融通無碍なる留学生活

~豪に入っては豪に従います~

「ゆるせる」感の不思議 そして友人たちのすごさ

2006年12月17日 | 気付いたこと築いたこと

中学から大学入学で東京に出るまで過ごした土地を
実は私は、個人的に死ぬほど苦手だった。

ちょうど「思春期」というやつに入る頃から暮らし始め、
なにもかもが「なんか違う!」とか思いがちな、
人生の中でもっともアホな時代ですよ。
その頃に暮らした場所というのはもしかしたら、
どこにいて何をしていようが、
「私のいるところはここじゃない!」とかなんとかホザきながら、
ケンケンしていたのかもしれないんですけどね。

それでも。
お正月とかで、学生時代、東京から何度か戻るたびに
「ああいやだ」と思っていたし、いつでも生まれ故郷の北海道を美化していた。
なんかそれって、辛かった。

留学生活を始める数日前に、東京の住処を引き払って、
実に10年ぶりくらいで数日間だけその地に滞在したときも、
理由なき違和感はぬぐえなかった。
高速を降りて到着するやいなや「うわ~きちゃった」とか言って
ワケもなく不機嫌になってしまった。


それが。

今回、一週間ほど滞在しているが、これが心地よい。
この10年で市内のあちらこちらが様変わりしていて、
まるで新しい土地のような気分になるせいもあるだろう。
でも一方で、当時から変わらぬ景色を見ても、
以前のように理由なく暗い気持ちになるようなことはなかった。

思えば、すでに19年だ。
自分の力ではどうにもならず、「許せない」と思うことに、
ただただ耐えるしかなかった中高時代の自分自身と周囲へのもろもろの感情、
そういうものが緩やかに溶けて、
どうでもよくなるというか、ゆるせるというか、かわいく思えるというか、
そんな感情を覚える。

よくわからないけど、
全部、全部をひっくるめて「ゆるせる」感が生まれてる。
かっこつけようと思ってかっこわるくなってた少女時代というのは、
「キツさ」丸出しで、当人にだってどうしようもなかった。
それが土地の感覚と結びついて「怨念」みたいになっちゃって、
だから苦手だったのかもしれない。

ほんの半年だけれど、外国での生活を挟んで、
そして今ここに戻ってみたことが、これまた良かったのかもしれない。
ともかく私にとって、両親が住む土地を、好きになれそうなことは、
とても大きいことだ。

結局私は「幸せ」な人間だからこそ、
この地と結びついている全ての感情を、
自分の中でゆるすことができたのかもしれない。
そして、今私がとても幸せでいられるのは、なんといっても、
私の周りにいる人たちの存在があるからだ。これ、もぅ。痛感する。
スケジュールや体調のこともあって、
まだ何人も会いたい人たちに会えていないけれど、
それでも、少しずつ交わす言葉の中で、
やっぱり「ネットワーク感」みたいなのを感じることができるし、
「ああ、みんなのことが大好きだなぁ~」とか
子供みたいにしみじみ感じたりしてしまう。

もう何年にも渡って大事に思える人たちがいることに、
こういう時にふと気付くのかもしれない。
なんだかわからないけれど、
今日はすごく、そんな人たちへの熱い敬意で溢れている。

私の大切なお友達、心からありがとう。
勝手にお礼を言わせてもらいます。

アホのように

2006年12月17日 | 気付いたこと築いたこと
アホのように、一日中、ええ、文字通り一日中、テレビを見続けてしまいました!
ぼぉ~~~っと。アホのように。ああ恐ろしい。

帰国後体調を崩したのをいいことに、両親の家のコタツにテレビという最高にダメダメな、いやしかし、ちょっと幸せな一日を送ってしまった。

私は、そうでなくとも毎月、身体のホルモン周期と重なって「なにもかもやる気がおこらない」時期というのがあるのだが、今日はそのあたりとも重なって、心の底からなにもせず、ただただテレビ。みかん食べてテレビ。

見た番組は、「日本音楽コンクール」の本選ドキュメント。毎回見るたびハマる。とくに作曲部門とかは興奮するし、「天才系」の演奏家が現れたりすると楽しい。
それから、フィギュアスケートね。復活をとげ、ひどく美しくなった「ミキティー」などを見ては喜び、「まおちゃん」のジャンプを見ては心を躍らせる(笑)。
そして夜はNHK朝ドラ「純情きらり」の総集編だ!これはとくに夏からの留学で結末を見られなかっただけに、大変にありがたかった。ヒロインが死んでしまうという最悪ドラマとわかっていながら、お約束のように画面の前で涙する。

シドニーでテレビを見るときは全て「リスニングのお勉強」感覚が抜けず、テレビタイムですら神経のどこかが緊張していたと思う。おもしろい番組はさほどないし。(一番好きなのはABCが制作する生き物地球気紀行な番組。)

でも日本でたまには、気長一日テレビと付き合うのも悪くないね。やっぱりリラックスしたと思う。ダメな日って、ときには必要だ。(いいわけか??)

