コヨーテ一人旅

早く人間になりたい

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ぼくたちは見えない何かでつながってる

2013年04月14日 | 旅行
富山県のマークがなぜ山の形なのか、この二日間でよくわかった。



富山旅行、二日目。

今日は高志の国文学館からスタート。
川縁の桜が美しかったです。



おおかみこどもの展示を行っていたので見てきましたが、関連書籍だとか、実際にモデルの古民家を訪問した俺にとって、正直物足りない面はあった。しかし古民家再現のコーナーはがんばっていたのでマルをあげよう。

「実際歩っておおかみハウスまで行きたいけど遠いし苦労しそうだし…」という人のためにはいい展示かも。

向かいにあった常設展示の方が「おお!」と思ったね。俺の大好きな鶴見線の浅野駅、安善駅のそれぞれモデルになった人が富山の人だって知ったから。

知らないところでつながってんだね~。

場所を移して上市へ。

ここからは以前のおおかみハウス探訪記も併せてお読みください。

今日もバスで日石寺まで行き、徒歩でおおかみハウス訪問を計画していました。



マイナスイオン全開。

今日は思ったよりも暖かい気候でよかった。


さあ、登山!



今日も相変わらずこの看板が出迎えてくれました。


雪解けのせいか川の水の水量が非常に多かった。






途中、平野が一望できるポイント(前回はここでの景色の美しさに勇気付けられた)での景色は、前回に比べるといささかかすみがかっているように見えました。

ここで昼食をとって小休止。
さあ登山再開!


前回来た時とは明らかに風景が変わった。


影になるところにはまだ残雪がある。

まだまだ厳しい気候なのだ。

それでも、


こうして道端に咲く花の美しさが心を癒してくれた。


そして、

帰ってきた、ふるさとに…


皆さん相変わらず、こんな見すぼらしい男を歓迎してくださった。
しかも奥様は(なんとなくではあるが)覚えていてくださった。
俺だけじゃない、すべての人を歓迎してくださった。
次から次へとひっきりなしで訪問者が訪れる。その一人ひとりへの気配りは本当にすばらしかった。


前回ご主人とはあまり話できなかったので今日じっくり話してみてなんとビックリ!なことがわかった。
ご主人は以前、常備薬の行商(廣貫堂とかそういうアレですね)を仕事としていたそうだが、実は俺の生まれ育った地域を担当なさっていて、非常に詳しく俺の出身地のことをご存知だった
ウチ(実家)は富山の置き薬の行商とはいくつか契約していたので、ひょっとしたら、俺の家にも来ていたかも!
そこ出身の俺が、とある映画に感動し、そのモデルとなった地で偶然再会(と言うのか?)をした。

因果だね~~~~。

なんだかそういったつながりがあったのかと思うと、ますますここが好きになったんだ。


いろいろなお話の最中にもまたさらにお客さんが来る。一人一人に気配りは続く。
本当にすばらしいお方だ。


座るときにちょっと屁をこいてしまったのを聞いたときはアレに思ってしまったが。
田舎のオヤジは全国共通か…。俺の親父もそうなんだよな~~。



前回訪問時には見られなかったアレ。高志の国文学館でも同タイプのこれが展示されています。



別れはつらいものだけど、こらえて、笑顔で別れた。
約束をした。
きっと夏に、また来る」と。
その日のために、またあえる日まで、笑顔で生きてゆこう。
きっと、
きっと。

帰りは上市町内から来ていたSさんという方にクルマで送っていただいた。
この方と話をして思ったのは、やはり、『ふるさとは遠きにありて思ふもの』だ、というここと。普段住んでいるとわからないけど、遠く離れて初めてそのよさがわかる。



蛇足っぽいアレだけど乗り鉄で残っていた地鉄の区間を乗るために使用した稚子塚駅。



待合室はこじんまりしてるけど、パパさんダンプなんかが置かれていて俺はこの雰囲気は好きですよ。
立山も見えたし…



あれこれあって富山空港。

前回の時もそうだったけど、空港を離陸するとき、富山の街並みの灯りが見えたとき、俺は心の中で遠吠えをしました。
もちろん今回会った人たちに聞こえるわけないんですが、心の中では聞こえていてほしいなぁ。
涙が止まらなかった。もう、「しっかり生きて」と送り出されたみたいで。

そして、とある映画のラストシーンみたいに、窓から見える灯りが雲に隠れていった。


約束。
絶対に、忘れない。