お散歩猫のキキとヒゲおじさんの日常

ヒゲおじさんは元遊園地の園長で家庭料理人、今は新聞の料理コラムニスト、猫のキキと前橋な毎日と家庭料理をお届けします。

天薹橋から下朝倉橋まで端気川散歩、上朝倉の猫たちに出会って、今井豆腐店で揚げ買った…

2010-12-23 21:50:18 | ヒゲクマとキキの日記

2010_12220026_2 今日は、天薹橋から下流の端気川をご覧に入れます。天薹橋の下流は文京町の区画整理事業が済んでいる地域を流れます。水路は三面コンクリートで固められています。

2010_12220027 天台橋の下流最初の橋は「上野橋」です。前橋第五中学校の東側に出る道の橋です。なんで上野橋って名前なのかは全く分かりません。近くに上野さんて人が住んでるのかな…

2010_12220028 次の橋は名前がありません。天川小学校の南側の道を東に来るとこの橋に出ます。でも、この橋の西側で、道は急に狭くなって、橋から東は一方通行の道になります。

この狭い道あたりに、あかぎ国体のころ高崎商業高校の男子バレーボール部のエースが暮らしていて、毎日自転車で高商まで通ってました。朝練に間に合うように、うんと早起きして…

2010_12220029「 西屋敷橋」の上から、上流を見ています。この橋は立派な幅員があるのですが、東に向かって渡って行くと道はすぐに行き止まりになります。

こういうことが起きているのは、文京町4丁目側が区画整理されず、道がちゃんとつながっていないからなのです。

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文京郵便局の脇にある「東橋」から下流方向を見ています。実は、天薹橋からこの橋のすぐ下流まで、端気川は分水した水路がすぐ東側を並行して流れ、そちらの方が水量が多いのです。写真中央にコンクリート製の水路橋が見えると思います。この水路橋は、分水の水を端気川の西側の田んぼに送るための水路です。

そして、その水路橋の下に、分水から余分な水を端気川に戻す余水路が口をあけています。ここから、端気川の水量は倍ぐらいに増えます。

    

2010_12220033 上野写真で下流に見える橋の上から上流の東橋方向を見ています。この橋の名は「新天川橋」、かつてこの地が天川町であることを示しています。橋の東に「田毎庵支店」があり、中心市街地のスズラン百貨店の東にあった蕎麦屋「田毎庵」の名を伝えています。

2010_12220036 その下流は「泉橋」、この名前もよくわかりません、誰が付けたんかな、泉さんかな…

2010_12220035 このあたりまで来ると前橋の町はずれ、高い建物がなくなって、住宅の屋根の上に赤城山が見えるようになります。いいね、屋根の向こうの赤城山、昔はいつも見てたんだよね…

2010_12220040 そして熊野橋、協立病院の北側を東に来ると渡る橋です。端気川もこの橋から下流は田舎を流れる川になります。

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赤城山もこんなに裾野の方まで見えるようになります。川岸の道を近くの保育園の子供たちがお散歩しています。のどかな風景になります。

   

2010_12220044 田舎に入って最初の橋は「薬師橋」、近くに薬師さんがあったのかなと、探すことにしました。

2010_12220047 薬師さん見つける前に黒猫発見、お尻のところが緑色に光っていました。ペンキでもつけちゃったんかな。

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緑色に見えたのは光線のいたずら、何もついていない真っ黒なつやつやの毛をしてました。近くの縁側に二匹が寝転んでいたので、お家の人に断わって撮らせてもらいました。

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小さな無住のお寺がありました。天台宗永福寺というお寺でした。ここに薬師さんが祀られているのかもしれません。古い石造物もありました。左端の観音さんのレリーフは天明年間のものでした。

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その下流、小さな橋の橋名板はほとんど剥げてしまっていました。やっとこ読み取れたのは、ひらがなで「さくらはし」でした。近くに大きな桜の木でもあったのかなと…

2010_12220060 桜の木ではなくて、門柱の上で日光浴している猫に会いました。なかなか立派な猫でした。周囲を睥睨してました。

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門の中を覗いたら、いました、猫が4匹、「上朝倉では、猫のまとめ飼いが流行っているの?」と訪ねてみたのですが、知らんぷりをされました。

  

2010_12220067 そしてまた名無し橋、西の方に春日中学の校舎が見えていました。

2010_12220068 そしてその下流の「車橋」、小さな橋ですし、道幅も狭いのですが、きっと昔から、この橋は車が渡れる橋だったんでしょう。

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そして、「下朝倉橋」から見た端気川です。小さな堰を落ちる水が冬の陽に輝いています。橋の東側は上川淵小学校です。昔、上川淵村がありました。地名としてはなくなりましたが、小学校や公民館の名前として残っています。

」このあたりが、朝倉町のはずれです。もう少し南に行くと、上佐鳥町と下佐鳥町になります。端気川の橋の名たずねは、この下朝倉橋までとします。

天文年間(室町時代・1532~1555年)に利根川の流れが今のコースに変り、赤城のすそ野に広大な氾濫原がうまれてから、広瀬川中心とするこの地の疎水がつくられたんです。

端気川もその一つ、きっと古い利根川の流路の中に残された小さな流れを利用して作られたんでしょう。

以来、このまちの歴史を支えて来たんですね。

   

また機会があったら、この南、群馬ヘリポートの脇で利根川に合流するまでを紹介しましょう。

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2010_12220081帰り道、薬師橋近くの廃土置き場をゆっくりと歩いて打行く猫に会いました。ヒゲクマは、前橋の風景が好きです。

    