〈ずれ〉というもの

2006年12月16日 | 気付いたこと築いたこと
北条文緒 「翻訳と異文化~原作との〈ずれ〉が語るもの」(みすず書房、2004年)を読み始めました。北条氏はいわゆる「誤訳」という言葉を避けるべく、「ずれ」という言葉を使って説明しておられます。私はその態度が好きです。


翻訳経験ともいえない数少ない私の経験の中でさえ、苦しくも、翻訳のもっとも面白い体験にいく度か出くわしてきた。それらは結局、ひとつの言語体系というものと、また別の言語体系というものが、おのおの投げ込まれている組織の間の、多層的・多義的・複合的な事象での、「ずれ」に起因するものなんだろう。

一対一の関係というのは、言葉の海を前して、一切通用しない。

時に、一つの言葉の持つ多義的な意味を、その形をどこまで切り開いて提示してみせるか、という問題がある。組み替えたり、開いたり。思い切って切り捨てたり。
「違和感」というもの敏感にならなくてはいけない。敏感になるために、つまり「ずれ」を「ずれ」として認識するためには、物事への深く広く果てしない見識が必要になってくる。。。


結局はよく読み、そしてまたよく読む、ということなんだろうね。翻訳がうまくなるためにはね。

帯状疱疹劇場

2006年12月14日 | 気付いたこと築いたこと
驚きました。「帯状疱疹」というのが出ました。
あの「雅子さま」に出たのと一緒のアレです。
最初は、激しく毒性の強い虫にでも食われたのかと思ってました。
それが次第に、突き上げるような痛みが断続的に襲ってくるようになって、
それはもう夜も眠れぬひどさですよ・・・
「国保」入ってないけど、医者に行きました。
さすがにもらったお薬で、大部ラクになってきました。
数日前には食中毒(ノロではないけど)で立ち上がれないくらいの熱は出るし、
せっかくの帰国がなんなんだこりゃ?!という状況でございました。

やっぱり厄年ですか。年末最後まで、
今年はいろいろありました。いや、ありすぎました。

数年前に自分でも「無理してるなぁ~」という時期があって、
我が監督役(?!)のmoyuraさんから
「d-rの身体はd-rの気持ちについていけてないようだよ」と
指摘されたことが御座いました。

が!最近はそれを自分でも如実に感じております。。。
結局はね。人なんて脆いの。
食事、運動、睡眠、どれが欠けたってダメ。
そしてそれらが仮に満たされていたとしても、
身体ばかりで気持ちを蔑ろにして、ついてこい!ついてこい!ってやってると、
きちんとサインが出てくるものです。
「蕁麻疹」とかね。
以前、なぞに「リウマチ」っぽくなったこともあったな。

とにかく、人が崩れるときの速さったらない。
数日前までお仕事で飛び跳ねていたって、
気付いたら小またで病院の廊下を点滴引きずりながら歩く、
なんていう状況に、情けなくなって泣きそうになることの方が、
もしかしたら傲慢なのかもしれない。

「まじめに努力する」とかは簡単。
「がんばってます私!」とかいうのも簡単。

きれいに心も身体もしなやかに重力移動させながら、
自分の持てる小さな強さを丁寧に守っていこうとすること。
それができるようになったら、もう一歩先のステイジに上がれるかな。

どうしても、もどるところ

2006年12月12日 | 気付いたこと築いたこと

結局はいつもいつも
どこまでも
強くありたいと願う。

丹田のあたりにありそうな、
小さな強さを、ただ
不安のようなもので
見えなくしてしまうのは、
それはとても、もったいないから。

しなやかに。ぶれることなく。まどうことなく。

どこにいても。誰といても。
何をしていても。

山梨県

2006年12月12日 | 気付いたこと築いたこと
もしかしたら10年ぶりくらいに、山梨を母とドライブした。
私は免許を持っていないので、母の運転。

東京での二人の生活を解体してから、母がこちらで買った新しい車に、
お菓子やお茶を持ち込んで出かけた。

気持ち悪いくらいの大きな富士を眺めたり、地方にありがちな「ラベンダーソフトリーム」とかいうワケわからないけどおいしいのを食べたりして。

途中立ち寄った「売りません抱かせません」という頑固一徹テディベアショップのおばさんの話を堪能したりもした。このゴクヒン留学生活を晴れてまっとうしたらば、お金貯めてまたここにベアを一体買いに来ようと思った。20万円とかするド迫力の「ピーターラビット」はまるでハクセイだった(笑)

実は、山梨県は13歳から相性として悪いらしく「嫌い」な土地でしたが、
昨日は何か、どこか気持ちが違っていたような気もする。
時間の経過が作用しているような、そんなところなのでしょうか。

