盆とはまったく雰囲気が違うのが5月3日に行われている威勢のいい曳山祭り。
八尾八幡社の春の神事です。

こちらは聞名寺(もんみょうじ)の鐘
細い坂道を曳山が練り歩くので出店はこちらの敷地に間借り

御輿
車がついたのは昭和40年からだとか
八尾町(旧八尾町は現在合併で富山市)の上新町・東町・西町・今町・諏訪町・下新町の男衆が町ごと揃いの法被を着てそれぞれに曳山を曳いて坂の町を練り歩くのです。
起源は上新町が1741年に花山に在原業平の人形と役者を乗せて練り回したものだそう。 現在はこの一帯のもう一つの町=鏡町が獅子舞を奉納しています。(1880年諏訪町より譲り受ける)

上部には町それぞれの人形や世話係・曳山大工・四方の柱係や子供が
下層には囃子方が乗っています
柱につけられたロープは坂道で家根が傾かないよう引くためだそう

絢爛豪華
八尾町人の豊かな財力を持って築かれた芸術
高さ7メートルもある勇壮な曳山が町ごとに合計6本。
坂道を上るは前から引いたり後ろから押したり、下るは前は押さえ後ろは引き、どちらもたいへん。
大きな車輪を軋ませながら引きまわす様子は大迫力です。

曳山勢揃い
(県の文化財指定)


はじめは工芸技術を終結させた芸術的曳山に見ほれていたのですが次第に曳く人たちの生き生きとした姿と力にレンズを向けずにはいられなくなりました。

力仕事はもっぱら若者担当のよう



おっちゃんもガンバル!
かっこいいよ~
中でも角回しと言われクランク状の狭い坂の路地を切り返すことなく一気に曳山を90度廻して方向変換をする場面では人だかりが出来、拍手と歓声がわきます。
↓↓↓

時折立ち止まり聞き取りにくい掛け声をかけてはまた威勢良くそれっと動き出します。
「ほーりきのみっつのようかんぼ!!」 (ほりきりみっつのようかんぼ?)
???
見物人が町のお年寄りに尋ねているのを小耳に挟んだところでは"ほりきりというところにみっちゃんというたいそう美人がいて・・・"という説があるが他にも諸説あって今でははっきりしなくなっている、ということ。
えーーーーーっ!? そんなんだったんですか?
そんなんでいいんですか?
諸説を調べて考えたところで町の人が今ではようわからんというものを方言すらわからない関東の人間が想像できるわけもなく。。。しかし気になる。
*有力説の後日記が本記事の最後にあります
ともあれ、曳山を廻し歩く男衆はやけにかっこよく見えました。
惚れるなぁ。。。
曳山祭りなんて1時間も見れば十分でしょ、なんて思っていたのが気づけば午前中から行ってたのにすでにもう4時。
夜は彫刻などの飾りを外し提灯をつけてまた引く姿が魅力らしいのですが、もう帰路につく時間もせまってきていたのでここで名残惜しく八尾を後にしました。