2010_12220083 端気川から戻ってから、表町(旧紅雲町)の今井豆腐店に油揚げを買いに行きました。前橋の旧市街地の中で営業をしている数少ない豆腐店です。

2010_12220084 お豆腐は、三段になった水槽の中で冷やされています。どこもかしこもとてもきれいです。

豆腐屋なのに大納言や大豆などの豆類も売っています。 前になぜって聞いたら、おかみさんが「大豆を収めてくれてる業者さんが『置けば売れるよ』って言うんで…」との説明です。「で、売れてます?」って尋ねたら、「売れてますよ!」だって、聞くだけ野暮でした…

2010_12220085 お店の脇には、矢田川(「風呂川}は誤りです)が流れています…

スンません、ノブとツナさんのコメントの指摘通り、今井豆腐店脇の川は「風呂川」でなく、風呂川から分水した矢田川です。訂正します。

     

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200806072 次回の「ヒゲおじさん厨房に入る」(朝日新聞群馬県版)は、新年の1月8日の朝刊に掲載予定です。来年もよろしくお願いします


端気川橋から天薹橋まで、端気川散歩して、冬至かぼちゃ…

2010-12-23 09:37:56 | ヒゲクマとキキの日記

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『婆ぁ~ばのうめぼし』、赤城フーズの新製品です。漬物メーカーとしてはとても珍しい、塩だけで漬けた小梅です。シソも使っていません。酸っぱいです。

雨もあがってとても良い日和、風もないので自転車をこぎだしました。

2010_12220003 広瀬川と端気川の分水、十六本堰です。冬は灌漑用水が必要ないので、川の水はとても少ないです。

2010_12220004 十六本堰のすぐ上流にある橋が十六本橋です。橋は架け替えられていますが、古い橋柱中が残されています。そうだ、今日は端気川の橋を見ていただきましょう。

  

2010_12220005 分水のすぐ下流の橋、端気川最初の橋は「端気川橋」です。区画整理が行われているので、間もなく架け替えられると思います。橋の袂の古い木造住宅も、そこに生えている夏みかんと柿の木も、なくなると思います。

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次の橋は「赤亀橋」です。太田道灌が厩橋城を築城した時、赤い亀が現れて手引きをしたという伝説を今に伝える「尾曳稲荷」がすぐ近くにあります。橋の高欄にはその由来を描いた野村たかあきさん作の解説版が付けられています。

2010_12220010 国道50号がわたる橋は「栄橋」です。近くのバス停の名前も「栄橋」です。橋の袂には「松の湯」という銭湯があります。利根の湯、磯部湯、萩の湯、成田湯、重兵衛湯、松の湯、前橋の銭湯です。ほかにもあったかな…

2010_12220011 下流の橋から「栄橋」の方を見ています。この橋には名前がついていません。古い橋柱が残されているのですが、何も彫られていない御影石の塊です。

2010_12220012 もう一つ下流の橋は「瀬戸橋」です。瀬戸橋の上から、名無しの橋を見ています。この風景は見覚えのある方がいると思います。このブログによく出てくる風景、好きな風景の一つです。

2010_12220015 両毛線の高架をくぐる端気川に架けられた橋の上に来ました。道は鉄道の側道、新しい橋です。「朝河橋」という名前が付けられています。朝日町と三河町の境にあるからこういう名前にしたんだと思います。けんかにならないように…

2010_12220018 両毛線沿いを流れる端気川です。昔はこの川の水を使って鯉の養殖池がつくられていました。村島、元川、このあたりにあった養鯉場の名前です。

写真を撮っている橋は「東高田橋」、前橋赤十字病院の西側から、県立生涯学習センターに抜ける道、生涯学習センターは旧前橋高校跡、高校生のヒゲクマが通学のために渡っていた橋です。

両毛線沿いの下流に二つの橋がありますが、二つとも名無しです。面倒くさいから付けなかったのかな…

2010_12220020 二つ目の名無し橋から下流を見ています。ここから、次の「天薹橋(てんだいはし)」までの間は、端気川沿いの道がありません。

天薹橋の西詰の北側に本勝寺というお寺があります。このお寺のわきにある未舗装の道ともいえないような細道を入っていくと端気川の脇に出ます。

そこには、青いハンドルのついた水門のある分水があって、端気川本川と朝倉田んぼの方に向かう用水路とに分かれています。

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昔の端気川の風景が残されています。護岸は河原石を積んでいます。端気川全体の中で、コンクリート護岸になっていないところはここだけです。

2010_12220024 対岸の墓地は大慶院の墓地です。ヒゲクマに物心が付いたのは、天川大島の戦災住宅でした。川の対岸、大慶院のある方は、昔は天川と呼ばれていました。今は天川でなく、文京町4丁目になっています。

2010_12220026 天台橋から下流を見ています。上流と全く違う、三面コンクリートの水路になっています。この橋は旧ダイハツ(欅ウォーク)の北側の通りが渡っています。

この道を東に向かうと広瀬川を渡ります。広瀬川の橋は「天六橋」という名前であったと思います。

   

今日はここまで、これより南はまた次の機会にです。

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これは、昨日、朝倉田んぼから見た雨上がりの赤城山です。

2010_12220078 田んぼの畔には、春の花が咲いているのかと思いましたが、この黄色の花はガーデニング用の園芸種が野生化したもののようです。

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2010_12220082 お昼は「瓢々亭」でうどんをいただきました。昨日はお客さんいっぱい、今日は行列ができてるかもしれません…。おいしいから!   

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昨日は冬至、ちゃんとかぼちゃを炊いて、メイ太にもらった柚子で柚子湯をしました。もう風邪ひきたくないよ…

    

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