コヨーテ一人旅

早く人間になりたい

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これが俺たちの生き方だ。

2016年07月22日 | 映画
記事を書こう、書こうと思っているうちに発売日を過ぎTV初放送日になってしまいました。


とりあえずバケモノの子を何度か見た上での感想だとか気づいたことだとかを書くので、例のごとくネタバレが嫌な人はブラウザを閉じてさっさと録画を見るかBDやDVDを買ってきてくださいね、と。
コヨーテさんは『おおかみ』の時よりかはこの作品を見る頻度は少なかったですが(おおかみの時は劇場で20回くらいは見たと思うけど今作は5回くらいですかね。それでも十分多いですが)、「ここぞ!」っていう時に見ています。

いちおうイベントに出向いた時に仕入れた(Tカード会員限定イベントとか当選したので行きましたし、昨夏の渋谷ヒカリエでのイベントにも行きました)情報や、ノベライズも読んで補完した情報なんかもあります。



























































【以下本文】

・OP。バケモノのシルエットを炎で表していたけど、炎である意味はやっぱり「生命」を表しているんじゃないでしょうかね。BGMは秀逸です。
・OP後の渋谷での風景の時に街頭モニターにクジラのようなモノが映し出される。この作品ではクジラが重要な役割なんだけど一回見ただけではわからなかったから見せ方がアレだったんでしょうね。
・「一人だって生きてやる」→結局は無理
・最初にバケモノの世界に足を踏み出すときの決意の表情
・バケモノの街並みも知らないうちに変わっている
・「ああ雪ちゃん(の中の人)もダークサイドに堕ちてしまったか」とつい思ってしまう。まぁ源次郎さまの側室だったりするワケなんですが
・九太のしかめっ面(一番最初の渋谷のスクランブル交差点にたたずむ時・「まけるな!」の直前・一郎彦との対決のために渋谷に戻った時)
・『胸の剣』が「そんなもんあるか」で片付けられた 熊徹「埋めなきゃ(使命感)」
・「こんなひ弱なやつ」→のちの一郎彦自身
・「意味は自分で」→孤独な者ができる最善最高のアドバイスだと思う
・熊徹と楓の対比…「師弟」としてうまくいく楓とうまくいかない(ように見える)熊徹、「行くな!」と止めてくれた熊徹と気にも止められず九太の元へ行った楓
・「バケモノ」から「普通」になっていく九太に対する熊徹の思いとこのときの九太にとっての「普通」
・心の闇を埋めてくれる人のいた九太といなかった一郎彦の対比
・猪王山を仕留める時の「そこだぁ」=キングカズマの「じゃまするなぁ」
・一郎彦との対決に赴く九太 この時勇ましいBGMじゃなくて優しいBGM
BGMの使い回しはいくつかありましたが、一番気に留まったのは熊徹と猪王山の、「バケモノ同士」の対決、九太と一郎彦の「バケモノの子同士」の対決で同じBGMだった所
・九太とひとつになったことでちゃんと「気を溜めろ」と的確にアドバイスをできるようになった熊徹。最後の斬りかかるときに九太と熊徹をダブらせて映すのはちょっと(いい意味で)ずるい演出かな、と。個人的には「親子かめはめ波」を思い出してしまいましたが
・「見せてもらおうじゃねぇか」の後の直後の笑いで顔を背ける。ここのシーンはNHKでやってた監督のドキュメントでも流していましたね



…こんなとこですかね、気づいた点とかは。



全体的には楓ちゃんの存在ですね。かなりこのキャラクターは作品の完成直前まで変更があったそうで、一時期は男にしちゃおうか的な話まであったそうです。それゆえあまり色恋方向にはもっていかなかったそうで。だからもっと時間をかけることができていたらなぁという感想をもってしまいました。


あと小説版からの補完としては、
・楓はいいとこの娘(まぁこれはでっかいマンションが映し出されるとこからも想像できますが)
・九太の両親は半ば強引に離婚させられた
・チコ≒九太ママ
・最後楓をバケモノの世界に招いたのは多々良



うーん、

またいろいろ見進めていくうちに思うことがあったら追記していきます。


「ちょっと変わった親子の映画」と紹介されていることもありますが、個人的には親子関係でも師弟関係でも近所の関係でも、とにかく、あなたが持っているいろんな人と人との繋がりを意識して見てもらいたいです。











今、何かにがんばって生きている人、
あなたには「この人のためならがんばれる」っていう人はいますか?

「いる」という人。
あなたのがんばりはまだまだです。その人のことを思えば、もっともっとやれるはずです。

「いない」という人。
あなたのがんばりはまだまだです。まずはそういう人を作って、その人のために生きてみましょう。