帰ってから知ったことですが、おわら風の盆も曳山祭りも雨天は中止なのです。 風の盆の衣装(浴衣も絹なのですって!)や演奏の楽器類は高価な物なのだそうでして。
曳山も文化財ですしね、坂道濡れてたらあぶないし。
曳山は雨が止んだ合間に町ごとに自主的に町内だけを回すことがあるようです。
雨じゃなくてよかった!
明日のブログ記事はおまけ写真集と「越中八尾はイケメンパラダイス?」の予定です。
ではまた。
=========
【後日追記】
ほうりきのみっつのようかんぼ! という呪文のような掛け声の意味ですが地元の方から納得のいくお答えをいただきました。 次記事にコメントを入れてくださったんですが、とってもわかりやすいのでそのまま載せさせていただきます。
*****
謎の掛け声『ほーりきのみっつのようかんぼ』『せやーち』についてですが・・・
【昔、山の中に、ようかん坊という名の坊さんがいたそうです。
ある日村人から、人の力では動かせないような大きな岩を、邪魔だからどけて欲しいとの相談があったそうです。
そしたら、その坊さんは三つの仏法の力(何か忘れました)を用いて、念仏のようなものを唱えたそうです。
そして、その念仏が終わり『さぁ、押せー』と言う言葉を合図に押すと、その岩は動いたそうです。】
つまり謎の掛け声は『ほーりき=仏法力、みっつ=仏法力を構成する三つの要素、ようかん坊=坊さんの名前』になり、伝説上の坊さんの力を借りて、重たい曳山(うちの町は人が乗った状態で6~7tあります)を動かすぞ!角を廻すぞ!という意味になるそうです!
『せやーち』は『さぁ、押せ』が訛ったものと言われています。
******
なっとく~♪ スッキリです。
最後の掛け声も「せやーち」だったのですね。
私が聞いた説もなかなか俗的で愉快・親しみを覚えるようなお話ですが、やはり神事ですものね(神事だけど坊さんなんだわ。。。)こちらの方が説得力があるものです。 先の説の方を観光客に語っていたおじいさま、お茶目な方なんだわ♪
コメントくださった参加人さま、ありがとうございました♪
やっぱり八尾の人はいい人だ~
なんの因果か富山の夜の仕上げはどこにでもあるサイゼリア、そして翌朝の朝食もやっぱりホテルの下にあるサイゼリア。。。
だって安いんだもん。
ビュッフェスタイルでサラダ、ご飯、パンあり、和洋料理数種ずつのうえにミネストローネ・味噌汁~カプチーノ等の飲み物まで好き放題、しかも納豆やモッツァレラチーズまであって900円!
うふっ♪ これには満足!
旅行で不足しがちなお野菜もどこ産のどんなものかわからぬとはいえ食べられたし。
食べ過ぎた
予定を組んでいる時には立山(アルペンルート)は時間かかりすぎてムリだし、滑川や氷見でお魚三昧するのも、砺波の終わりかけチューリップもいいけど、どうしよう?と散々悩みました。
「富山ってどこ行っていいかわかんな~い」と思っていたらちょうど八尾(越中八尾えっちゅうやつお)で曳山祭りがあるというので大きな期待もせずにひょいっと行ってみました。
曳山祭りのある町に最寄りの越中八尾駅は富山駅から高山本線で30分程の駅。 そこから歩いて15分ほどで「坂の町-八尾」です。
八尾町(富山市)と聞いてピンとこなくても9月はじめに行われる「おわら風の盆」の町と言えば知ってる方も多いでしょう。
胡弓や三味線の音、町ごとにそろいの衣装=男は法被、女は浴衣にわずかに顔がのぞく編み笠姿で踊り"町流し"をする「おわら風の盆」はとても幻想的なものだそうです。
さて、その風の盆とはまったく雰囲気が違うのが5月3日に行われている威勢のいい曳山祭り。
八尾八幡社の春の神事です。

こちらは聞名寺(もんみょうじ)の鐘
細い坂道を曳山が練り歩くので出店はこちらの敷地に間借り

御輿
車がついたのは昭和40年からだとか
八尾町(旧八尾町は現在合併で富山市)の上新町・東町・西町・今町・諏訪町・下新町の男衆が町ごと揃いの法被を着てそれぞれに曳山を曳いて坂の町を練り歩くのです。
起源は上新町が1741年に花山に在原業平の人形と役者を乗せて練り回したものだそう。 現在はこの一帯のもう一つの町=鏡町が獅子舞を奉納しています。(1880年諏訪町より譲り受ける)

上部には町それぞれの人形や世話係・曳山大工・四方の柱係や子供が
下層には囃子方が乗っています
柱につけられたロープは坂道で家根が傾かないよう引くためだそう

絢爛豪華
八尾町人の豊かな財力を持って築かれた芸術
高さ7メートルもある勇壮な曳山が町ごとに合計6本。
坂道を上るは前から引いたり後ろから押したり、下るは前は押さえ後ろは引き、どちらもたいへん。
大きな車輪を軋ませながら引きまわす様子は大迫力です。

