石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

会津の歴史18 葦名家花見ヶ森廟

2006年11月24日 | 会津の歴史

葦名氏16・17・18代の廟所「葦名家花見ヶ森廟」 会津若松市 市史跡

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県会津若松市花見ヶ丘

06 戦国時代東北最大の力を誇った16代葦名盛氏。その墓は、居城黒川城(現在の若松城)の南東1200メートル場所に位置する小田山山麓の花見ヶ丘にあります。16代盛氏、17代盛興、18代盛隆の墓が並んであります。18代盛隆は、須賀川市の二階堂氏が人質となったものです。周辺には、殉死塚や他の領主の墓もありました。葦名氏の墓は、3代以外に、現在、北に50メートルの場所に一基残されています。五輪塔は江戸時代に、保科正之が造らせたものです。

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