昨日、「前橋サティーも閉店」(朝日新聞)が報じられましたた。
いつ閉めるかだけが話題でしたし、テナントも歯が抜けたみたいになっていましたから、おどろきはありません。
これが、10月17日閉店を決めたサティー前橋店です。このお店の沿革をちゃんとしておきましょう。
写真は千代田町の銀座通りのニコニコパーキングです。ここに前橋ニチイがありました。このニチイが1993年に閉店、新たに国領町に前橋サティーとして開店したのです。
前橋サティーの建物は「グンゼ開発」が所有するショッピングセンターの「リリカ」です。
ここには、かつてグンゼ(郡是)製糸の前橋工場がありました。
製糸工場を止めた後、グンゼは不動産管理会社である「グンゼ開発」を設立し、ショッピングセンターを建設して、中心市街地にあったニチイを誘致し、前橋サティーが生まれました。
ニチイはマイカルとなり、そのマイカルは、2001年に経営破たんし、今はイオンの傘下で経営再建途上です。
ですから、前橋サティーはマイカルの経営破たん以来、ずっと閉店のうわさが絶えませんでした。
これより前に、これとそっくりな事業が前橋では他にも行われていました。
前橋市六供町、今、穴吹工務店によるマンション建設が半分で頓挫しているところです。ここには、かつて、前橋シルクプラザ六供店がありました。
前橋シルクプラザは、上毛撚糸株式会社の工場跡、同社が製糸事業から撤退したあと、上毛シルクプラザと社名を変えショッピングセンターを建設して大手スーパー「ダイエー」を誘致しました。
今の前橋サティーの筋向いにも、前橋シルクプラザ国領店が開設されました。
六供店は、1979年にオープンし、1999年にダイエーが撤退しました。
ダイエーが赤字に陥ったのが1998年、2001年に創業者中内功がすべての役職を辞し、2004年から産業再生機構の支援を得て再建がはじまったのです。
日本一のスーパーだったダイエーは2兆円を超える不良債権を抱えてしまったんです。
そして、上毛シルクプラザは消えました。
上毛シルクプラザが始めた業態を、曽我製粉が前橋駅前で真似ました。さらに、グンゼが追随しました。
曽我製粉が前橋駅前の工場跡にショッピングセンタービルを作ってイトーヨーカドーを誘致したのは1987年、シルクプラザに遅れること8年でした。
イトーヨーカドーは、子会社であったセブンイレブンからの配当益で安定した決算をやってきました。
でも、2003年にイオンに業界首位の座を渡すと、2005年にセブン&アイ・ホールディングスという持ち株会社による経営に移行しました。
この結果、セブンイレブンからの配当益が得られなくなって、収益を悪化させ、店舗の整理が始まったのです。
上毛撚糸も、郡是製糸も、曽我製粉も、地元の農産物(繭と小麦)を資源とした地場産業です。
その地場産業が成り立たなくなったとき、ものづくりを止め、企業は資産運用で生き延びようとしました。
そして、彼らが頼ったのは、みんな大手の流通資本でした。
そして、今、大手の流通資本の再編の中で、これらの店舗はみんな切り捨てられているのです。
それだけのことなんです。
私たちが、ほんとうに失ったのは、地場産業なのです。
あとは、おまけみたいなものです。
今、商業、流通業は一番業態の変化が激しい産業です。
ですから、それに頼った不動産事業は、そもそも長期的な事業になりえないのです。
単に大手流通資本に依存してきた事業の結末なんです。
不動産事業の失敗は、その不動産の所有企業の責任であって、私たち消費者の責任ではありません。
曽我製粉に支援の手を差し伸べようとしている前橋市と前橋商工会議所は、グンゼ開発にも同様の支援をするのでしょうか。
どっちも無駄な仕事になると思います。
大事な仕事は、別なところにあります。
ダイエーも、イトーヨーカドーも、サティーも、消し去られる運命にあったのです。
上毛シルクプラザのあった六供町でであった猫に、「どう思う?」ってたずねてみました。
<あたしには関係ないよ>、スタスタ行ってしまいました。猫にも関係のない事件なのです。
「イトーヨーカドーが閉店する前橋を考える」
第1回は3月21日「百貨店の消えた街」、
「第2回は3月24日「前橋の中心はスズラン百貨店」、
第3回は3月28日「大手流通業者に食い荒らされた街」、
第4回は4月9日「たった23年のヨーカドー、まちには50年以上続く店がたくさんあるぞ」、
第5回は4月18日「前橋サティーの閉店」、
第6回は4月27日「熱血店舗開店支援事業をイトーヨーカドーが撤退した曽我のビルに適用するの?」です。
第7回は5月12日「市民を惑わす前橋街づくり協議会の「駅周辺再生」提案」
全部をお読みになりたい方はコチラからどうぞ。
ウェブページ『第67回美登利会の舞台写真をご覧ください。』をアップしました。ご覧ください。
私が、今、イトーヨーカドーの閉店にこだわるのは、なぜそういうことが起きているのか、新聞も正確に書いてくれていないからです。
普通に暮らしている庶民の目線から、ちゃんとした事実は見えるんです。
こんばんは。
世の中が変わるのが早いように思います。
お店にしても、マンションにしても、人はどんどん新しいものに飛びついて行ってしまうようです。
サティの閉店については、どうにか残れるのではないかと思っていました。
甘かったですね。
サティの今後はまだ未定です。