曳山勢揃い
(県の文化財指定)


はじめは工芸技術を終結させた芸術的曳山に見ほれていたのですが次第に曳く人たちの生き生きとした姿と力にレンズを向けずにはいられなくなりました。

力仕事はもっぱら若者担当のよう



おっちゃんもガンバル!
かっこいいよ~
中でも角回しと言われクランク状の狭い坂の路地を切り返すことなく一気に曳山を90度廻して方向変換をする場面では人だかりが出来、拍手と歓声がわきます。

時折立ち止まり聞き取りにくい掛け声をかけてはまた威勢良くそれっと動き出します。
「ほーりきのみっつのようかんぼ!!」 (ほりきりみっつのようかんぼ?)
???
見物人が町のお年寄りに尋ねているのを小耳に挟んだところでは"ほりきりというところにみっちゃんというたいそう美人がいて・・・"という説があるが他にも諸説あって今でははっきりしなくなっている、ということ。
えーーーーーっ!? そんなんだったんですか?
そんなんでいいんですか?
諸説を調べて考えたところで町の人が今ではようわからんというものを方言すらわからない関東の人間が想像できるわけもなく。。。しかし気になる。
*有力説の後日記が本記事の最後にあります
ともあれ、曳山を廻し歩く男衆はやけにかっこよく見えました。
惚れるなぁ。。。
曳山祭りなんて1時間も見れば十分でしょ、なんて思っていたのが気づけば午前中から行ってたのにすでにもう4時。
夜は彫刻などの飾りを外し提灯をつけてまた引く姿が魅力らしいのですが、もう帰路につく時間もせまってきていたのでここで名残惜しく八尾を後にしました。

帰ってから知ったことですが、おわら風の盆も曳山祭りも雨天は中止なのです。 風の盆の衣装(浴衣も絹なのですって!)や演奏の楽器類は高価な物なのだそうでして。
曳山も文化財ですしね、坂道濡れてたらあぶないし。
曳山は雨が止んだ合間に町ごとに自主的に町内だけを回すことがあるようです。
雨じゃなくてよかった!
明日のブログ記事はおまけ写真集と「越中八尾はイケメンパラダイス?」の予定です。
ではまた。
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【後日追記】
ほうりきのみっつのようかんぼ! という呪文のような掛け声の意味ですが地元の方から納得のいくお答えをいただきました。 次記事にコメントを入れてくださったんですが、とってもわかりやすいのでそのまま載せさせていただきます。
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謎の掛け声『ほーりきのみっつのようかんぼ』『せやーち』についてですが・・・
【昔、山の中に、ようかん坊という名の坊さんがいたそうです。
ある日村人から、人の力では動かせないような大きな岩を、邪魔だからどけて欲しいとの相談があったそうです。
そしたら、その坊さんは三つの仏法の力(何か忘れました)を用いて、念仏のようなものを唱えたそうです。
そして、その念仏が終わり『さぁ、押せー』と言う言葉を合図に押すと、その岩は動いたそうです。】
つまり謎の掛け声は『ほーりき=仏法力、みっつ=仏法力を構成する三つの要素、ようかん坊=坊さんの名前』になり、伝説上の坊さんの力を借りて、重たい曳山(うちの町は人が乗った状態で6~7tあります)を動かすぞ!角を廻すぞ!という意味になるそうです!
『せやーち』は『さぁ、押せ』が訛ったものと言われています。
******
なっとく~♪ スッキリです。
最後の掛け声も「せやーち」だったのですね。
私が聞いた説もなかなか俗的で愉快・親しみを覚えるようなお話ですが、やはり神事ですものね(神事だけど坊さんなんだわ。。。)こちらの方が説得力があるものです。 先の説の方を観光客に語っていたおじいさま、お茶目な方なんだわ♪
コメントくださった参加人さま、ありがとうございました♪
やっぱり八尾の人はいい人だ~