集中力のある響き

2006年12月07日 | 気付いたこと築いたこと
久しぶりにコンサートに出かけました。
東京ニューシティー管弦楽団という若いプロオケの定期演奏会で御座います。
題して「クララへの愛」で御座います。
ブラームスの第一番の4楽章、シューマンのピアコン、そして第4番の交響曲ですよ。(東京芸術劇場)

評判どおり、独特な集中力の高い演奏が聴けました。私は上手くてもダレてる演奏には退屈してしまいます。逆に仮にアマオケでも、全員がノリノリになって演奏してくれていたりすると感動を覚えます。このオケはもちろんプロですが、ここの良さはそういったところにあるんだと実感しました。集中力さえ高ければ、音はきちんと響き、そして聴衆に届く。

ピアノソロの三浦友理枝さんは、キラキラした音の出せる人です。でもこの人はアイドルですよ。まだ学生さんだけれど、天才でないことだけは確か。ただ、ゴマンといるであろうこの層のピアニストの中で、ヤマハだエイベックスだと、どんな大手企業をバックにつけようと(いや、それだからこそ)、すっと一歩前に出れられたピアニストなのだから、発表会レベルではない演奏ができるような選曲を、自らできるような立ち位置に立てるようになれるといいのにね、と応援したくなります。小品ばかりを妙に専門にするピアニストとかがあってもいいと思いますね。今日の演奏を聴いてそう思いました。だめですかね。

「一時帰国」

2006年12月05日 | 気付いたこと築いたこと
クリスマス・ホリデーに入るこの時期、シドニー空港はごったがえしていました。カンガルー印のカンタス便のチェックインだけでも、45分くらいは並んだんじゃないかなぁ。出国手続きでもさらに行列でした。

ところが!
なぜかNARITAへの便はガラガラ!席を自由に使い放題。冷房が効きすぎの機内だったので、私は枕や毛布を近くの席から奪いまくって、ぬくぬく眠って帰国いたしました。

しかし、、、あんなに空いていて大丈夫なのか?!?カンタス。他の航空会社で一時帰国を狙う友人は、キャンセル待ちの多さにうんざりしているというのに・・・
日本直行便、撤退されては困る。みんなカンタスを使っておくれ。。。
ちなみに発音は英語では、「クワンタス」ってかんじ。ワにアクセントがくるね。

ところで、今朝100均に出かけたのだけれど、やっぱすごい100均!!うへ~こんなのシドニーで5ドル出して買っちゃったよ~といった日用雑貨があるし、店内明るく清潔で在庫が抱負。日本を離れてほんの4ヶ月しかたっていなかったのに、まるで「ガイジンさん」のように驚きを隠せない自分がいた。環境って、オソロシイね・・・。特に文房具類がシドニーは品質悪く、価格が高い。無意味に買い占めたくなった。
それにしても、お買い物のたびに「あ、日本語でいいんだよねぇ~」っていう感覚とか、人とぶつかりそうになると、「ソーリー」の「ソ」、「イクスキューズ・ミー」の「イ」の形に口が一瞬なる。習慣って、オソロシイね・・・。

東京の久しぶりの師走の匂いをかぎました。夏の国から戻り、冬の空気で一気に気分が年末モードへ。一時帰国は留学前まで予想していなかったのですが、やっぱり帰ってくると、うれしい。せわしない休暇になりそうですが、それも楽しい。「一時」な日本というのを味わうのも、これは一つ特別な時間だ。

触れる鍵盤

2006年12月03日 | 音楽
D先生は本気だった。

私がやっかいな事態になったときに、掛けてくださった身にしみるような優しいお言葉は、本当のものだった。快くご自宅のピアノを弾かせて下さったのだ。

バッハ、ショパン、ブルグミュラー、ロス・エドワーズ、尾高尚忠あたりを弾き、先生のお母様(おそらくは80代!とてもチャーミング!)のソプラノに合わせて伴奏もした。日本の懐かしい合唱曲も何曲か歌った。
ピアノはKAWAI。D先生とはYAMAHAとの音質の違いで意気投合した。

夕食の前に裏庭(馬が二匹いる。あれはすでに庭じゃない。自然保護区。)を散歩中、離れの家も見せていただたら、なんとそこには、ベヒシュタインの小さなアップライトが置いてあった。蜀台付き。製作者の名前とSydneyとが、飾り文字で描かれてあった。およそ100年前のものだという。D先生のおばあ様にあたる人が、ピアノの先生をしていらしたとか。ならしてみると、古ぼけた、それでもなにか反響のしっかりした音がした。きれいに調整したら、きっといい音が出るんじゃないかと思う。先生・・・もったいない・・・(涙)

4ヶ月ぶりに触れた鍵盤上で、私の指はすっころんでばかりいたけれど、鍵盤に触れるというその指の感触、楽譜を目で追うというその感触は、やはり何にも代えがたい。オーストラリア人の方の家庭で、暖かな食卓を囲みとても幸せな夕べだった。
優しい人たち、本当にありがとう。