イト-ヨ-カド-の後はどうなるのでしょうか?何か情報がありましたら教えて下さい。
イトーヨーカドーの後には、ドンキー系が入るってのがもっぱらの噂です。
でも、確認が取れているわけでなく、「噂」です。
でも、大事なことは、曽我製粉のビルに誰が入居するかでもなく、大手流通業者の動向でもなく、もっともっと長く続いているものをこれ以上失わないために私たちが何をしなくてはならないかだと、ヒゲクマは感じています。
このシリーズは、ヒゲクマのそんな思いを基点に書き続けています。まだ書きますよ。
こんにちは
いつもなるほどなと思って読ませていただいています。
私はまだ群馬に来てから19年ぐらい、みなさまから見れば新参者です。そういう目で読んでやってください。
たしかに、どの後からやってきたスーパーもつぶれる運命だったのかもしれません。しかし、実際の地域での買い物をするところと言う役目は担ってしまっています。群馬の方はほとんどの人が車で移動なさるので痛痒は感じないかもしれませんが、自転車や徒歩で買い物に行く人間にとっては近所のスーパーの閉店はかなりの打撃なのです。サティでは近所にお住まいの方、群大の学生も影響があります。駅前のヨーカドーは別の問題も抱えています。そうでなくても、車に乗った不良のお兄さんたちが騒いでいることが多い駅前で、少し遅くなった高校生や女性はどこに行けばよいのでしょうか。バスが車での間、その辺で待っている子も何人か見かけます。
確かに、長い歴史の中で繰り返されてきたことなのでしょうが、一度そこにできたものには、他の人の人生がかかわってくるように思います。そこまで、考えて街づくりはされるべきではないでしょうか?
長文失礼いたしました。
まず、私自身のことですが、自動車の運転免許を持っていません。だから今朝も伊勢崎まで自転車で行ってきました。
買物は、できる限り量販店でしません。野菜は八百屋、魚は魚屋、肉は肉屋で買います。だから、まちの商店街が大好きです。
それは、今定年退職したからではなくて、現役のときからそうしてきました。
私は、大手流通業者に私の生活を支配されたくないからです。
たしかに、今ある大型店が閉店すると困る人がいます。それは認めます。
そのうえで、私がこのシリーズで伝えたいのは、このまちの経営者の皆さんが、自らの利益のために大手流通業者の支配下に入り、まちの自律的な機能を損ない続けてきたという事実です。行政もそれに加担し続けてきました。
もうそろそろ潮時です。大手流通業者に振り回されない暮らしの楽しさを伝えたいと思っているんですよ。
肉のチャンピオンの坂本さんの職人気質、養田鮮魚店の親爺さんの一徹さ、私の好きなものを私は守らなければなりません。
そんなつもりで書き続けています。
憶測ではなく、事実で書き続けます。
どうぞ、よろしくお付き合いください。
批判も、大歓迎です。
当時周辺には小さな小売店が点在しているだけでしたので、幼いころはシルクプラザに商業の中心地のような印象を持っていました。
西武百貨店の方にもよく行きましたが、やはり遠かったので、シルクプラザが身近な存在でした。
書店、カメラ屋、おもちゃ屋、ドムドムバーガーなど多様な店が入っているシルクプラザは見ていて楽しかったです。
まだ売り出し中の松田聖子さんが営業に来たこともあったと記憶しています。
高校を卒業し上京してから久しぶりに帰省するといつの間にかなくなっていました。
だいぶ前の記事にコメント有難うございます。
あの時代に前橋に出店した大手流通業者はみんないなくなりました。商業資本の良さというか基本的性格というか、だいたい20年ほどで業態を変えながら生き延びているようです。そのことに気付かずに前橋のまちのみなさんは頼ったんですよね。
当然の結果の中で、今を生きています。
とある大学生です。
中央小、前橋一中と比較的町の方で過ごしてきました。
結局、イトーヨーカドーはエキータ、そしてアクエル前橋へと変遷してしましました。
果たしてアクエル前橋もどれくらい長くやっていけるのかまだまだ不明ですが、、、
それだけ、前橋駅前という場所が最早魅力的な場所でなくなりつつあるのではないかと感じています。(すぐ近くにけやきウォークがありますし、、、)
未だに我が母校、中央小学校は駅前にあるにもかかわらず、寂しく校舎がたたずむわけです。(こちら何か活用案等あるのでしょうか?)
アクエル前橋の中に高校生向けの自習室を作った話も耳にしました。
高校生を呼び込みたいのでしょう。
確かに高校生は駅前をよく利用するため、自習室目的でアクエル前橋に立ち寄るでしょう。
しかし、果たしてそれが町にとって良いことなのかはとても思います。
僕は、商店街の空き店舗を活用してそうした自習室を作れなかったのだろうかとつくづく思うわけです。
今まさに商店街では、シェアハウスなどを通じて若者を町に呼び戻す仕掛けづくりをしています。
そうした取り組みとの相乗効果も出期待できたのではないかと感じてしまいます。
郊外化は人口の流出をもたらしましたが、一番の問題は若者が街なかから離れてしまったことではないでしょうか。
共愛、前工が中心部から移転したことは、まさにそれを象徴する出来事ではないかと面ます。
町を再生しようとするとき、あれもこれもではもはや手遅れだと思います。
あれか、これかを選択し、選択的にお金も人も割いていかないことにはどうしようもなくなってしまうのではないでしょうか、、、